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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第二章 太閤の死 

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第8話 死の予定表


【豊臣家滅亡まで 残り6,103日】


 寝所には、昨日までと同じ香が焚かれていた。だが、昨日とはまったく違う部屋だった。


 秀吉は布団の中にいた。顔には白い布がかけられていた。


 淀殿は、その隣に座っていた。泣いていない。背を伸ばし、両手を膝に置き、ただ秀吉の身体を見ている。少し離れて北政所がいた。二人の女は、言葉を交わしていなかった。


 俺が入ると、淀殿がこちらを向いた。何も言わずに、腕を広げた。


 俺は走った。裾を踏み、転びそうになる。後ろで三成が手を伸ばしたが、俺はそれを振り切って、淀殿の胸へ飛び込んだ。


 母の身体は冷たかった。夜明けから、ずっとここに座っていたのだ。


「ちちうえは」


 それ以上、声が出なかった。淀殿が俺の頭を抱いた。


「お休みになりました」


「おきない?」


 淀殿の喉が震えた。


「はい。もう、お目覚めにはなりませぬ」


 そこで初めて、母の声が崩れた。


 俺は泣いた。


 劉禅として六十四年を生き、諸葛亮も趙雲も見送った。自分が死んだときでさえ、それほど怖くはなかった。光秀として生きた二十年にも、人の死はいくらでも見た。人の死には慣れたと思っていた。


 慣れてなど、いなかった。三度人生を生きても、慣れることはできなかった。


 五歳の身体は、五歳の子供のように泣いた。いや、身体だけのせいではない。黒瀬直人も、劉禅も、明智光秀も、そして豊臣秀頼も、全部まとめて一人の男を見送っている気がした。返す返すと書いた男を。


 淀殿も泣いた。声を上げて泣いた。小谷でも北ノ庄でも泣かなかった人が、泣いていた。


 北政所が、俺と淀殿の背に、静かに手を置いた。その手は温かかった。


 そのときだけは、豊臣家も、天下も、徳川家康も存在しなかった。夫を失った女と、父を失った子と、長い年月をこの男と並んで歩いてきた女が、一人の男の人生が終わったことを、ただ悲しんでいた。


 どれほどそうしていたか分からない。やがて北政所が、そっと手を離して立ち上がった。


「……わたくしは、少し外します。殿下の御装束を、整えてまいりませねば」


 襖の前で、北政所は振り返った。淀殿を見た。長い間、二人の間には言葉がなかった。


「茶々殿」


 淀殿が顔を上げた。その名で呼ばれたのは、久しぶりだったのかもしれない。


「拾様を、お頼み申します。殿下は、最後まで、拾様のことばかりでございました」


 淀殿は、しばらく北政所を見ていた。それから、深く頭を下げた。


「……ねね様こそ。殿下を、長いあいだ」


 それ以上は、言葉にならなかった。北政所は小さく頷いて、出ていった。


 後世の本は、この二人を敵同士のように書く。正室と側室。尾張の女と近江の女。関ヶ原では、それぞれ別の側についたと言われる。


 だが今、この部屋にいたのは、同じ男を愛した二人の女だった。少なくともこの一日だけは、それで十分だった。


 悲しむ時間は、長くなかった。


 襖の外では、すでに仕事が始まっていた。死をどこまで秘すか。朝鮮の軍勢へ何を命じるか。諸大名にどう伝えるか。葬儀をどうするか。城内の警備を誰が指揮するか。


 死者の身体が冷え切るより早く、権力は次の居場所を探し始める。


 それを冷たいとは思わなかった。人は悲しんでいても、米を運び、兵を止め、使者を出さなければならない。問題は、その次の判断を誰がするのか、決まっていないことだった。


【豊臣政権 状態変化】

最高意思決定者 喪失

組織安定度   九十一 → 三十一

大老間依存度  上昇

対立顕在化リスク 急上昇


【豊臣家滅亡確率】

97.6% → 99.2%


 一晩で、一・六。父一人の重さだった。


 一人が死んだだけで、数字がこれほど変わる。それほど秀吉は巨大で、それほど豊臣政権は脆かった。


 昼過ぎ、俺は乳母の目を盗んで廊下へ出た。


 三成を探していた。朝から一度も姿を見ていない。奉行衆の詰所では、増田長盛と長束正家が、青い顔で書状の山を仕分けていた。三成はいなかった。


 見つけたのは、奥の小さな中庭に面した縁側だった。


 三成は、一人で座っていた。膝の上に、紙を一枚広げている。十三日前の遺言の写しだと、すぐに分かった。


 泣いてはいなかった。ただ、紙を見ていた。同じ行を、何度も、何度も。


 俺は、黙って隣に座った。三成が気づいて、慌てて居住まいを正そうとした。


「拾様。このような所へ、お一人で」


「みつなりも、ひとりです」


 三成は口を閉じた。


 しばらく、二人で庭を見た。小さな池に、鯉が一匹だけいた。


「……拙者は」


 三成が、ぽつりと言った。


「殿下に、茶を三杯お出しして、拾われました。それから三十年近く、殿下の御用だけを考えて生きてまいりました。殿下が何を望まれるか、先に考え、先に動く。それが、拙者の仕事にございました」


 紙を持つ指に、力がこもった。


「明日から、何を先に考えればよいのか、分かりませぬ」


 俺は、この男の人物評価を思い出した。政務実務九十六。制度理解九十二。人望四十七。感情翻訳十二。


 数字には、この顔は映っていなかった。主を失って、次に何をすればいいか分からない、迷子のような顔は。


「みつなり」


「は」


「ちちうえは、たのみました。みんなに」


「……はい」


「みつなりに、だけじゃ、ありません」


 三成が、俺を見た。


「ひとりで、やらないで、ください」


 三成の目が、大きく揺れた。


 史実のこの男は、一人でやろうとした。正しいことを一人で言い、一人で嫌われ、一人で関ヶ原へ向かい、一人で六条河原に引き出された。誰も、この男を止めなかった。誰も、この男と一緒に考えなかった。


「……拙者は、人に頼むのが、下手にございます」


「しっています」


 三成が、ほんのわずかに口元を緩めた。笑ったのだ、と分かった。


「拾様は、ときどき、殿下よりも厳しゅうございますな」


「ちちうえは、みつなりを、たのむと、いいました。ぼくに」


 三成の顔から、表情が消えた。それから、ゆっくりと、紙の上に額がつくほど深く頭を下げた。肩が一度だけ大きく揺れ、そのまましばらく動かなかった。


 俺は、何も言わずに鯉を見ていた。こういうとき、何も言わない方がいいことを、劉禅として学んでいた。


 縁側から戻る途中、視界の奥に、見慣れない一覧が現れた。


【歴史上の重要人物 死亡予定】

前田利家  近接

その他   順次更新


 死の予定表。


 最初に大きく動くのは、利家の死だ。家康を抑えられるだけの格と実力があり、武断派からも敬われ、三成とも決定的には敵対していない。秀吉亡きあと、最も重要な均衡点だった。その利家が死ねば、三成は孤立する。家康の発言力が増す。そして関ヶ原へ近づく。


 ならば、最初に変える場所も分かる。


 淀殿の部屋へ戻ると、俺は言った。


「ははうえ。としいえに、あいたいです。おいしゃも、いっしょに」


「今は、父上をお見送りする時です」


「ちちうえは、もう、たすけられない。でも、としいえは、たすけられるかもしれない」


 淀殿は俺の顔を長く見た。


「利家殿が御病であると、どこで知りました」


 しまった。


「……かおです。きのう、つかれていました」


 完全な嘘ではない。利家の顔色は悪かった。広間で畳に手をついたのも見た。淀殿は納得していなかったが、今は問い詰める余裕もなかった。


「……分かりました。利家殿には、お越しいただきましょう」


 その声に、少しだけ力が戻った。


 父を救えなかった。ならば、次の人を救う。俺もその考えにすがっていた。利家を長く生かせれば、家康を抑えられる。三成を孤立させずに済む。関ヶ原を防げる。半年でもいい。時間が増えれば、その間に仕組みを作れる。


「できる」


 小さく呟いた、その瞬間。


【警告】

キーパーソン依存 再発傾向


 俺は表示を見た。意味は分かっている。


 秀吉一人に頼ったせいで、今これほど苦しんでいる。それなのに俺は、秀吉の代わりに利家を置こうとしている。利家さえ生きていれば、何とかしてくれる。その発想は、秀吉の「皆で拾を守る」と何が違う。


 何も違わない。


 父の遺体と同じ屋根の下で、俺は四度目の人生最初の大きな間違いをしかけていた。


「ははうえ。としいえを、たすけたいです。でも、としいえがいなくても、だいじょうぶに、したいです」


 淀殿は、意味を全部は分からなかっただろう。それでも、ゆっくり頷いた。


「そういたしましょう」


【第一段階目標】

前田利家の健康維持

【同時並行目標】

キーパーソン依存度の低下

緊急時意思決定規則の策定


 一人を救う。しかし、一人に頼らない。


 父は死んだ。その事実は変えられない。だが、父が死ぬたびに国まで死ぬ仕組みは、変えられる。


 秀吉の死によって、俺の猶予期間は終わった。ここから先は、史実の時計との競争になる。


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