第64話 感情制御二十五
【豊臣家滅亡まで 残り5,677日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り338日】
三日後、測定が終わった。
【人物評価:福島正則】
感情制御 25
低い。思ったより、低い。いや、思った通りかもしれない。
数字の下に、細かい内訳が出ていた。
平常時 58
酒の席 18
仲間を侮られたとき 5
石田三成が関わるとき 測定不能
最後の一つは、数字ですらなかった。俺は、頭を抱えた。
その日は、正則の「聞く稽古」の初日だった。相手は、福島家の帰還兵三人。一人目は、腕に傷を負った者。二人目は、片方の耳が聞こえなくなった者。三人目は、傷はない。だが、夜になると眠れない者。
正則は、始まる前から、落ち着きがなかった。部屋の中を、うろうろと歩き回っていた。戦の前には眉一つ動かさない男が、人の話を聞く前に、緊張していた。
「何を、聞けばよいのでございますか」
「あいてが、はなすまで、まって」
「どれほど」
「ひつような、だけ」
「……長いな」
「ながい」
三成も、書き留め役として来ていた。清正も、仕事の相談役として来ていた。正則は、二人を見て、顔をしかめた。
「なぜ、治部まで」
「記録が要りまする」
「虎之助だけでよかろう」
「決まりに、反映いたしまする」
「拾様が書かれればよい」
「おれ、むっつ」
今さらだが、便利な言葉だった。本当は、六つの子供に評議を任せるな、と言いたいのはこちらの方だった。
一人目の兵が入ってきた。
正則は、兵の真正面に、膝が触れそうなほど近くに座った。近い。怖い。兵の肩が、目に見えて強張った。
「名は」
兵が、名乗った。
「傷は」
兵が、袖をまくって、腕を見せた。肘から先が、うまく曲がらないようだった。
「痛むか」
「雨の日は」
「働けるか」
「畑は、難しゅうございます」
「では、槍は」
「……握れませぬ」
正則の顔が、みるみる険しくなった。眉間に深い皺が寄り、口がへの字に曲がった。
兵が、体を固くした。怒られると思ったのだ。
違った。正則は、自分に怒っていた。こんな体で帰した自分に。だが、顔だけ見れば、兵に怒っているようにしか見えなかった。
「まさのり」
俺は、小さく言った。
「かお」
「顔が、何でございます」
さらに怖くなった。
「おこってないって、いって」
正則は、兵を見た。
「……お前に、怒っておるのではない」
まっすぐな言葉だった。兵が、少しだけ息を吐いた。
「すまぬ。帰したあとを、見ておらなんだ」
兵は、うつむいた。
「殿の、せいでは」
「わしのせいでなくとも、わしの役目じゃ」
その一言で、兵の目から、涙が落ちた。
正則は、慌てた。
「な、なぜ泣く」
聞くな。今は、待て。俺は、手で合図をした。正則は、口を閉じた。
長い沈黙だった。正則にとっては、たぶん、戦より長い時間だった。膝の上の拳が、何度も開いたり閉じたりした。
やがて、兵が言った。
「……もう、役に立たぬと、思うておりました」
正則の顔が、また険しくなった。
「誰が、言うた」
仲間を侮られたとき、五。数字が、そちらへ近づいていくのが見えた。
「誰も。……自分で」
正則が、止まった。怒る相手が、いなかった。
「……ならば、わしが、仕事を決める」
清正が、すぐに口を挟んだ。
「腕を使わぬ仕事なら、蔵の見張りがある」
三成が言った。
「読み書きは」
「少し」
「習えば、帳面の手伝いもできまする」
三人が、一人の兵に、それぞれ違う道を出した。兵は、泣きながら、何度も頭を下げた。
二人目は、片方の耳が聞こえない兵だった。
正則は、今度は、聞こえる耳の側に座った。声も、少しゆっくりにした。学んでいた。
「困ることは」
「後ろから呼ばれると」
「聞こえぬか」
「はい」
「ならば、後ろに人が立たぬ仕事じゃ」
大ざっぱだった。だが、向きは正しかった。船の帳場。門の出入りの確かめ。壁を背にした見張り。清正と三成が、中身を詰めた。
三人目は、若い兵だった。二十にもならない。傷はなかった。見た目には、元気そうだった。
正則は、ほっとした顔をした。
それが、危なかった。
「お前は、働けるな」
若者の顔が、固まった。
「……はい」
「ならば、何が困る」
若者は、黙った。
正則は、待った。昨日までなら、急かしていた。今日は、待った。長かった。とても、長かった。障子の向こうで、風が鳴った。
「……夜に」
若者が、言った。
「うむ」
正則が、声を落とした。
「眠れませぬ」
「なぜじゃ」
「分かりませぬ」
「……音か」
若者の肩が、震えた。
「太鼓が」
「今も、聞こえるか」
「……はい」
部屋に、太鼓はなかった。だが、この若者には、聞こえているのだ。
「酒は」
「飲めば、少しは」
正則の顔に、何かが浮かんだ。分かった、という顔だった。家来にもいる。そして、たぶん、自分にも。
「……わしもじゃ」
三成の筆が、止まった。清正が、正則を見た。
「戦のあと、静かな夜ほど、誰かが来る気がした」
若者が、顔を上げた。
「寝れば、置いていかれる気がした。……それで、朝まで飲んだ」
初めてだった。正則が、家来の前で、自分の弱いところを話したのは。
若者の目から、涙が出た。正則は、今度は、なぜ泣くとは聞かなかった。ただ、そこに座っていた。大きな背中を少し丸めて、若者の隣に、ずっと座っていた。
それから、一つずつ話した。僧のこと。医師のこと。同じ思いをした兵と話す場のこと。夜の見回りではない仕事。酒を少しずつ減らす工夫。治すことではない。だが、一人にはしない。
稽古が終わると、正則は、ぐったりと畳に手をついた。
「……戦より、疲れる」
「ひとの、はなしを、きくのは、つかれる」
正則が、三成を見た。
「治部。お前は、毎日これをしておるのか」
「拙者は、話より、書状にて」
「だから、駄目なのじゃ」
三成の眉が、ぴくりと動いた。危ない。
だが、正則は続けた。
「書状では、相手が泣いておるか、分からぬ」
三成は、黙った。
「……その通りにございます」
正則が、驚いた。清正も、驚いた。俺も、かなり驚いた。三成が、人前で、すぐに認めた。
そのとき、廊下で大きな音がした。
小姓が、運んでいた徳利を落としたのだ。割れた徳利から、酒の匂いが広がった。
正則が、立ち上がった。
「誰の酒じゃ!」
小姓が、震え上がった。
「ふ、福島様の御家中より……」
「拾様が禁じたであろうが!」
自分の家来に怒っている。正しい。だが、声が大きすぎた。小姓は、今にも泣き出しそうだった。
「まさのり」
「はっ!」
「かんじょう、せいぎょ」
正則が、止まった。
感情制御の数字が、一瞬、二十四に下がった。
正則は、深く息を吸った。一度。二度。三度。
「……小姓」
声が、少し小さくなっていた。
「お前に、怒っておるのではない」
今日、覚えた言葉だった。
「わしの家来に、伝えよ。酒は、わしの名で運ぶな、と。それと……」
皆が、正則を見た。正則は、ひどく苦しそうな顔をした。
「……徳利は、下げよ」
【人物評価:福島正則】
感情制御 25 → 26
一。一だけ。俺は、思わず笑った。
「何が、おかしゅうございます」
「なんでも、ない」
「今、笑われましたな」
「くちのはしが、いちぶ、うごいた、だけ」
三成の言葉を借りた。正則が、俺を見た。そして、笑った。清正も、三成も、少しだけ笑った。
その笑いの中で、数字が開いた。
【豊臣家組織診断】
武断派内部の結束 88
武断派・奉行衆の対立 71
関ヶ原級全国内戦 発生見込み 91%
九十一。下がっていなかった。
笑いが、止まった。
三人が、少しずつ変わっても、国は待ってくれない。家康の、大名同士の縁組。家康に近づく諸大名。会津の上杉への疑い。黙ったままの毛利。盤の上で、あちこちの駒が動いていた。
正則の感情制御を一つ上げている間に、歴史は、十進んでいた。
【関ヶ原級全国内戦阻止 成功率】
10% → 10%
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.8% → 97.1%
「拾様。次は、何をなさいまする」
清正が言った。
俺は、三人を見た。現場を知る者。記録を持つ者。人の気持ちを動かす者。ようやく、一つの部屋にいる。
「つぎは」
俺は言った。
「いえやすどのが、なにを、みてるかを、みる」
次の戦場は、評議の間ではない。日の本、全部だった。




