第79話 勝つ者ではなく
【豊臣家滅亡まで 残り5,639日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り300日】
数日後、評議を開いた。
議題は、一行だけだった。
《豊臣家は、何を勝ちとするか》
集まったのは、三成、清正、正則、黒田長政、淀殿、奉行衆の何人か、大名の使者。そして、京から、北政所が来てくれた。
北政所が大坂城に来るのは、京の屋敷に移ってから初めてだった。輿から降りた北政所は、まず台所をのぞき、干し柿の吊るし方に一言注文をつけてから、広間に入ってきた。変わっていなかった。
利家なら、この顔ぶれを、何も言わずに座らせただろう。俺たちは、席順を決めるだけで、半刻かかった。
「黒田殿は、いずこに」
三成が聞いた。
「きゃくぶん」
「物を申す権は」
「ある」
「決める権は」
「ない」
「書き物を見る権は」
「いちぶ」
「細かい」
正則が言った。
「こまかく、しなかったから、としいえどのが、しんだあと、くずれた」
正則は、黙った。
淀殿と北政所は、並んで座った。二人が並んで座るのは、伏見城で太閤の枕元に並んで以来だった。淀殿は、扇をまっすぐ膝の上に置いていた。北政所は、手を膝の上で重ねていた。どちらも、相手の方を見なかった。広間の空気が、そこだけ、少し冷えていた。
「とよとみけの、かちを、きめる」
淀殿が、扇を置いた。
「天下を守ることです」
思ったとおりだった。清正が、頷いた。正則も、強く頷いた。
三成は、少し考えてから言った。
「太閤殿下の御置目を、保つことにございます」
決まりと秩序。
「拾様を、お守りすること」
清正。
「豊臣を軽う見る者を、黙らせること」
正則。それは勝ちではなく、腹立ちの片付け方だった。
北政所が、静かに言った。
「皆が、生きて、次の正月を迎えることでは、ございませぬか」
広間が、少し静かになった。
長政は、まだ口を開いていなかった。
「ながまさ。いけんを」
「よろしゅうございますか」
「そのために、よんだ」
長政は、全員を見た。淀殿。北政所。三成。清正。正則。最後に、俺。
「勝つ者を決める前に、生き残る者を、決めるべきかと存じまする」
正則が、眉をひそめた。
「何じゃ、それは」
「誰が勝っても、残す者にございます」
長政は、一つずつ、数えた。
「拾様。御方様。豊臣家の子。家来の家族。町人。百姓。傷ついた兵。降った者。……敵方の、民」
「敵まで、か」
清正が、長政を見た。
「戦のあと、同じ国で、暮らしまする」
その通りだった。どちらかが勝って、負けた方を皆殺しにすれば、国の半分が荒れる。負けた方を全部敵にすれば、国が二つに割れる。
「勝ち負けの前に、残す範囲を決めれば、戦の仕方が、変わりまする」
長政は、続けた。
「敵の民を残すなら、村を焼かぬ。降った者を残すなら、退き道を開けておく。家来の家族を残すなら、当主一人で、決めぬ」
三成の筆が、止まった。
「当主一人で、決めぬ」
「大名は、家来に、何を賭けるのかを、説いて聞かせる」
皆で決める世ではない。この時代に、それはできない。だが、少なくとも、当主の気持ち一つで、全員を死なせない。
「そのようなことをすれば、兵が迷いまする」
清正が言った。
「迷わぬ兵は、死ぬまで進みまする」
長政が答えた。
清正の顔が、変わった。朝鮮。退けの命が遅れて、死んだ兵。進めと言われて、進み続けた兵。
「まよいを、めいれいいはんに、しない」
俺が言った。
「されど、軍は、命で動きまする」
三成が言った。
「めいれいの、まえに、おわりの、じょうけんを、きめる」
どこまで取るまで、ではない。兵糧がここまで減ったら。死者がここまで出たら。季節がここまで来たら。条件がそろえば、戻る。
「たたかうまえに、どこで、やめるか、きめる」
正則が、不満そうに腕を組んだ。
「勝てるところで、やめることも、あるのか」
「ある」
「なぜじゃ」
「かちつづけたら、あいては、ほろびるまで、たたかうから」
家康と豊臣。片方が全部勝とうとすれば、もう片方は、全部負けるのが怖くて、降りられない。
「負けぬためには」
北政所が言った。
「相手を、負けさせすぎては、ならぬのですね」
核心だった。家康を追い詰めすぎない。三成を追い詰めすぎない。清正たちを、選べないところまで押し込まない。
「されど」
淀殿が、扇を取った。
「豊臣が譲れば、徳川は、さらに求めまする」
正しかった。何の条件もない譲り方は、弱さと読まれる。
「ゆずるんじゃない。のこす、じょうけんを、さきに、きめる」
「何を、残すのです」
「とよとみけ。ひでより。ははうえ。けらい。まち。たみ。……ほこり」
淀殿が、書き足させた六つ目の言葉だった。
「天下は」
淀殿が聞いた。
広間の全員が、俺を見た。
難しかった。ここで天下を守ると言えば、家康と戦う理由が残る。天下を捨てると言えば、豊臣家に人が集まる理由が崩れる。
「てんかを、ひとつの、いえの、ものに、しない」
淀殿の目が、鋭くなった。三成の筆が、止まった。
「とうさまの、つくった、ちつじょを、とくがわだけにも、とよとみだけにも、ひとりじめ、させない」
「では、誰が治める」
清正が聞いた。
「やくめを、わける」
豊臣の正しき名。徳川の実務。大名の国。朝廷の威光。町の商い。一つに集めない。まだ、形にはなっていない。だが、向きはあった。
「そのような天下は、弱うございます」
淀殿が言った。
「ひとりが、しんだら、くずれる、てんかより、つよく、する」
秀吉の天下。家康の天下。英雄が作った天下は、英雄が死ぬときに揺れる。決まりが分けて支える天下なら、一人が死んでも、全部は止まらない。
長政が、深く頭を下げた。
「その天下であれば、黒田家は、生き残れまする」
三成が、長政を見た。
「……豊臣への忠義ではなく」
「はい」
「生き残るために」
「はい」
以前の三成なら、ここで否定していた。
「それで、戦を避けられるなら、使うべきにございます」
長政が、少し目を見開いた。
「石田殿に、そう申していただけるとは」
「拙者も、少しは、学びました」
正則が、笑った。
「雑談の成果か」
「違いまする」
即答だった。変わらないところもあった。
評議は、夕方まで続いた。決まったことは、六つだった。
一、秀頼と家臣団を残すことを、一番とする。
二、国じゅうの戦を避ける。
三、戦が起きたときは、戦わぬ者を守る。
四、負けた者の退き道と、降る条件を、先に決めておく。
五、豊臣の誇りを守る。
六、天下を独り占めせず、役目を分けた秩序を目指す。
六つ目だけは、全員一致ではなかった。淀殿は、保留。清正は、条件付き。正則は、よく分かっていない。だが、誰も、反対はしなかった。
三成が、読み上げた。
《誰かを残らず倒すことではなく、豊臣家と、それに属する者が、次の年も、暮らしを続けられること》
長かった。だが、要る長さだった。
【課題 書き換え】
旧:関ヶ原級の内戦を止めよ
新:関ヶ原級の内戦を、できる限り止めよ。起きたときは、豊臣家と民を残せ
【豊臣家が残る見込み】
9% → 15%
【関ヶ原級全国内戦 発生見込み】
89% → 88%
【内戦が起きたときに、豊臣家が生き残る見込み】
11% → 34%
大きく、上がった。
戦を止める努力だけでは、足りない。止められなかったときにも生き残る仕組みを作る。それが、本当の備えだった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.3% → 95.9%
評議が終わって、北政所が、帰りの輿に乗る前に、淀殿の前で足を止めた。
「茶々殿。……拾は、よい子に育っておりますね」
淀殿は、しばらく黙っていた。
「……わたくしの子にございますゆえ」
北政所は、少し笑って、輿に乗った。
その直後、廊下を、使いの者が走ってきた。
「拾様! 大老衆の評議が、開けませぬ!」
毛利殿は国元の意見待ち。上杉殿は返事なし。宇喜多殿は家中騒動。前田殿は徳川を警戒して動けず。徳川殿は、諸大名の訴えを、独自に裁いている。
大老衆。決まりはある。名前もある。人もいる。だが、動いていなかった。
【大老衆の働き】
38% → 19%
長政が、使いの話を、横で聞いていた。
「拾様。次に生き残らせねばならぬのは、決まりにございますな」
人だけではない。決まりも、放っておけば、死ぬ。




