第86話 主のいない城
【豊臣家滅亡まで 残り5,554日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り215日】
翌日、小さな評議を開いた。
大老は、いない。奉行衆も、全員ではない。集めたのは、本当に困っている者たちだった。
町奉行。蔵奉行。船奉行。普請の役。寺社の係。台所の役。医師の玄朔。堺の商人の代表。そして、三成と、正則と、清正。
「……まさのりと、きよまさは、どうして」
「呼ばれたからじゃ」
正則が言った。
「わしは、困っておる者では、ないぞ」
「昨日、縁組みの届けをどこへ出せばよいか分からぬと、怒鳴っておられましたな」
三成が言った。
「怒鳴ってはおらぬ」
「廊下の端まで、聞こえておりました」
「声が、通るだけじゃ」
【人物評価:福島正則】
感情制御 27
声の大きさ 97
相変わらずだった。
俺は、全員に、同じことを聞いた。
「いま、だれが、あなたの、しごとを、とめてる?」
部屋が、静かになった。問いが悪かったか、と思った。
「……止めておる者の名を、申し上げて、よろしいのでございますか」
町奉行が、恐る恐る言った。
「いって」
最初に口を開いたのは、船奉行だった。日に焼けた、声のしゃがれた男だった。
「港の修繕で、蔵奉行殿のお許しを、待っておりまする」
蔵奉行が、顔を上げた。
「費えの出どころが、決まっておりませぬ。治部殿に、お伺いを立てました」
三成。
「拙者は、奉行衆の合議が要る、と返しました」
奉行衆。一人は病。一人は国元。一人は家康の考え待ち。
つまり、止まる。
「つぎ」
玄朔が、静かに言った。
「流行り病の者を分ける小屋を、寺に置く案が、寺社の係で止まっておりまする」
寺社の係が、困った顔をした。
「寺の権に関わりまする。誰のお許しが要るのか、太閤殿下の御朱印に、定めがございませぬ」
死んだ人の命に、書いていない。だから、生きている者が、決められない。
商人の代表が、最後に言った。
「川の通り銭が、場所ごとに違いまして、荷が止まりまする」
「だれに、うったえた」
「大坂のお城。それから、伏見。それから、内府様の御家来衆」
三か所。訴える先は、多い。だが、決める者が、いない。
「……拾様。これは、主のおらぬ、城にございますな」
三成が、言った。
重い言葉だった。
秀頼は、いる。俺は、ここにいる。豊臣家の当主。天下人の子。だが、主ではない。年のせいだけではない。俺が命じれば、命の正しさはある。だが、それを動かす仕組みがない。家康が命じれば、正しさには議論がある。だが、動かす家来衆がいる。
威光と、動かす力が、別々の人間に分かれている。一番、危うい形だった。
「拾様が、お命じになれば、よい」
清正が言った。単純だった。だが、強かった。
「なんでも?」
「何でも」
三成が、すぐに首を振った。
「それでは、太閤殿下と、同じにございます」
清正の眉が、動いた。
「太閤殿下と同じで、何が悪い」
「拾様は、六つにございます」
「年の話ではない」
「年の話にございます」
始まった。だが、止めなかった。二人の言葉を、最後まで聞いた。
「主が決めねば、家来は動けぬ」
「主が全部を決めれば、主が倒れたとき、全部が止まりまする」
「今、止まっておる」
「ゆえに、仕組みを作るのでございます」
「仕組みができるまで、誰が決める」
三成が、黙った。
そこだった。古い形を壊したあと、新しい形が動き出す前。変えるときに、一番危ういところ。今の豊臣家は、まさにそこにいた。秀吉という古い形は、死んだ。新しい形は、まだない。家康は、その間を、埋めている。
「かりに、きめる」
全員が、俺を見た。
「ちゃんとした、きまりが、できるまで。きめることを、みっつに、わける」
一つ目。毎日の仕事。担当の役が決める。
二つ目。いくつもの係にまたがる仕事。関わる者、三人以上で話し合う。
三つ目。戦。大名の処分。大きな国替え。縁組み。これは、大老と奉行の評議。
「評議が開けぬときは」
三成が聞いた。
「きげんまでに、かきもので、いけんを、だす」
「出さなければ」
「いは、ない、とみなす」
部屋が、ざわついた。来なければ、止められない。止めたいなら、代わりの案を出す。
「……拾様」
蔵奉行が言った。
「毎日の仕事と、大事との境は、誰が決めまするか」
良い問いだった。そして、終わらない問いだった。
「まよったら、ひとつ、うえに。でも、みっかのうちに、へんじが、なかったら、たんとうが、かりに、きめる」
三成の筆が、止まった。
「しくじった場合は」
「かきのこす」
「罰は」
「かくしたひとを、おもく。しらせたひとを、かるく」
しくじりを知らせられる仕組み。前の世で、何度も作ろうとした仕組みだった。今度は、最初から入れる。
正則が、腕を組んだ。
「拾様。わしにも、決めてよい仕事が、あるのか」
「ある」
「何じゃ」
「ひょうぎで、だれかが、どなりはじめたら。いちど、そとに、つれだして」
正則が、黙った。清正が、少し笑った。三成は、真顔で、書き留めた。
《福島正則 役目 評議の鎮め役》
「書くな」
「役目にございます」
「では、わしが怒鳴ったときは、誰がわしを連れ出す」
全員が、清正を見た。
「……なぜ、わしじゃ」
「ちからが、たりるから」
久しぶりに、部屋で、笑いが起きた。小さな笑いだった。だが、笑いのあと、仕事が進んだ。
港の修繕は、船奉行と蔵奉行が、三日のうちに費えを決める。病人を分ける小屋は、玄朔と寺社の係と町奉行で、まず一つの寺で試す。川の通り銭は、ひと月分、調べる。
誰も、天下のことは決めていない。だが、目の前の仕事は、少し、動いた。
主のいない城。それでも、暮らしは、止められない。
俺は、評議の書き留めの最後に、一行、足させた。
《主の決めを待つことを、忠義の証としない》
三成が、その一行を見た。
「……拾様。これは、危うい考えにございます」
「うん」
「主の許しなく動いてよい、と読めまする」
「でも、まってるあいだに、ひとが、しぬ、しごとも、ある」
玄朔が、静かに頭を下げた。
豊臣家に、主はいない。ならば、主がいなくても、少なくとも動く仕組みを、先に作る。それが、六つの俺に、今できる政だった。
【豊臣家の政の働き】
決める力 E → E
相談が豊臣家に届く割合 43% → 46%
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.6% → 96.4%
評議のあと、玄朔が、俺の前に残った。
「拾様。……流行り病の小屋の件、試す寺は、どこにいたしましょう」
「げんさくが、きめて」
玄朔は、驚いた顔をした。
「わたくしが、でございますか」
「くすしが、いちばん、わかる。さっき、きめた。まいにちの、しごとは、たんとうが、きめる」
玄朔は、しばらく黙っていた。太閤の枕元で、何年も脈を取ってきた老医師だった。秀吉の病が重くなっても、薬の一つ変えるのに、奉行衆の許しを待たされたと聞いていた。
「……四十年、医者をしておりますが、決めよと言われたのは、初めてにございます」
玄朔は、深く頭を下げて、出ていった。
評議が終わって、皆が立ち上がったとき、船奉行が、俺の前で膝をついた。
「若様。……港の修繕、三年、待っておりました」
「……さんねん」
「太閤殿下が、お許しをくださる前に、朝鮮の役が始まりまして。そのまま」
三年、止まっていた仕事が、三日で動く。
船奉行が出ていったあと、三成が、ぽつりと言った。
「……拙者の机の上にも、三年止まっておる書状が、ございまする」
「なんまい」
三成は、指を折った。折り終えて、もう片方の手も折り始めた。
「……今夜、片付けまする」
「ねて」
「……明日、片付けまする」
翌日、三成は、本当に全部片付けた。そして、その晩は、ちゃんと寝たと、島左近から書状が来た。




