第78話 橋は三日で詰まる
【豊臣家滅亡まで 残り5,644日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り305日】
長政を、大坂の町に連れ出した。
淀殿は、もちろん反対した。最後は、清正が駕籠の脇に付き、正則が後ろに付き、三成が刻限を紙に書いて、ようやく許しが出た。刻限は、昼八つまで。一刻でも過ぎたら、次はない。
「なぜ、町へ」
長政が、駕籠の外から聞いた。
「いきのこる、じょうけんを、みたいから」
「城ではなく、町で」
「しろだけ、のこっても、いえは、のこらない」
朝の大坂は、船で埋まっていた。米。薪。塩。魚。布。薬種。そして、人。川を物が流れ、橋を人が流れる。城は、町から吸い上げる。町は、城が守る秩序を使う。どちらか一つでは、生きられない。
駕籠を降りて、歩いた。清正が、半歩前を歩いた。正則は、団子屋の前で三度止まりかけ、三度とも清正に襟首をつかまれた。
長政は、歩きながら、店の数を数えていた。荷の種類。船の喫水。人足の疲れ具合。橋板の傷み。見る場所が、家康に似ていた。だが、家康は治めるために見る。長政は、逃げるときのためにも見る。
「戦になれば、この橋は、三日で詰まりまする」
長政が、天満の橋の袂で言った。
「どうして」
「人が、一斉に城から離れまするゆえ」
「しろに、はいるんじゃ、ないの」
「兵は、入りまする。民は、出まする」
その通りだった。籠城では、物語のように人が城に集まるのではない。兵糧を食う者を、外に出す。外に出された者は、どこへ行くのか。
長政が、指差した。
「寺。蔵。河原。親類の村。……どれも、足りませぬ」
「じゃあ、いま、きめる」
長政が、俺を見た。
「戦を防ぐために、逃げる先を、決めるのでございますか」
「うん」
「矛盾しておりまするな」
「ほめてる?」
「かなり」
町の者には、戦という言葉は使わない。火事。大水。流行り病。そのときの逃げ先。同じ仕組みが、戦にも使える。
「拾様は、戦の支度を、平時の仕組みに、変えようとしておられる」
「いくさの、ためだけの、したくは、いくさを、よぶ」
兵糧を積めば、相手は戦の支度と見る。兵を集めれば、相手も集める。だが、火事の逃げ道、病人を分ける小屋、大水のときの高台は、町を強くする。そして、戦のときにも、人を救う。
「なにが、おきても、いきのこる、ほうほう」
「……黒田家では、昔から、しておりまする」
長政は、橋の下の流れを見ていた。
黒田家は、はじめから大きな家ではなかった。主君を替え、土地を替え、戦を越えて、生き残ってきた家だった。
「裏切り者と、後の世では、書かれることも、ございましょう」
俺が言う前に、長政が言った。
「きに、する?」
「いたしまする」
また、即答だった。
「されど、滅んだ家は、自分の書き物を、書けませぬ」
重い言葉だった。
市の角で、一人の女が、長政に頭を下げた。三十くらいの、痩せた女だった。背中に、小さな子を負っていた。
朝鮮から戻った兵の妻だった。夫は、片足を悪くしているという。黒田家から、扶持を受けているらしい。
長政は、女の名を知っていた。子の数も、夫の今の役目も知っていた。
「ぜんいん、おぼえてるの?」
「全員では、ございませぬ。帳面が、覚えておりまする」
人は忘れる。決まりが覚える。
女は、俺にも頭を下げた。
「若様。……夫が、生きて、戻れました」
俺は、何もしていなかった。太閤の戦を、止められなかった。この世に来たときには、もう、終わりかけていた。
「……もどれて、よかった」
それしか、言えなかった。
女は、泣いた。背中の子が、母の泣き声に驚いて、泣き出した。正則が、慌てて団子屋に走り、串を一本買ってきて、子に握らせた。子は、泣き止んだ。正則は、得意そうだった。清正は、今日だけは、正則の襟首をつかまなかった。
長政は、泣かなかった。だが、女が去ったあと、懐から小さな帳面を出して、何か書いた。
「なにを」
「夫の具合を」
「みたの」
「歩き方を」
女の話から、夫の足が悪くなっていると読んだのだ。医師を送る、と長政は書いていた。
理に適うとは、人を数にすることではない。人を忘れないために、数を使うことだった。
昼、船着き場の飯屋で、飯を食べた。麦飯と、味噌汁と、干した魚。長政は、一粒も残さなかった。食べる速さも、ずっと同じだった。
「おとうさまは、とうさまを、どう、みてた?」
長政の箸が、一瞬だけ止まった。
「恐れておりまする。嫌うておりまする。敬うておりまする」
三つ、同時だった。
「太閤殿下は、人を見つける力が、並外れておられた。人を使う力も」
「うん」
「されど、人が去ったあとを、考える暇が、ございませなんだ」
父への批判だった。だが、否定ではなかった。秀吉は、走り続けた。止まれば奪われる世だった。だから、止まったあとの形を、作れなかった。
「拾様は、太閤殿下を、超えとうございますか」
前なら、答えに迷った。今は、少し違った。
「……そつぎょう、したい」
長政が、初めて、はっきりと驚いた顔をした。
「卒業」
「とうさまと、おなじ、かちかたは、いらない、いえに、する」
「太閤殿下の、跡継ぎでは、なくなると」
「とよとみけの、さいしょの、とうしゅに、なる」
秀吉は、家を興した人だ。俺は、二代目ではない。決まりを持つ豊臣家の、初代になる。
長政は、長いこと黙っていた。川を、船が一艘、ゆっくりと下っていった。
「……それが、本当に、おできになるなら」
長政は言った。
「黒田家は、豊臣家と争う理由を、失いまする」
味方になる、とは言わなかった。争う理由がなくなる。それでよかった。全員を忠臣にしなくていい。戦わない理由を、増やせばいい。
「ぎゃくに、あらそう、りゆうは?」
「豊臣家が、天下を取り戻そうとなさるとき」
「どうして」
「黒田家が、もう一度、全部を賭けることになりまする」
長政にとって、豊臣家が天下を取り戻すことは、恩返しではなかった。家来の命を、全部もう一度賭ける戦だった。
家康も、同じことを恐れていた。豊臣家を担いだ、もう一度の戦を。
ならば、豊臣家が、自分から、天下を取り戻す話を、手放さなければならない。それは、淀殿が、一番嫌うことでもあった。
城に戻ってから、長政と、逃げる決まりを作った。
一、火事のときの逃げ先の寺。
二、大水のときの高台。
三、流行り病のときに、病人を分ける場所。
四、戦のときに、戦わぬ者を外に出す道。
四つ目だけは、表には書かない。だが、仕組みには入れる。
「一つ、足りませぬ」
長政が言った。
「なにが」
「戻ったあとの、仕事にございます」
逃げた者が戻っても、店がない。家がない。畑がない。それでは、生きられない。
「たてなおしの、ための、たくわえ」
米。材木。種。薬。豊臣家と、町と、寺と、商人と、皆で少しずつ出す。
「かったあと、じゃなくて。いきのこったあとを、かんがえる」
「はい」
【大坂の戦わぬ者が生き残る見込み】
算定不能 → 48%
低い。だが、初めて、数字が出た。
【人物評価:黒田長政】
豊臣家に力を貸す気持ち 46 → 63
【関ヶ原級全国内戦 発生見込み】
90% → 89%
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.5% → 96.3%
戦を止めるだけではない。戦が起きても、人を生かす道を作った。
【注意】
止めることだけを、成功と数えないでください
帰りの駕籠の中で、正則が、団子の串を三本、大事そうに握っていた。
「……それ、どうするの」
「虎之助と、治部と、拾様の分じゃ」
「まさのりの、ぶんは」
「さっき食うた」
城に戻ったのは、昼八つの鐘の、ちょうど鳴り終わる時だった。門の前で、三成が、紙を持って立っていた。
「刻限、ちょうどにございます」
三成は、紙に丸を一つ付けた。俺は、生まれて初めて、刻限を守って褒められた気がした。




