第73話 何のために
【豊臣家滅亡まで 残り5,655日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り316日】
「皆で目指すもの、とは」
三成が聞いた。
その問いが出た時点で、嫌な予感がした。
「とよとみけが、なんのために、あるか」
正則が、笑った。
「決まっておる。拾様を、お守りするためじゃ」
清正も、頷いた。
三成は、少し違う顔をした。
「天下の政務を、安んずるためにございます」
二つ。もう、違っていた。
淀殿なら、太閤の天下を、秀頼に渡すため、と言うだろう。北政所なら、太閤の作った泰平を壊さないため。家康なら、天下を二度と乱世に戻さないため。大老衆なら、自分の家を守りながら、豊臣の秩序に加わるため。商人なら、道と市を守るため。百姓なら、年貢が増えすぎないため。兵なら、帰る場所を守るため。
豊臣家の目的は、一つではなかった。
「それは、悪いことか」
正則が言った。
「いくつも、あるのは、わるくない。どれが、さきか、きまってないのが、あぶない」
たとえば、家康が縁組みを進める。豊臣の威光を守るなら、止める。天下の泰平を守るなら、認めることもある。秀頼の身を守るなら、家康と手を組む。太閤の遺志を守るなら、家康を抑える。
同じ一つの出来事で、答えが変わる。
評議が長いのは、人が愚かだからではない。目的が違うからだ。しかも、誰も、自分の目的を口に出さない。忠義。義。御為。天下。同じ言葉の下に、別のものを隠している。
「ためす」
俺は、三人に、一枚ずつ紙を配った。
《とよとみけに とって、いちばん だいじな もの を ひとつ かけ》
三人とも、少し考えてから、書いた。
正則。《拾様》
清正。《拾様と、家臣の、命》
三成。《公儀の継続》
似ていた。だが、違った。
俺も、書いた。
《とよとみけの そんぞく》
正則が、紙をのぞき込んだ。
「拾様と、豊臣家は、違うのでございますか」
違う。
俺が死んでも、家が残ることはある。俺が生きていても、家が回らないことはある。
前の世で、自分がいなくても回る会社を作ろうとした。社長が休んでも、倒れても、給金が払える会社を。だが、この世では、六つの俺自身が、豊臣家の旗だった。切り離せない。
「拾様」
三成が、静かに言った。
「豊臣家の存続とは、天下を保つことに、ございますか」
「……わからない」
三人が、黙った。
主君が、分からないと言った。
だが、本当に、分からなかった。天下を失っても、豊臣家が残れば、それは勝ちなのか。領地を減らしても、家来を守れれば、勝ちなのか。名前だけが残って、何の自由もなければ、勝ちなのか。戦って勝って、日本がもう一度乱れたら、勝ちなのか。
今、決めるには、俺は幼すぎた。体だけではない。知っていることも、見てきたことも、足りなかった。
「きめるまえに、さいていげんを、きめる」
俺は、祐筆に書かせた。
《豊臣家 仮の目的》
一、秀頼の命を守る
二、家臣と領民の命を、いたずらに失わない
三、天下の大きな戦を避ける
四、太閤の遺したものを独り占めせず、次の世に残す
五、この目的は、折を見て見直す
正則が、四つ目を見て、眉を寄せた。
「独り占めせず、とは」
「てんかは、とよとみ、だけの、ものじゃ、ない」
清正が、俺を見た。三成は、紙から目を離さなかった。
危うい言葉だった。天下人の子が、天下は自分の家のものではないと言う。淀殿が聞けば、怒る。
「拾様」
三成が、静かに言った。
「これは、太閤殿下の御遺志と、違うやもしれませぬ」
「うん」
「……よろしいのでございますか」
「とうさまの、いしが、とよとみけを、ほろぼすなら」
言いながら、喉が詰まった。
「……かえる」
部屋が、静かになった。
父を、否定した。初めてだった。
秀吉は、大きな人だった。人を集めた。戦を終わらせた。決まりを作った。熱い手で、俺の手を握って、秀頼を頼むと、何度も何度も言った。
だが、自分が死んだあとを、仕上げなかった。大老と奉行。秀頼への忠誠の誓紙。それは、仕組みに見えた。本当は、秀吉一人に向けた約束の束だった。秀吉がいない今、誰が読むかで、中身が変わる。
「豊臣家の一番の欠けは、決める権でございましょうか」
三成が聞いた。
「ちがう」
「財」
「ちがう」
「軍」
「ちがう」
「では」
俺は、仮の目的の紙を、持ち上げた。
「とうさまが、いなくなったあと。なにを、めざすかを、だれも、きめてないこと」
秀吉が、目的だったのだ。秀吉を勝たせる。秀吉の命を果たす。秀吉に褒められる。秀吉の天下を広げる。その人が死んだ。残った者たちは、手段だけを続けている。兵を持つ。城を持つ。金を集める。命を出す。何のためかは、誰も分かち合っていない。
「内府殿は、目的を、持っておられる」
清正が言った。
「徳川家を、残す」
三成が言った。
「戦を、終わらせる」
正則が言った。
「家来を、守る」
清正が付け足した。
全部、つながっていた。徳川家の目的は、完全でなくても、徳川の家来には分かっている。豊臣家の目的は、一人ずつ違う。
だから、家康は速い。豊臣は、遅い。
午後、奉行衆に、仮の目的を見せた。
前田玄以は、天下の泰平を掲げたことを褒めた。長束正家は、費えの責めがはっきりしないと言った。増田長盛は、徳川を刺激しないかと心配した。浅野長政は、「太閤殿下の御遺志」という言葉がないことを咎めた。
「いれますか」
三成が、俺に聞いた。
「いれない」
「なぜ」
「だれも、とうさまの、いしを、おなじように、せつめい、できないから」
太閤の遺志。便利な言葉だった。自分の考えを、死んだ者の口から言わせることができる。それを止めなければ、評議は永遠に終わらない。
新しい決まりを、一つ足した。
《亡き人の意向を理由にするときは、書状・書き物・何人かの証言を示すこと》
正則が、笑った。
「太閤殿下まで、治部の書類地獄に、お入りになるのか」
三成が、答えた。
「亡き方ほど、書き物が要りまする」
その通りだった。
奉行衆が帰ったあと、三成が、仮の目的の紙を、自分の手で書き写していた。
「どうして、うつすの」
「佐和山に、持って帰りまする」
「どうして」
三成は、筆を止めずに答えた。
「拙者の家中にも、見せとうございます。……拙者の家の者も、何のために拙者に仕えておるのか、たぶん、一人ずつ違いまする」
島左近の顔が浮かんだ。主人に内緒で、謝罪文の下書きを送ってきた家老。あの男は、何のために、三成に仕えているのだろう。
「さこんは、なんて、いうかな」
三成は、初めて筆を止めた。
「……左近は、殿が危なっかしいゆえ、と申しまする。いつも」
「……そっか」
危なっかしいから、仕える。それも、立派な目的だった。
夜、数字が開いた。
【豊臣家の一番の欠け 特定】
皆で目指すものがないこと
崩れへの寄与 36%
決める権より、財より、大きかった。
【仮の目的 分かち合えている割合】
中枢の家臣 22%
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.9% → 96.5%
下がった。と思ったら、もう一行出た。
【徳川家康 豊臣家への警戒】
41% → 47%
目的をはっきりさせただけで、家康の警戒が、上がった。
【理由】
自ら動ける家に変わりつつあるのを、察知
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.5% → 96.7%
強くなれば、警戒される。弱ければ、呑まれる。
そのとき、廊下を急ぐ足音がした。淀殿付きの侍女だった。顔が、青かった。
「拾様。……御方様が、お呼びにございます」
仮の目的の紙の写しを、誰かが奥に届けたらしかった。
「ははうえは、おこってる?」
侍女は、答えなかった。
答えないことが、答えだった。
三成と清正と正則が、同時に立ち上がった。
「供をいたす」
「ついて参りまする」
「わしも行くぞ」
三人の声が、きれいに重なった。




