第80話 五つの空席
【豊臣家滅亡まで 残り5,630日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り291日】
年の暮れ、大老衆の評議を、開くことにした。
正確に言えば、開こうとした。
利家が死んでから、五人の大老が同じ部屋に揃ったことは、一度しかない。その一度も、全員ではなかった。決まりはある。名前もある。だが、評議がない。
俺は、利家の遺した覚え書きを、机の上に広げた。
《皆を仲良くさせるな》
《仲が悪くても、話せる道を残せ》
道は、作ったつもりだった。異を唱える書き付け。評議の前の相談。議題を書いて配ること。話す順番。期限。決めたことの書き残し。
だが、道を作っても、人が来なければ、評議にはならない。
「へんじは」
三成が、書状を一通ずつ、机に置いていった。
「徳川殿。代わりの者を出したい、と」
「前田殿。国元の仕置のため、上洛かなわず、と」
「毛利殿。国元の評定を待つ、と」
「上杉殿。返事なし」
「宇喜多殿」
三成が、止まった。
「……家中、騒がしく、と」
全員に、来ない理由があった。全員、嘘ではなかった。だから、困った。
「じゃあ、かわりのひとで」
「代わりの者の権が、定まっておりませぬ」
「きめれば、いい」
「誰が、でございましょう」
痛かった。六つの体が、ではない。問いが、痛かった。大老の権を、大老が決められない。
そのとき、廊下から、地響きのような足音がした。
「拾様! 評議なら、わしが出る!」
正則だった。
「大老では、ございませぬ」
三成が、即座に言った。
「細かいことを言うな」
「決まりの根にございます」
「根は、集まることであろうが」
珍しく、正則が正しかった。三成も、正しかった。評議が始まる前から、いつもの形だった。
俺は、紙を一枚出した。
一、大名同士の縁組みの届け出。
二、兵を動かすときの、前もっての知らせ。
三、訴えの裁き方。
四、秀頼の名で出す命の範囲。
どれも、今、決めなければならないことだった。どれも、誰か一人が欠ければ、あとで不服が出ることだった。
「かきもので、きめる」
三成が、眉を寄せた。
「顔を合わせずに、評議と呼べまするか」
「よべなくても、きめないと、いえやすどのが、きめる」
部屋が、静かになった。正則も、口を閉じた。
それが、今の姿だった。家康は、評議が開けない間にも、訴えを聞き、返事を出し、道を直し、縁組みを認め、兵を動かしている。決めた者が、力を持つ。正しいかどうかより、先に決めた者のところに、次の相談が来る。
「期限を」
三成が言った。
「七日」
「短すぎまする」
「十四日」
「毛利殿は、国元との往復だけで、十四日を要しまする」
「じゃあ、ひとつき」
「ひと月あれば」
正則が言った。
「内府殿が、三つ決める」
また、正しかった。
期限は、十日にした。書き物で考えを出す。代わりの者も出てよい。ただし、代わりの者が決められる範囲を、本人が書いて渡す。来なかった者も、異は唱えられる。だが、決まったことを止めるには、代わりの案を出さなければならない。
前の世なら、ごく当たり前の、会議の決まりだった。この世では、ほとんど謀反に近かった。
「拾様。この決め方を、大老衆が認めなければ」
三成が言った。
「みとめるかどうかを、このきめかたで、きく」
三成が、黙った。
正則が、腹を抱えて笑った。
「治部。お前の負けじゃ」
「勝負ではございませぬ」
「拾様の屁理屈が、お前の屁理屈を超えたぞ」
褒められていなかった。
書状を出した。十日後、返事が揃った。
徳川家康。《異なし》。ただし、一行、書き添えてあった。《急ぎのときは、この限りにあらず》
急ぎかどうかを、誰が決めるのか。書いていなかった。
前田利長。《母の身の上のことも含め、慎みて考えたし》
行間に、人質の話があった。利長の母、まつ。利家の妻。三成に干し飯を持たせた人。その人を、家康に差し出すかどうか。前田家は、今、それを迫られていた。
毛利輝元。《毛利家中の評定を経る》
期限の内に、評定は終わらなかった。
上杉景勝。返事は、なかった。
宇喜多秀家。《出たい。されど、家来が止めておる》
評議の決め方を聞いただけで、それぞれの家の事情が、全部、透けて見えた。
「……これは、たいろうの、ひょうぎじゃ、ない」
三成が、小さく答えた。
「五つの国の、言い訳の寄り合いに、ございまする」
その通りだった。
名は、五大老。中身は、五つの別々の家。同じ創業の主が死んで、上に乗っていた寄り合いの名前だけが、宙に浮いている。
【大老衆の評議】
開けた割合 21%
決めたことが行われた割合 13%
来なかった理由の筋の通り具合 94%
最後の数字が、一番腹立たしかった。皆、筋の通った理由で、来ない。だから、誰も悪くない。誰も悪くないまま、決まりが死んでいく。
評議の前の晩、淀殿が、俺の部屋に来た。
「秀頼。明日、誰も来なかったら、どうするのです」
「……わからない」
「わからぬまま、広間に行くのですか」
「うん」
淀殿は、しばらく黙っていた。
「……殿下は、人が来ぬ宴を、一度もなさいませなんだ。来ぬと分かれば、先に取りやめておられました。恥をかかぬように」
「おれは、はじを、かく」
淀殿は、少し驚いた顔をした。
「はじを、かいたら、みんなが、なにが、たりないか、わかる」
淀殿は、何も言わずに、俺の襟を直して、出ていった。直さなくても、よかったのに。
評議の日、俺は、誰も来ない広間に、一人で入ってみた。
五つの座布団が、きれいに並んでいた。徳川。前田。毛利。上杉。宇喜多。畳の目まで揃えて、女房たちが、朝のうちに整えてくれていた。
人だけが、いなかった。
一つずつ、座布団の前に立ってみた。前田の座布団の前で、足が止まった。
ここに、利家が座っていた。粥を持ってきてくれた。仲が悪くても話せる道を残せと、言っていた。
利家の座布団には、今は、利長が座るはずだった。利長は、母を差し出すかどうかで、動けずにいる。
「……としいえどの。みちは、つくった。でも、だれも、とおらない」
声に出すと、広い広間に、声が吸い込まれていった。
「拾様」
振り返ると、戸口に、三成が立っていた。
「……みてた?」
「たった今、参りました」
嘘だった。三成は、嘘が下手だった。
三成は、広間に入ってきて、五つの座布団を見た。それから、自分の懐に手を入れて、小さな袋を取り出した。まつの干し飯の袋だった。もう、ほとんど中身が残っていなかった。
三成は、前田の座布団の前に、その袋を、そっと置いた。
「……まつ様が、人質に出られるやもしれませぬ」
「うん」
「拙者に、止める力は、ございませぬ」
「……うん」
「されど、この袋は、まつ様に、いつか、お返ししとうございます。空にして。……一口ずつ、食べましたと、申し上げて」
三成は、袋を拾い上げて、また懐の奥にしまった。
評議が動かないのは、話し合いが下手だからではなかった。話し合うより先に、それぞれが守らねばならないものが、大きすぎるからだった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.9% → 96.2%
夕方、清正と正則が、様子を見に来た。誰も来なかった広間を、二人は、戸口から黙って見ていた。
「……わしが座っておればよかった」
正則が、ぽつりと言った。
「大老ではないと、治部に言われるぞ」
清正が言った。
「言わせておけ。座布団が一枚でも温まっておれば、明日来る者も、来やすかろう」
正則らしい理屈だった。筋は、通っていなかった。だが、間違ってもいない気がした。
五つの空席は、その晩、女房たちの手で片付けられた。座布団は、畳まれて、納戸にしまわれた。
次に出すときは、何枚、要るのだろう。
五枚、と言い切れる日が、来るのだろうか。




