第65話 英雄は疲れている
【豊臣家滅亡まで 残り5,676日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り337日】
翌朝、正則は、酒を飲まなかった。
正確に言えば、朝からは、飲まなかった。
「……褒めてよいのでございましょうか」
三成が、真顔で俺に聞いた。
「きじゅんを、さげすぎないで」
そう答えたが、小さな進歩ではあった。これまでの正則は、夜の酒を、そのまま朝まで持ち込んでいた。今日は、縁側で水を飲んでいた。ひどく苦そうな顔で。
「水は、味がせぬ」
「水ですから」
三成が言った。
「酒には、味がある」
「酒だからにございます」
会話は、成り立っていた。たぶん。
清正は、少し離れた縁側に座って、庭を見ていた。
いつもの清正なら、城の石垣を見ている。門の幅を目で測り、櫓の位置を確かめ、石の積み方に文句をつけている。今日は、何も測っていなかった。ただ、庭の松の、どこでもないところを見ていた。
俺は、その隣に座った。
「とらのすけ。ねむれた?」
清正の肩が、わずかに動いた。
「眠りました」
答えが、速かった。速すぎた。
前の世でも、同じだった。徹夜明けの部下ほど、よく寝ましたと即答する。
「なんこく」
「……二刻ほど」
少なかった。
「ゆめは」
「見ませぬ」
また、速かった。
清正は、庭を見たまま、ぽつりと付け足した。
「夢を見るほど、深くは、眠っておらぬのでございましょう」
正則が、水の椀を置いた。三成の筆が、止まった。朝の縁側が、静かになった。
朝鮮から戻った者たちは、帰国はした。だが、戦場から、戻ってはいなかった。
大きな音がすれば、鉄砲を思い出す。雨が降れば、泥に沈んだ荷駄を思い出す。冷えた飯を見れば、凍えた兵を思い出す。書状が遅れれば、届かなかった命を思い出す。眠れば、帰れなかった者たちが出てくる。
だから、眠らない。働く。怒る。酒を飲む。城を築く。帳面を書く。
三人とも、別のやり方で、戦場を遠ざけていたのだ。
【人物評価・補足:加藤清正】
慢性疲労 83
睡眠 不足
助けを求める意思 4
四。低い。だが、零ではなかった。
「とらのすけ。やすんで」
「無理にございます」
即答だった。四が、三に下がった気がした。
「どうして」
「城の普請がございます」
「だれかに、まかせて」
「任せられる者を、育てておるところにございます」
「じゃあ、まかせて」
「まだ、育て終えておりませぬ」
休まない人間の、完璧な理屈だった。前の世で、何百回と聞いた理屈だった。
そのとき、三成が、静かに口を開いた。
「加藤殿」
清正が、少し身構えた。
「何じゃ」
「肥後の普請奉行につきまして」
三成は、手元の紙を見た。
「飯田覚兵衛殿。森本儀太夫殿。庄林隼人殿。いずれも、加藤殿が大坂におられる間、普請を一日も止めておりませぬ」
清正が、三成を見た。
「……なぜ、知っておる」
「知らせが、参っております」
「誰から」
「三名、全員から」
三成は、懐から書状を三通、取り出した。清正の前に、一通ずつ並べた。
清正は、読んだ。一通目を読み、二通目を読み、三通目で、手が止まった。長いこと、止まっていた。
「……勝手なことを」
低い声だった。
「殿が、お休みになられませぬので、我らが仕事を覚えねばならぬ、と。三通とも、同じことが書いてございます」
三成が言った。
清正の眉が、動いた。怒るか、と思った。泣くか、とも思った。
どちらでもなかった。清正は、ただ、ひどく困った顔をした。自分の家来に先回りされた主人の顔だった。
正則が、鼻を鳴らした。
「家来にまで、休めと言われておるぞ、虎之助」
「お前が言うな」
「わしは昨夜、徳利を下げた」
「一晩だけであろうが」
「一晩は、一晩じゃ」
四十前後の武将二人による、子供の喧嘩だった。俺は、笑いそうになった。
だが、笑えなかった。
清正の、書状を持つ指が、小さく震えていた。疲れか。寒さか。怒りか。記憶か。たぶん、一つではなかった。
三成も、その指を見ていた。何も言わなかった。代わりに、もう一枚、紙を出して、清正の前に置いた。
《加藤主計頭 休養時 職掌代行案》
清正が、それを読んだ。代わりの者の名。任せる仕事の範囲。急ぎのときの知らせ方。清正が戻る日。細かく、正確に、書いてあった。
「……いつ作った」
「昨夜にございます」
「寝たのか」
三成が、止まった。
【人物評価・補足:石田三成】
昨夜の睡眠 一刻半
今度は、俺が頭を抱えた。
「みつなりも」
「拙者は、戦場へは出ておりませぬ」
「だから、つかれないの?」
三成は、答えなかった。
戦場に出なかった者にも、戦は残る。届かなかった兵糧。間違った数字。遅れた船。死んだ者の名。三成は、ずっと、帳面の中で戦を続けていたのだ。十二人の遺族の名を書き取った夜から、たぶん、一度も、まともに眠っていない。
【人物評価・補足:石田三成】
慢性疲労 79
自責 88
休む必要 91
休む意思 1
一。清正より、低かった。
「みんな」
俺は、三人を見た。
「きょうは、やすんで」
三人が、同時に俺を見た。
「拾様。本日の議題が」
三成が言った。
「やすむのが、ぎだい」
「決裁の案件が」
「あした」
「急ぎのものが」
「ほんとうに、いそぎなら」
言いかけて、少し詰まった。
利家の顔が浮かんだ。仲が悪くても、話せる道を残せ。そう言って、毎晩、誰かの話を聞いていた人。休まなかった人。休まないまま、死んだ人。
「ほんとうに、いそぎなら。みんなが、いなくても、できるように、して」
三人が、黙った。
「やすめないのは、ちゅうぎじゃない。くみの、こわれてるところ」
庭の松が、風で揺れた。
清正が、目を閉じた。一瞬だけ。
正則が、水を飲んだ。今度は、苦そうな顔をしなかった。
三成が、筆を置いた。置いて、その手を、どこに置けばいいのか分からないように、膝の上でしばらく迷わせていた。
その日、国は何も変わらなかった。関ヶ原の数字も、下がらなかった。
だが、三人の英雄が、半日、仕事をしなかった。
清正は、縁側で、昼過ぎまで眠った。座ったまま、柱にもたれて。正則は、その横で、清正が倒れないように、黙って肩を貸していた。起きたら文句を言われるのが分かっているのに、半刻、身動きもしなかった。
三成は、城の一室で横になった。前と同じように天井を見ていたが、今日は、節穴を数えていなかった。いつの間にか、眠っていた。
昼下がり、俺は、眠っている三人の間を、足音を忍ばせて歩いた。
清正の寝息は、大きかった。朝鮮の城でも、たぶん、こうやって柱にもたれて眠ったのだろう。兵に粥を分けて、自分は食わずに。
正則は、清正に肩を貸したまま、自分もいつの間にか舟を漕いでいた。二人の頭が、こつんとぶつかった。二人とも、起きなかった。
三成の部屋をのぞくと、枕元に、筆と紙が揃えて置いてあった。起きたら、すぐに仕事に戻るつもりなのだ。俺は、その筆を、そっと文机の引き出しにしまった。
弥七が、廊下で俺を見ていた。
「拾様は、お休みにならぬのでございますか」
「……おれは、いい」
弥七は、何か言いたそうな顔をした。言わなかった。雨の日が好きな少年は、晴れた日の昼に、俺の分の座布団を、縁側に一枚、黙って敷いていった。
座らなかった。座れば、眠ってしまう気がした。
【豊臣家組織診断】
主要な者の休養 初めて達成
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.1% → 97.0%
その下に、小さく、もう一行、出た。
【主人公の休養 未達成】
俺は、表示を閉じた。見なかったことにした。
閉じる直前、表示の一番下で、何かが、かすかに瞬いた気がした。
封印スキル:???[解放条件:託された者が、――を休ませること]
空欄の二文字が、ほんの一瞬だけ、明るくなって、また暗くなった。
誰を休ませればいいのか。清正は休んだ。正則も休んだ。三成も休んだ。それでも、空欄は埋まらなかった。
その夜、俺は、布団の中で、明日の評議の段取りを考えていた。考えているうちに、夜が明けた。




