第66話 一足の草鞋
【豊臣家滅亡まで 残り5,675日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り336日】
休養日は、翌日、評議になった。
失敗である。
「やすむって、いったよね」
三成は、真顔で答えた。
「座っております」
「ひょうぎ、しながら」
「はい」
「それは、やすみじゃない」
「立っておりませぬ」
清正が、横を向いた。肩が揺れていた。正則は、隠さなかった。畳を叩いて笑った。
「治部。お前は、時々、恐ろしく面白いな」
「褒められておる気が、いたしませぬ」
褒めてはいない。
だが、昨日の半日で、三人の顔色は少しだけ良くなっていた。清正の目の下の隈が、ほんの少し薄い。三成は、朝餉をちゃんと食べてきたらしい。正則は、まだ水を飲んでいた。
それで、評議は始まってしまった。
議題は、朝鮮の役だった。
これまで、何度も語られてきた。三成が悪い。清正が無謀だった。現場が命に背いた。奉行が現場を知らなかった。海が荒れた。兵が足りなかった。太閤が遠くにいた。どれも、一部は正しい。だから、どれも終わらない。
「きょうは、ひとの、なまえを、けす」
俺は、畳の上に、大きな紙を広げた。
山。海。港。城。街道。船。倉。兵。馬。鉄砲。火薬。米。塩。薬。着物。草鞋。
それを、全部、線で結んでいった。筆が短くて、端まで届かない。三成が、黙って紙の向こう側を持ち上げてくれた。
「ひとじゃなくて、ものの、ながれを、みる」
三成の目の色が、変わった。得意なところだった。
清正も、身を乗り出した。現場で、何度も見てきた流れだった。
正則は、少し遅れて、紙の真ん中にどかりと座った。
「わしは、何を見ればよい」
「へいが、どこで、はらをたてたか」
「それなら分かる」
分かるのか。だが、大事なことだった。
米は、最初、大坂にあった。堺にも、博多にも、名護屋にもあった。問題は、その先だった。船に積む。海を渡る。港で降ろす。倉に入れる。前線に運ぶ。どこか一つが遅れれば、全部が遅れる。
「ここにございます」
三成が、釜山から先を指した。
「海路の運びが、見込みより遅れました」
清正が、首を横に振った。
「違う」
部屋の空気が、少し硬くなった。以前なら、ここで三成が反論し、清正が怒鳴り、正則が机を叩いた。
清正は、声を落として続けた。
「遅れたのではない。届く日が、初めから、決まっておらなんだ」
三成の眉が、動いた。
「風がある。波がある。敵がある。船頭がおる。荷を積む者がおる。同じ道を、同じ日数で進むと考えることが、間違いじゃ」
三成は、反論しなかった。紙に書いた。《運ぶ日数》。その横に、もう一つ。《幅》。
「幅とは」
清正が聞いた。
「一番早い日と、一番遅い日にございます」
三成が答えた。
「五日で届くなら、五日と書くのではなく、五日から十五日と書く。十五日を過ぎても来なければ、次の手を打つ」
清正が、ゆっくりと頷いた。
一つ、前提が変わった。
次は、倉だった。
「前線の倉は、各将が守りました」
三成が言った。
「違う」
また、清正だった。
「各将が、奪い合うた」
正則が、低く笑った。
「その通りじゃ。腹が減れば、忠義より米よ」
誰が先に着いたか。誰が多く働いたか。誰の兵が多いか。誰が太閤に近いか。米を奪う理由は、いくらでも作れた。
三成は、倉の絵の横に書いた。
《分け方の決まり なし》
《異を唱える道 なし》
《倉の中身を知らせる なし》
清正が、三成を見た。
「それじゃ」
「何が、でございましょう」
「倉の中身を、わしらは、知らなんだ。足りぬと言えば、奉行はあると言う。あると言えば、兵は食えぬと言う。……誰も、同じ数を、見ておらなんだ」
三成の顔が、固くなった。
「偽りの知らせも、ございました」
「当然じゃ」
清正は、静かに言った。
「少なく言えば、取り上げられる。多く言えば、次は送ってもらえぬ。正しい数を言う者が、損をする仕組みであった」
その言葉は、重かった。
三成は、しばらく紙を見ていた。
限られた米を、手柄の多いところへ送る。理屈は正しい。三成が作った決まりだった。だが、しくじりを知らせた者の米が減るなら、誰もしくじりを知らせなくなる。その瞬間、正しい数が、帳面から消えたのだ。
三成は、目を閉じた。
正則が、紙の端を指差した。
「ここもじゃ」
「どこでございましょう」
「草鞋」
小さかった。紙の一番端に、三成が小さく書いていた二文字だった。
だが、兵は歩く。草鞋が切れれば、足が切れる。足が切れれば、遅れる。遅れれば、米が届かない。米が届かなければ、村を襲う。村を襲えば、敵が増える。
戦は、大きな軍略だけで負けるのではない。一足の草鞋で、崩れる。
「鉄砲の数は、皆、数える」
正則が言った。
「されど、草鞋の数を数える者を、皆、笑うた」
三成が、静かに答えた。
「……拙者は、数えました」
正則が、三成を見た。
「知っておる」
「では」
「だから、腹が立つのじゃ」
正則の声が、低くなった。
「数えたのに、届かなんだからじゃ」
沈黙が落ちた。
三成は、逃げなかった。
「……はい」
それだけ言った。
清正が、紙の上の草鞋の二文字を、指でなぞった。
「治部。お前一人の咎ではない」
三成の指が、止まった。
「されど、お前に咎がないわけでもない」
「はい」
「わしの咎もある」
清正は、自分の城の印を指した。
「前へ進めば、後ろがついてくると思うておった。わしの兵が前に出すぎたせいで、船の着く港が、毎月変わった」
正則が、頭を掻いた。
「わしは……兵に食わせるため、よその倉へ怒鳴り込んだ。そのせいで、よその兵が食えなんだ。……宇喜多殿の兵じゃった」
三人が、自分のしくじりを、一つずつ、紙の上に置いていった。
初めてだった。誰が悪いかではなく、どこで壊れたかを、三人で一緒に見たのは。
俺は、最後に、紙の一番上に、一つ書いた。
《もくてき》
「勝つこと」
清正が言った。
「命を、果たすこと」
三成が言った。
「兵を、帰すこと」
正則が言った。
三つとも、違った。同じ軍の中にいて、三人は、別々の戦をしていたのだ。
俺は、その下に書いた。
《みんなを、かえす》
勝つことも、命を果たすことも、そのための手段にする。
清正が、紙を見た。三成も、正則も、見た。誰も、反対しなかった。
紙を見ていた正則が、ふいに言った。
「……わしらは、同じ船に乗っておったのにのう」
「船は、別々にございました」
三成が、訂正した。
「そういう意味ではない」
「では、どういう意味でございましょう」
正則は、答えに詰まった。清正が、代わりに言った。
「同じ海を渡った、という意味じゃ」
三成は、少し考えた。
「……同じ海を、渡りました」
そう言い直して、紙に、海の青い線を一本、太く引き直した。港と港を結ぶ、三人とも通った道だった。
【朝鮮の役 失敗の分析】
人の名を除いた原因の特定 41%
【次に大軍を動かすとき】
兵糧の崩れる見込み 64%
六十四。高かった。
俺は、紙を畳まなかった。
この失敗は、終わっていない。関ヶ原が起きれば、また同じ道を、今度は日本の中で、繰り返す。美濃の山道で。近江の湖沿いで。草鞋の切れた兵が、村を襲う。
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.0% → 96.8%
評議が終わったあと、三成が、紙の端の草鞋の二文字を、小刀で丁寧に切り取った。
「……それ、どうするの」
「持っておきまする」
三成は、切り取った小さな紙片を、懐の奥にしまった。干し飯の袋と、足軽の母の紙と、十二人の名と、同じ場所に。
三成の懐は、日に日に、重くなっていく。
正則が、それを見て、ぼそりと言った。
「治部の懐は、そのうち、具足より重うなるぞ」
三成は、少し考えてから答えた。
「……具足よりは、軽うございます」
冗談なのか本気なのか、誰にも分からなかった。




