第71話 蔵の金は石
第71話 蔵の金は石
【豊臣家滅亡まで 残り5,664日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り325日】
翌日、三成は、朝から機嫌が悪かった。
顔は、いつもと同じだった。だが、紙を机に置く音が、少し強かった。
「どうしたの」
「徳川殿の帳面を、見せていただけませなんだ」
当然である。敵に帳面を見せる家はない。
「されど」
三成は、机の上に紙を三枚並べた。
「見ずとも、分かることがございまする」
一枚目。徳川領の年貢の推し量り。二枚目。軍役の重さ。三枚目。普請と街道にかかる費え。
「どうやって、しらべたの」
「商人への払い。蔵米の動き。人足の雇い入れ。馬の買い付け。いくつもの書き物を、重ね合わせました」
三成は、楽しそうだった。人の心は読めない。だが、帳面は読める。昨日、家康の屋敷に行けなかった分を、取り返そうとしているようにも見えた。
「徳川殿は、金を、貯めてはおられませぬ」
三成が言った。
「使っておられまする」
正則が、首をかしげた。
「使えば、減るであろう」
「普通は、減りまする」
三成は、紙の一か所を指した。
「徳川は、使うことで、次の実入りを増やしておりまする」
街道を直す。荷が早く届く。商人が増える。市が大きくなる。運上が増える。川を直す。新しい田ができる。米が増える。人が住みつく。兵も増える。
「おかねを、つかって、ちからに、かえてる」
「はい」
前の世なら、投資と呼ぶ。この世では、普請と呼ぶ。言葉は違っても、形は同じだった。
【人物評価:徳川家康】
新規表示:財政運営 100/浪費抑制 100
浪費抑制、百。人間らしさが、どこにもない数字だった。
「……ひゃく」
口から、こぼれていた。
清正が、こちらを向いた。
「何が、百でございます」
数字は、俺にしか見えない。しまった、と思ったが、もう遅かった。
「いえやすの。……むだづかい、しない、つよさ。ひゃくてん、まんてん」
三成が、紙から顔を上げた。少し考えてから、頷いた。
「……拙者の見立ても、同じにございます。費えに、ひとつも遊びがない。十のうち十。百のうち百、と申しても、外れませぬ」
「百という数は、本当にあるのでございますな」
清正が、感心したように言った。
「治部が自分の政務に点をつければ、それも百であろうな」
正則が笑った。
「ならば、治部を徳川へ送れば、天下は二日で片付くな」
三成が、本気で嫌そうな顔をした。
「参りませぬ」
「冗談じゃ」
「冗談でも、人の役替えは、はっきりさせていただきたい」
好感度十七。健在だった。
それから、豊臣家の蔵と比べた。
金銀は、ある。太閤の遺した蔵。金山と銀山からの上がり。直轄の領地。堺や博多の商いの町。寺社からの納め物。数字だけ見れば、徳川よりずっと豊かだった。
だが。
「かねは、ある」
三成が言った。
「使える金が、ございませぬ」
「同じではないのか」
正則が聞いた。
「違いまする」
三成は、言い切った。
「蔵の金は、使う権がなければ、石にございます」
「金なのに、石か」
「石にございます」
たとえば、大坂城の屋根の修繕。誰が命じるのか。淀殿か。秀頼か。奉行衆か。大老衆か。費えは、太閤の蔵から出すのか。大坂城の蔵か。直轄の領地からか。それを決めるだけで、書状が何往復もする。その間に、屋根から雨が漏る。
家康の屋敷なら、担当の役が決める。上限を超えたら、家老に上げる。それだけだ。
豊臣家には、金がないのではなかった。決める権がないのだ。
「たいこうでんかは、ひつようなら、だされた」
清正が言った。
「それゆえ、決まった費えの枠が、要らなんだのでございます」
三成が答えた。
秀吉が聞く。秀吉が決める。秀吉が出す。足りなければ、秀吉がどこかから持ってくる。
創業の主が、財布そのものだったのだ。主が死んで、財布だけが残った。中身はある。開ける手が、ない。
前の世で、そういう会社を見た。創業の社長だけが、金庫の番号を知っていた。社長が倒れた。会社には金があるのに、給金が払えなかった。笑えない話だった。
「つかいみちの、わくを、つくる」
三成の目が、光った。清正が、嫌な顔をした。正則は、眠そうだった。
「まず、ひようを、わける」
城。軍。他家との付き合い。朝廷。寺社。薬と医者。町。災い。帰った兵と家来の扶け。
項目ごとに、上限と、担当を置く。一定の額までは、担当が決める。超えたときだけ、評議に上げる。
清正が、手を挙げた。この頃、皆、手を挙げる。
「軍の費えは、足りぬとき、増やせまするか」
「わけを、しめしたら」
「戦は、わけを待ちませぬ」
正しかった。
「じゃあ、いそぎの、わくを、つくる」
三成が、すぐ書いた。
正則が、手を挙げた。
「宴の費えは」
「削りまする」
三成が答えた。
「なぜじゃ」
「急ぐ度合いが、低うございます」
「人の心を保つ費えじゃ」
正則が、言い返した。
清正が、笑った。
「珍しく、正則が正しい」
宴は、ただの無駄ではない。噂が集まる。疲れた者が休まる。仲がつながる。ただし、上限は要る。
「酒代」
三成が、紙に書いた。
「人心維持費じゃ」
正則が、直させようとした。
「酒代にございます」
「人心維持費じゃ!」
二人が、紙の上の二文字と五文字を奪い合った。
俺は、祐筆に、両方書かせた。
《人心維持費(酒宴分)》
正則は、満足した。三成は、不満だった。
決まりというのは、全員が少しずつ不満な形のことだ。
午後、評議のために城に上がってきた家康に、枠の話をした。反対されると思った。
家康は、驚かなかった。
「よいことでござる」
「はんたい、しないの」
「なぜ、反対を」
家康は、ゆっくりと茶を飲んだ。
「豊臣家が、強うなりまする」
それから、湯呑みを置いて、付け足した。
「されど、強うなることと、まとまることは、同じではござらぬ」
刺さった。
家康は、知っている。豊臣家の欠けているところは、金ではない。権の在りかだ。信用だ。目指すものだ。枠を作っても、誰も同じ目的を持っていなければ、今度は枠の奪い合いになる。
帰っていく家康の背中は、少し丸かった。だが、足取りは、若い者より確かだった。
家康が帰ったあと、三成が、ぽつりと言った。
「……内府殿は、なぜ、あのようなことを、わざわざ拾様にお教えになったのでございましょう」
「わからない」
「黙っておれば、豊臣家は、枠の奪い合いで、自ら崩れまする。徳川にとっては、その方が都合がよいはずにございます」
三成の言うとおりだった。家康は、敵に、自分の弱みの在りかを教えたようなものだった。
「……ためしてる、のかも」
「試す」
「おれが、きづくかどうか」
あるいは、本当に、豊臣家に崩れてほしくないのかもしれなかった。崩れた豊臣家は、家康にとっても、厄介な火種だ。大坂城に、行き場を失った浪人が集まる。十五年後に、実際にそうなる。
家康は、それを、今から見ているのかもしれなかった。
三成は、しばらく黙ってから、帳面の端に、小さく書いた。《内府、試す》。そして、その横に、もう一つ。《あるいは、案ずる》
二つとも、消さなかった。
その夜も、評議の間には、灯りがついていた。三成と清正と正則が、まだ残って、枠の書き付けを直していた。
数字が開いた。
【豊臣家 財の診断】
持っている金銀 S
年の実入り A
使い方の統制 E
権の明らかさ F
先を見た使い方 D
総合 C
S、A、E、F、D。上から下へ、坂を転げ落ちるような並びだった。
黙っていられなかった。三成の机から紙を一枚もらい、筆を取った。五つの段を書いて、それぞれの横に、印をつけた。
蔵の金銀に、二重丸。年の実入りに、丸。使い方の締まりに、三角を書きかけて、ばつに直した。権の在りかに、大きなばつ。先を見た使い方に、ばつ。
正則が、横からのぞき込んだ。
「……二重丸と丸のあとは、ばつばかりではないか」
「うん」
清正が、一番大きなばつを、指でつついた。
「これは、何の段でございます」
「だれが、きめるか」
清正は、何も言わずに、指を引っ込めた。
正則が、紙を、ひらひらさせた。
「金持ちなのに、貧乏な評価じゃな」
「かねもち、だから。こわれたとき、うばいあいに、なる」
三成が、紙を閉じた。
「……拾様の申された、徳川殿の百は、金の多さではございませぬ」
「うん」
「決めたことを、やり遂げられる見込み、にございます」
三成は、そう言って、自分の帳面の表紙を、指でとんとんと叩いた。
【豊臣家】
手つかずの案件 284 → 251
三十三件。減った。
俺は、少し喜んだ。
次の表示が出た。
【徳川家】
手つかずの案件 0
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.0% → 96.8%
差は、まだ遠かった。
その夜遅く、正則の家来が、小さな包みを届けに来た。中には、干し柿が三つ入っていた。添え書きが一枚。
《人心維持費より》
酒ではなかった。俺は、一つ食べた。甘かった。
残りの二つは、明日、三成と清正に一つずつ渡そうと決めた。人心維持費は、正しく使わなければならない。




