第83話 沈黙は同意にあらず
【豊臣家滅亡まで 残り5,565日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り226日】
上杉景勝から、返事が来なかった。
一度ではない。三度、書状を出した。三度とも、返事はなかった。使いを送った。「思案中」。それだけだった。
「怒っておるのか」
正則が言った。
「景勝殿は、平素から、多くを語られませぬ」
三成が答えた。
「便利じゃな。何を考えておっても、黙っておれば済む」
「福島殿は、少し、黙ることを学ばれるべきにございます」
「喧嘩か」
「助言にございます」
成長していなかった。
【人物評価:上杉景勝】
統率 92
忍耐 95
口数 7
黙っているだけで人を圧する力 99
最後のは、能力なのだろうか。
困るのは、景勝の沈黙を、周りの者が、好き勝手に訳してしまうことだった。
三成に近い者は言う。景勝殿は、家康を警戒しておられる。家康に近い者は言う。景勝殿は、謀反を企んでおる。どちらでもない者は言う。景勝殿は、まだ決めておられぬ。上杉の家来は言う。殿は、すべて承知しておられる。
誰も、本人の言葉を聞いていなかった。
直江兼続から、長い書状が届いた。景勝の書状ではない。兼続の書状だった。
文は明快だった。筋が通っていた。家康への用心。会津の城と道の普請。国の仕置。豊臣への忠節。全部、書いてあった。
書いてありすぎた。
「これは、かげかつどのの、いけん?」
三成は、答えなかった。
「かねつぐどのの、いけん?」
「……両方にございましょう」
「どこまでが、どっち」
分からなかった。
できる補佐役が、主君の沈黙を埋める。外から見れば、一つの考えに見える。中では、少しずつ違うのかもしれない。
前の世でもあった。社長が黙る。側近が説明する。その説明が、いつの間にか、社長の考えになる。社長も、直さない。会社は、側近の訳で動いていく。
「あいに、いく」
淀殿が、即座に言った。
「なりませぬ」
「かげかつどのが、おれに、なにかするとは――」
「思いませぬ。道中です」
母は、いつも、相手ではなく、その周りの危うさを見る。正しかった。六つの子供が会津まで行くなど、できるはずがなかった。
「じゃあ、えらばせる」
俺は、祐筆に、短い書状を書かせた。
《へんじは、みっつから、えらんで ください》
《一 たいろうの ひょうぎに でる》
《二 かわりの ひとを だす》
《三 でない わけを、じぶんの ふでで かく》
思ったことを自由に書け、というのをやめた。選べるようにした。
雪の中を、書状が会津へ向かった。半月ほどして、返事が来た。
《三》
一文字だった。いかにも、本人らしかった。
そして、その下に、景勝自身の筆で、数行。
《国の仕置、いまだ定まらず》
《軽々しく上れば、家中を乱す》
短かった。だが、本人の言葉だった。
景勝は、家康が憎くて来ないのではなかった。自分が留守にした間に、移ったばかりの会津の国が崩れるのを、恐れていたのだ。越後から会津へ、国ごと移ってきて、まだ二年も経っていない。
「かわりに、かねつぐどのを」
俺は、また書かせた。
返事は、早かった。
《不可》
「……どうして」
続きがあった。
《兼続を出せば、会津が動かぬ》
できすぎる補佐役。本人の傍にも要る。代わりにも要る。一人しかいない。組織の、危ない印だった。
「じゃあ、べつのひとを、そだてて」
書いてから、無理を言ったと思った。人を育てるのは、十日ではできない。
返事は、また一行だった。
《承知》
本当に承知したのか、不安になった。
それからひと月ほどして、会津から、若い侍が一人、大坂に上ってきた。二十を少し過ぎたくらい。雪焼けした顔で、手に、一通の書き物を大事そうに抱えていた。
「上杉弾正少弼が、名代にございまする」
書き物は、名代の権を書いたものだった。議題ごとに、どこまで賛成してよいか。どこまで反対してよいか。どこで、決めずに持ち帰るか。いつまでに、会津に知らせを戻すか。
きちんと、書いてあった。
三成が、書き物を手に取って、目を輝かせた。
「……美しい」
また言った。だが、今度は、俺も同じ気持ちだった。
「かげかつどのは、なんて」
若い侍は、少し困った顔をした。
「殿は、多くを申されませぬ」
知っている。
「ただ、この紙を、三度、お直しになりました」
景勝が、自分で、名代の権の範囲を、三度確かめたのだ。黙っているが、考えていないのではない。外に出す前に、言葉を削りすぎるのだ。
「殿から、これを」
若い侍が、小さな紙を、もう一枚差し出した。
景勝の自筆だった。
《秀頼公へ》
《沈黙は、同意にあらず》
それだけだった。
何度も、読んだ。
沈黙は、同意ではない。反対とも限らない。謀反でもない。忠誠でもない。ただ、言葉が、外に出ていないだけ。
人は、空白を恐れる。だから、自分に都合のいい意味を、そこに書き込む。
俺は、その紙を、三成にも見せた。
三成は、長いこと、紙を見ていた。
「……拙者は、景勝殿の沈黙を、ずっと、拙者への同意と読んでおりました」
「うん」
「内府殿を警戒しておられる。ゆえに、拙者の味方であると」
三成は、紙を俺に返した。
「違うのでございますな」
「わからない。でも、ちがうかも、しれない」
三成の顔が、少し曇った。
三成は、この先、上杉と手を結ぶ。会津と大坂で、家康を挟み撃ちにする。そう書物には書かれている。本当に、二人が示し合わせていたのかどうか、四百年経っても、誰にも分からない。
分からないものを、分かったことにする方が、危うい。長政の言葉だった。
「みつなり。かげかつどのの、ちんもくを、かってに、よまないで」
「……承知、いたしました」
三成は、そう言って、自分の帳面の、上杉の欄に書いてあった《味方》の二文字に、朱で線を引いた。そして、横に、小さく書いた。《不明》
空欄にせず、不明と書く。三成が、自分で決めた決まりだった。
「ひょうぎの、きまりに、たす」
《返事がないのを、賛成とみなさない》
《返事がないのを、反対ともみなさない》
《期限を過ぎたら、仮に決めて動く》
沈黙に、勝手な意味を与えない。その代わり、時が来たら、仮に動く。家康の速さ。毛利の同意。上杉の慎み。全部を、少しずつ混ぜた。
大老の評議。三つ目の座布団。本人ではなく、名代が座る。だが、空席ではない。
【上杉家の知らせが一人に頼っている度合い】
91 → 74
まだ、高かった。
【徳川家康 上杉家への警戒】
43 → 61
「どうして、あがるの」
「名代を出したからにございましょう」
三成が言った。
「上杉が、家として動き始めたと、見られたのでございます」
良くなれば、警戒される。豊臣家と、同じだった。弱ければ、放っておかれる。強くなれば、恐れられる。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.8% → 96.0%
関ヶ原は、会津から始まる。家康が、上杉を咎め、上杉が拒み、家康が兵を起こす。
その上杉の、言葉が、少しだけ見えた。見えたことで、家康にとっても、上杉は、よりはっきりとした相手になった。
評議の日取りが決まると、名代は、そのたびに、会津に早馬を出した。一つ決まるごとに、一通。三成が、その数を数えていた。
「十日で、七通にございます」
「おおい?」
「拙者の、佐和山への書状と、同じ数にございます」
三成は、少しだけ、嬉しそうだった。
若い名代は、その夜、城の台所で、冷や飯を三杯おかわりしたという。雪の中を、半月かけて歩いてきたのだ。
台所の女が、干し柿を一つ、名代の膳に置いた。名代は、それを懐にしまった。会津の殿への土産にするのだ、と言っていたそうだ。
翌朝、名代は、城を発つ前に、わざわざ俺の部屋まで挨拶に来た。雪焼けした顔が、少し緊張していた。懐のあたりが、干し柿一つ分だけ、ふくらんでいた。




