第61話 届いた俵
【豊臣家滅亡まで 残り5,685日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り346日】
正則をなだめるのに、結局、丸一日かかった。
「清正だけを、大事にしておるわけでは、ない」
翌朝、俺がそう言うと、正則は腕を組んだ。
「ならば、なぜわしは呼ばれなんだのでございますか」
「よぶまえに、きた」
「では、呼ばれたも同じにございますな」
違う。かなり違う。だが、六つの子供の口では、その違いを説明しきれなかった。
結局、清正から聞いた話を、正則も交えて整理することになった。三成も呼んだ。
三人が、一つの部屋に揃った。清正は、少し嫌そうな顔をした。正則は、はっきり嫌そうな顔をした。三成は、何の顔もしなかった。その無表情が、また二人の気に障る。始まる前から、部屋の空気は重かった。
俺は、机の上に、紙を一枚置いた。
上に、三つの欄を作った。
《現場で起きたこと》《大坂が知っていたこと》《その差》
「きょうは、だれが、わるいか、きめない」
正則が、すぐに手を挙げた。稽古以来、手を挙げる癖がついていた。
「治部が悪い場合も、でございますか」
「きめない」
三成が、口を開いた。
「清正殿が悪い場合も、決めぬのでございますか」
「きめない」
二人が、同じ顔をした。不服そうな、よく似た顔だった。
「おなじ、しっぱいを、にどと、しないため。それだけ」
「次の戦を、なさるおつもりで」
清正が、低く言った。
「しない」
即答した。
「だから、いくさいがいにも、つかえるかたちで、のこす」
食糧。運ぶ道。薬。知らせ。天気。船。人の入れ替え。戦だけの話ではない。川の普請にも、飢饉にも、疫病にも、同じ形が要る。
清正は、腕を組んだ。三成は、筆を取った。正則は、菓子を取った。
評議への加わり方が、三人とも違った。
「きよまさ。げんばで、こまったこと」
清正は、少し考えた。
「命が、届く頃には、戦の様子が、もう変わっておりました」
三成の筆が、動いた。
「何日にて」
「早くて十日。遅ければ、ひと月」
「それは、海の天気によりまする」
清正の眉が、ぴくりと動いた。
「知っておるなら、なぜ返事を急がせた」
「急がせねば、さらに遅れまする」
「遅れた命に、急いで従えば、兵が死ぬ」
「従わねば、全軍が崩れまする」
正しい。両方とも、正しい。
俺は、三つ目の欄に書いた。《命が遅れて届くことを、はじめから考えていない》
「つぎ」
「兵糧の量が、帳面と違うた」
三成の筆が、止まった。
「違った、とは」
「届いた俵が、少ない」
「積み出した数は、帳面の通りにございます」
「積み出した数では、腹は膨れぬ」
正則が、菓子を噛みながら、大きく頷いた。
「鼠が食う」
「濡れて腐る」
清正が続けた。
「船が沈む」
「船頭が抜く」
「役人も抜く」
正則が、指を折っていった。
「敵が奪う。……味方も奪う」
最後の一つで、部屋が静かになった。ひどい話だった。だが、本当のことだった。
三成が、顔を上げた。
「……運ぶ間に失われる割合は、見込んでおりました」
「足りぬ」
「それゆえ、追加を求めました」
「追加を求める書状が届く前に、兵は飢える」
また、両方正しかった。
俺は、紙に大きく書いた。
《出した量ではなく、届いた量で、数える》
三成が、すぐに言った。
「届いた量は、現地から知らせがなければ、分かりませぬ」
「知らせる者が、兵糧を運んでおる」
清正。
「別の者を置けばよろしい」
「人が足りぬ」
「ならば増やせばよろしい」
「食わせる口も増える」
声が、少しずつ大きくなっていった。正則が、菓子を置いた。まずい。正則が菓子を置くのは、机を叩く前触れだ。
「ふたりとも」
止まらなかった。
「ふたりとも!」
六つの子供が、怒鳴った。大名二人が、ぴたりと止まった。
情けない。俺も、この国も。
「げんばは、おおさかが、なにも、わかってないと、おもってる」
清正が、頷いた。
「おおさかは、げんばが、かってに、うごくと、おもってる」
三成は、否定しなかった。
「ほんとうは、どっちも、たりない、しらせで、きめてる」
誰も、全部は見ていない。三成は、国じゅうの兵糧と兵の数を見ている。清正は、目の前の城と兵を見ている。正則は、仲間の気持ちを見ている。俺は、この先の十六年を見ている。それでも、足りない。
「……現場を重んじるとは、現場の判断を先にすることでございますか」
三成が言った。
「ちがう。げんばの、しらせを、きめるまえに、いれること」
「では、大坂の都合も、入れるのでございますな」
清正が言った。
「うん」
「気に入りませぬ」
「拙者もにございます」
三成が言った。
二人が、同時に俺を見た。そこで意見が合うのは、やめてほしかった。
「きにいる、きまりを、つくるんじゃない。こわれにくい、きまりを、つくる」
評議は、昼を越えた。知らせの書き方。急ぎのときの裁量。運ぶ間の失い分。予備の兵糧。現地の責任者。大坂で確かめる期限。完全な答えは出なかった。
だが、最後に、一つだけ決まった。
《命が届くのを待てぬときは、現地の将が、理由を書き残して、変えてよい》
《変えたこと、それ自体を、罪としない》
三成は、条件をつけた。書き残すこと。期限。あとで確かめること。清正も、条件をつけた。兵を生かすこと。食糧のこと。退き道のこと。正則も、条件をつけた。
「殴られた者の言い分も聞け」
それは別の決まりだった。だが、大事なので、入れた。
評議が終わって、清正が立った。三成も立った。二人は、目を合わせなかった。
戸口で、清正が止まった。
「治部」
三成が、振り向いた。
「届いた量で数える案は」
「は」
「使える」
三成が、一瞬、止まった。
「……現地からの知らせが、要りまする」
「送る」
「遅れぬよう」
「海に言え」
「海には、命を出せませぬ」
「ならば、船頭に言え」
「……それは、できまする」
短かった。愛想もなかった。だが、話が、通じていた。
二人が出ていったあと、俺は、机の上の紙を見た。三つの欄のうち、三つ目の《その差》の欄だけが、びっしりと埋まっていた。
命が遅れる。俵が減る。知らせる者がいない。変えたことが隠される。叱られるのが怖くて、悪い知らせが遅れる。遅れた知らせを、上が疑う。
前の世の会社でも、同じ紙を何枚も書いた。支店と本社。工場と営業。どこでも、この欄が一番埋まった。人は違っても、形は同じだった。四百年経っても、人間は、同じところで行き違う。
違うのは、ここでは、行き違いが、そのまま人の命になることだった。
淀殿が、いつの間にか戸口に立っていた。
「……静かでしたね」
「え」
「襖も、机も、壊れませなんだ」
淀殿は、そう言って、机の上の紙をのぞき込んだ。三つ目の欄を読んで、少しだけ眉を寄せた。
「殿下も、これを、ご存じでしたでしょうか」
「……たぶん、しってた。でも、とうさまが、ぜんぶ、うめてた」
秀吉は、この欄を、自分一人で埋めていた。人たらしの力で。大声と、笑いと、涙と、贈り物で。秀吉がいなくなって、欄は空いた。空いたまま、誰も気づかなかった。
【豊臣家組織診断】
現場と大坂の知らせの断絶 82% → 74%
【人物評価・補足:石田三成】
現場理解 新規 22
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.4% → 97.2%
淀殿が戻っていったあと、ふと手元を見ると、俺の菓子の皿が空になっていた。
「……まさのり」
「は」
「それ、拾のかし」
「評議の兵糧かと思いましたゆえ」
「ちがう」
正則は、真面目な顔で言った。
「では、届いた量で、数えてくだされ。拾様の皿に届いたのは、一つもございませぬ」
覚えたばかりの言葉を、すぐに悪用する男だった。
その夜、清正から、四行の書状が届いた。
《届いた量で数える件》
《当家の兵糧奉行を出す》
《治部に会わせる》
《菓子は福島が食うた》
最後の一行は、要らない報告だった。




