第62話 急ぐ訴え
【豊臣家滅亡まで 残り5,683日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り344日】
掟を作ると、不満が出る。掟を作らなくても、不満は出る。
つまり、不満は、出る。
翌日、清正の屋敷から、人が来た。一人ではなかった。七人だった。
侍大将。兵糧奉行。船奉行。医師。足軽組頭。通詞。そして、名も身分も分からない、痩せた小者が一人。全員、朝鮮に渡った者たちだった。
「拾様が、現場の話を聞くと仰せでございましたので」
清正は、大真面目な顔で言った。本気だった。
七人は、広間の隅に、居心地悪そうに並んで座っていた。大坂城に上がるのは、全員が初めてだった。小者は、畳の縁を踏まないように、ずっと足を浮かせていた。
「……ひとりずつ、きく」
一人ずつ、別の部屋で話を聞いた。同じ戦の話だった。だが、見ていたものが、全員違った。
侍大将は、命令の話をした。いつ、どこで、誰の命で、どう動いたか。
兵糧奉行は、俵の話をした。何俵積んで、何俵降ろして、何俵が濡れていたか。
船奉行は、風の話をした。玄界灘の冬の風が、どれほど船を押し戻したか。
医師は、傷と熱の話をした。凍えた指を、何本切り落としたか。
足軽組頭は、草鞋のない兵の話をした。雪の上を、布を巻いた足で歩いた兵の話を。
通詞は、言葉の取り違えの話をした。和睦の使者の言葉を、一語だけ訳し違えて、話がこじれた夜の話を。
小者は、死んだ馬を捌いて食べた夜の話をした。
「……馬には、名前がついておりました」
小者は、膝の上の手を見ながら言った。
「黒丸、と。拙者が、毎朝、飼い葉をやっておりました。……それでも、食べました。うまかったのでございます。それが、今でも、情けのうて」
帳面には、どれも、書いていなかった。戦の報告にも、なかった。だが、それが、戦だった。
最後の一人は、足軽組頭だった。四十過ぎの、頬に古い傷のある男だった。話の終わりに、組頭は、ぼそりと言った。
「治部様は、我らのことを、数としか見ておられませぬ」
清正が、横で黙っていた。
「みつなりに、あったこと、ある?」
「ございませぬ」
「はなしたことは」
「ございませぬ」
「じゃあ、どうして」
組頭は、懐から一枚の紙を出した。書状の写しだった。何度も折り畳まれて、角がすり切れていた。
《兵糧不足の訴えについて》
《既定の量は、送付済みなり》
《不足は、現地の配分の不備と認む》
簡潔だった。正確だった。そして、冷たかった。
「腹を空かせて、この書状を読みましてございます」
組頭は、言った。
「我らが、盗んだと言われたのだと、思いました」
三成は、たぶん、「配分を確かめよ」と言いたかったのだ。だが、飢えた者が読めば、「お前たちが盗んだ」と読める。
言葉の違いだった。命の違いでもあった。
「……このかきつけ、みつなりに、みせても、いい?」
組頭は、清正を見た。清正が、頷いた。
「……構いませぬ」
その日の午後、三成を呼んだ。写しを渡した。
三成は、一度だけ読んだ。
「拙者の書状にございます」
「うん」
「中身に、誤りが」
「ない」
三成が、少し止まった。
「……では」
「うけとった、ひとは、せめられたと、おもった」
「配分を、確かめよと」
「そう、かいてない」
三成は、もう一度読んだ。《不足は、現地の配分の不備と認む》。認む。確かめる前に、決めていた。
「このとき、とどいた、りょうは」
昨日、清正と決めた言葉だった。三成の顔が、少し変わった。
「……届いた量は、分かっておりませなんだ」
「うん」
「ならば」
三成は、紙を見たまま言った。
「決めつけるべきでは、ございませなんだ」
自分で、言った。大きかった。本当に、大きかった。
「されど」
三成は、顔を上げた。
「現地での横流しも、実際に、ございました。それを見逃せば、ほかの兵が飢えまする」
そこも、正しかった。
「みつなり。ふせいを、うたがうなとは、いわない。みんなを、ぬすんだひととして、かくなって、いってる」
三成は、黙った。
前の世で、監査の仕事をしたことがある。数字が合わない。現場に問い合わせる。悪意を前提に聞けば、相手は隠す。無能を前提に聞けば、相手は怒る。事情から聞けば、本当に不正のこともある。本当に事故のこともある。どちらかを、最初から決めてはいけない。
「きよまさが、いやなのは、みつなりが、きびしいこと、じゃない」
言いにくかった。だが、言った。
「きくまえに、こたえを、きめること」
三成の目が、俺を見た。
正しい人間に、お前は聞いていない、と言う。それは、とても痛いことだった。言う方も、言われる方も。
「……拙者は、急いでおりました」
三成が、静かに言った。
「一つの知らせを待つ間に、十の判断が遅れまする。すべてを聞くことは、できませぬ」
それも、分かった。だから、仕組みが要るのだ。
「ぜんぶ、きかなくて、いい。きくものを、きめる」
兵が死ぬとき。兵糧が尽きるとき。退き道がないとき。命と現実が違うとき。現地の将が、異を唱えるとき。この五つのときだけは、大坂が決める前に、現地の言い分を聞く。
名前は、三成と玄以が考えた。
《急訴状》
急ぐ訴え。三成は、細かい条件を書き足していった。偽りの訴えは、罰する。だが、結果が悪くても、正直に知らせたこと自体は、罰しない。
書き上がった条文を、清正が読んだ。長いこと読んでいた。
「……本当に、知らせた者を、斬らぬのでございますな」
「偽りでなければ」
三成が答えた。
「しくじった者も、か」
「しくじったことだけを理由には、罰しませぬ」
清正は、三成を、長いこと見ていた。
「……朝鮮で」
清正は言った。
「これがあれば」
三成の筆が、止まった。
「何人かは、もっと早う、退けたかもしれぬ」
部屋が、静かになった。
誰か一人のせいにすれば、楽だった。三成が悪い。清正が悪い。秀吉が悪い。現場が悪い。だが、本当は違った。知らせた者が罰を恐れ、上は悪い知らせを疑い、命は遅れ、現場は勝手に変え、変えたことは隠された。仕組みの全部が、人を死なせたのだ。
「治部」
清正が言った。
「は」
「届いた量の件。わしの家中から、記録を出す」
三成が、少し驚いた顔をした。
「すべて、でございますか」
「出せるものは、全部」
「不正が、見つかるやもしれませぬ」
「ある」
「……よろしいのでございますか」
清正は、鼻から息を吐いた。
「見つけねば、また兵が飢える」
三成は、頭を下げた。深く。
「必ず。不正をした者と、しくじった者とを、分けまする」
清正は、すぐには答えなかった。やがて、言った。
「……頼む」
二文字だった。
三成への不満が、初めて、三成への頼みに変わった。
【人物評価:加藤清正】
石田三成への警戒 61 → 55
石田三成への業務依頼 12 → 39
仲良くならなくてもいい。仕事を頼めれば、組織は動く。……そう思いながら、少しだけ、寂しかった。頼むという言葉は、仲良くなるより、ずっと先にあるものだと思っていたからだ。
帰り際、例の足軽組頭が、三成の前で足を止めた。
「……治部様」
「は」
「あの書状を、今でも、恨んでおりまする」
三成は、何も言わなかった。
「されど、今日の急訴状は、清正様に、読み聞かせていただきました。……あれは、我らの言葉で、書いてございました」
組頭は、頭を下げて、出ていった。
三成は、しばらく戸口を見ていた。
「……われらの、ことばで、かいてあった、って」
「はい」
三成は、戸口から目を離さずに言った。
「恨んでおると、申されました」
「うん」
「……それで、よいのでございましょうか」
「いい。うらんでるって、いえるのは、きいてもらえると、おもったから」
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.2% → 96.9%
その夜、正則から、書状が届いた。
《治部と虎之助が、ようやく話した。祝いの宴を開く。拾様も来られよ》
嫌な予感しかしなかった。
祝うのが早い。そして、酒を出すな。絶対に。




