第58話 不明と書く
【豊臣家滅亡まで 残り5,693日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り354日】
三成は、清正の屋敷へ、三日続けて通った。
十二人の家族の話を聞いた翌日から、清正が国元から呼んだ残りの遺族が、次々に大坂へ着いた。三成は、その一人ずつに会い、仮名で名を書き取った。四日目の朝も、出かけようとしていた。
俺は、城の門のところで、三成の袖をつかんだ。
「きょうは、やすんで」
「まだ、名簿が」
「きよまさも、やすませて」
「話を聞くだけにございます」
「きくほうが、つかれることも、ある」
三成は、納得していない顔をした。目の下に、濃い隈ができていた。三日間、昼は名を聞き、夜は佐和山からの書類を片付けていたのだ。
「……拾様。休むとは、何をすることでございますか」
雑談の目的に続いて、休息の定義を聞かれた。
「なにも、しない」
「何もせぬことを、する」
「うん」
「それは、矛盾しておりまする」
「……とにかく、ねて」
三成は、しぶしぶ城の一室で横になった。半刻後に様子を見に行くと、横になったまま、天井を見ながら指を折って何かを数えていた。
「なに、かぞえてるの」
「天井板が、四十八枚にございます」
休息理解は、まだ低い。
俺は、三成の隣に横になった。六つの子供と、四十近い奉行が、並んで天井を見上げた。
「……四十八枚」
「はい」
「いっしょに、かぞえる?」
「もう、数え終えておりまする」
「じゃあ、ふしあなを、かぞえる」
三成は、少し迷ってから、天井の節穴を数え始めた。
「一つ。二つ。……三つ」
声が、少しずつ遅くなった。
「……九つ。……とお」
十一は、来なかった。横を見ると、三成は、口を少し開けて、眠っていた。
三日分の眠りが、一度に来たのだ。俺は、そっと起き上がって、侍女に掛け物を持ってこさせた。三成は、一刻、目を覚まさなかった。起きてから、「節穴は、二十三にございました」と、なぜか正確な数を言った。寝ている間に数えたわけではないはずだった。たぶん、起きてから数え直したのだ。
その日の午後、俺と三成と玄以で、新しい帳面の形を決めた。
《異国役物故者覚》
朝鮮の役で亡くなった者。行方の分からなくなった者。病で帰れなかった者。船で死んだ者。名。所属。出身の村。家族。死んだ場所。死んだわけ。誰が確かめたか。
「わからない、らんは」
俺は、筆で空欄を指した。
「からに、しない。ふめい、とかく」
「不明と」
「うん。からだと、かきわすれたのか、ないのか、わからない。ふめいって、かけば、あとで、しらべられる」
前の世で、何度も見た。空欄だらけの顧客台帳。書き忘れなのか、そもそも無いのか、誰にも分からない。分からないまま、何年も放っておかれる。
三成の目が、光った。
「不明であることも、記録する」
「うん」
「……よい考えにございます」
素直に褒められた。珍しかった。三成は、帳面の雛形の空欄一つずつに、小さく「不明」と書き込んでいった。書きながら、少しだけ口元が緩んでいた。この男は、たぶん、空欄が嫌いなのだ。
「拾様」
書き終えてから、三成が言った。
「拙者は、清正殿を、動かせたのでございましょうか」
「ちがう」
「では」
「きよまさは、じぶんで、うごいた」
三成の顔が、少し曇った。
「拙者は、何も」
「きいた」
「それだけにございます」
「それが、ひつようだった」
三成は、しばらく黙っていた。それから、紙の端に小さく書いた。《聞く=必要》。何でも書き留める。
翌日、小さな評議を開いた。
議題は、朝鮮から帰った兵と、遺族への扶助。集まったのは、三成、清正、正則、片桐且元、長束正家。そして俺。
前と違ったのは、議案を、前の日のうちに全員へ配ったことだった。一つではなく、三つ。
一の案。帰った兵と遺族すべてに、同じだけの米を出す。
二の案。怪我の重さ、家族の数、暮らし向きに応じて、出す量を変える。
三の案。各大名が自分の家の者を支え、足りぬ分を豊臣家が補う。
それぞれの良いところと悪いところ。費用。期間。誰が反対しそうか。全部書いた。
そして、評議の前の晩、三成が、一人ずつ訪ねて回った。
清正には、「名簿に載った家を、先に助けたい」と言った。正則には、「家ごとに差がつけば、不公平と言われる。そこを避けたい」と言った。且元には、「城の手続きを、なるべく短くしたい」と言った。正家には、「蔵から出す上限を、先に決めたい」と言った。
同じ議案で、入り口だけを変える。利家の、見えない七つの仕事の一つ目と二つ目だった。
評議の席で、最初に口を開いたのは、やはり正則だった。
「一律でよい! 同じ戦に行ったのじゃ。同じだけ出せ!」
声が大きい。机が、少し揺れた。
「腕をなくした者と、無傷で帰った者を、同じにするのか」
清正が、低く返した。
「差をつければ、仲間が割れる」
「差をつけねば、困っておる者が死ぬ」
空気が、張り詰めた。正則の手が、机の上で握られた。
以前の三成なら、ここで言っていた。二の案が合理的です、と。そして、一の案を推す正則の顔を潰していた。
三成は、何も言わなかった。
札の順番を、頭の中で並べているのが分かった。一、相手が守るもの。
「……福島殿は、兵の間に、恨みが残るのを、防ごうとしておられまする」
正則が、ぐっと詰まった。
「清正殿は、今、困っておる家を、救おうとしておられまする」
清正が、腕を組み直した。
「どちらも、正しゅうございます。……それゆえ、拙者は、三の案を、少し変えとうございます。基本の扶持は、一律に出す。福島殿の申される通りに。その上で、傷兵と遺族には、上乗せをする。清正殿の申される通りに。上乗せの分は、豊臣家の蔵から出しまする」
正則が、口を開きかけて、閉じた。
「……一律は、一律なのじゃな」
「一律にございます」
「……上乗せ、か」
正則は、腕を組んだ。組んで、ほどいて、また組んだ。
「……それなら、わしの兵も、文句は言わぬ」
且元が、ほっと息をついた。正家が、帳面に何か書き込んだ。
決まった。机は、無事だった。
評議が終わったあと、正則が、三成の前に来た。
「治部」
「は」
「今日は、机を叩かなんだぞ」
「……存じておりまする」
「褒めよ」
三成は、しばらく考えた。
「……机の修繕費が、浮きました」
「そういう褒め方があるか」
「では、襖の方が、修繕費は安うございますので、今後、叩くならば襖に」
「叩くなと言え!」
正則が怒鳴り、清正が吹き出し、且元が慌てて間に入った。久しぶりに、広間に笑い声が響いた。
その夜、自分の数字が、勝手に開いた。
【人物評価:豊臣秀頼(拾) 更新】
組織診断 発動中
主人公依存度 58 → 63
注記:評議の合意形成が、豊臣秀頼の事前準備に依存しています
六十三。上がっていた。
評議は、うまくいった。だが、議案を三つに分けたのも、根回しの順番を決めたのも、三成に札を持たせたのも、俺だった。俺がいなければ、今日の評議は、また机が壊れて終わっていた。
それでは、利家と同じだ。利家が死んで、全部止まった。俺が倒れたら、また全部止まる。六つの子供は、よく熱を出す。
翌朝、三成に言った。
「つぎの、ひょうぎ。でないことにする」
三成の手が、止まった。
「……拾様抜きで、でございますか」
「うん。ぎあんは、みつなりが、つくる。ねまわしも、みつなりが、する」
「拙者に、できましょうか」
「わからない」
三成は、じっと俺を見ていた。
「……わからないのに、やらせるのでございますか」
「うん。やらないと、ずっと、わからない」
三成は、長いこと黙っていた。
「……承知いたしました」
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.8% → 97.5%
庭の草むらで、秋の虫が、一匹だけ鳴いていた。
次の評議に出ない。自分で決めたことなのに、なぜか、胸のあたりが落ち着かなかった。




