第55話 雑談の目的
【豊臣家滅亡まで 残り5,706日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り367日】
《雑談の目的、ご教示願いたし》
その一行に、どう返事を書けばいいのか、三日考えた。
目的のない話をするのが雑談だ。目的を言った瞬間に、雑談ではなくなる。だが、目的が分からなければ、三成は一歩も動かない。
四日目の朝、雨が降った。
俺は、廊下を通りかかった小姓を呼び止めた。十二、三の、顔の丸い少年だった。
「てんきが、よいな」
小姓は、その場に平伏した。
「は、ははっ」
外は、土砂降りだった。軒から、滝のように水が落ちていた。
小姓は、平伏したまま動かなかった。背中が、細かく震えていた。天気が良いと仰せになった。外は雨だ。これは何かの謎かけか。それとも、自分は何か粗相をしたのか。お叱りの前触れか。背中に、そう書いてあった。
「……あめ、だね」
「は、ははっ。雨にございます。申し訳ございませぬ」
「なんで、あやまるの」
「拾様が、良い天気と仰せになりましたのに、雨で」
雨を謝られた。天気の責任を、十二の子供が負おうとしていた。
「ちがう。ざつだんの、れんしゅう」
「ざ、雑談……」
「うん。いまのは、てんきのはなし。いみは、ない」
小姓は、顔を上げた。上げてから、また下げた。意味のない話をされた、という事実を、どこに置けばいいのか分からない顔だった。
「……さようで、ございますか」
「うん。あめ、すき?」
「は……」
小姓は、長いこと考えた。考えた末に、蚊の鳴くような声で言った。
「……雨の日は、庭掃きが、ございませぬので」
「そっか」
「……はい」
小姓の口の端が、少しだけ上がった。
それで終わりだった。何も決まらなかった。何も変わらなかった。ただ、小姓は、雨の日が少し好きだと言い、俺はそれを知った。
【雑談の成果】
決定事項 なし
取得情報 小姓・弥七は庭掃きが苦手
関係性 微増
これだ、と思った。
俺は、祐筆を呼んで、三成への返事を書かせた。
《ざつだんの もくてきは、あいてが なにを すきか しること。きめない。まけない。かたない》
五日後、返事が来た。
《承知。ただし、相手の好むものを知るならば、問いにて足りるのではないか》
問いにて足りる。三成らしい。問えば早い。好きなものは何でござるか、と。
《とうと、あいては、こたえを かんがえる。ざつだんだと、あいては、かってに いう》
さらに五日後。
《了解。試行いたす》
試行。雑談を、試行する。
その「試行」の結果を、俺は数日後、思いがけない男の口から聞くことになった。
片桐且元が、大坂城に上がってきたのは、秋の長雨の晴れ間の昼だった。
賤ヶ岳の七本槍の一人。清正や正則と同じ、秀吉子飼いの武将。だが、二人のように声は大きくない。背の高い、穏やかな顔の男で、いつも少しだけ困ったように眉を下げていた。俺の傅役の一人でもある。
俺は、且元の顔を見るたびに、胸の奥が冷える。
十六年後。大坂の陣の前。豊臣家と徳川家の間に立って、両方から疑われ、最後は大坂城を追われる男。豊臣のために必死に働いて、豊臣から裏切り者と呼ばれる男。淀殿の側近たちに命を狙われて、城を出ていく。その背中を、秀頼は、止めなかった。
止めなかったのは、俺ではない。だが、俺になる、かもしれない。
「拾様。……拙者の顔に、何かついておりまするか」
「……ううん」
【人物評価:片桐且元】
統率 58
武勇 66
政務 70
忠誠 92
調停能力 61
心労耐性 18
特記:板挟みの配置において、能力を超えた負荷を受けやすい
心労耐性、十八。低い。優しい男の数字だった。
「きょうは、なに」
「は。……実は、治部殿のことで、少し」
且元は、困ったように笑った。
「先日、拙者の倅が、佐和山の近くで落馬いたしまして。大した怪我ではなかったのでございますが、治部殿の城の者に手当てをしていただきました。それで礼を言いに参りましたところ――」
且元は、そこで言葉を切った。思い出して、もう一度困っている顔だった。
「治部殿が、しばらく黙っておられて。それから、急に窓の外を御覧になり、『本日は、湿気が、七分ほどでございますな』と」
俺は、茶を吹きそうになった。
「拙者は、はあ、と申しました。すると治部殿は、また黙られて。それから、『御子息の馬の、鞍の具合を、確認されるべきでございます。落馬の三割は、鞍の締め具合によるものにて』と」
「……うん」
「その、鞍の話が、存外に役に立ちまして。帰って見ましたら、確かに鞍の腹帯が緩んでおりました。倅も、治部殿に礼を申せと」
且元は、首をかしげた。
「湿気の話は、何だったのでございましょう」
「……ざつだん」
「雑談」
「みつなりの、ざつだんの、しこう」
且元は、しばらくぽかんとして、それから、声を立てずに笑った。肩が、長いこと揺れていた。
「……治部殿らしゅうございますな。雑談を始めて、二言目には実務に戻っておられる」
「でも、くらは、やくにたった」
「はい。それは、間違いなく」
且元は、笑いを収めてから、少し真面目な顔になった。
「拾様。治部殿は、変わられましたな」
「そう?」
「前であれば、拙者の礼など、『規則にございますゆえ』で終わっておりました。湿気の話は、分かりませぬ。されど、湿気の話をしようとなさった。それは、分かりまする」
雑談の、成果。
湿気七分。鞍の締め具合。落馬の三割。何も決まらなかったが、且元の息子は、次に落ちずに済むかもしれない。そして且元は、三成を、少しだけ好きになった。
【人物評価・補足:石田三成】
雑談 3 → 4
四。小さい。だが、この数字が上がったのは、三成が自分から、目的のない話を始めようとしたからだった。
且元が帰り際、廊下で振り返った。
「拾様。拙者は、器用な者ではございませぬ。されど、清正殿と治部殿の間で、何か使い走りが要るようでしたら、いつでも」
「……うん。ありがとう」
言いながら、喉の奥が詰まった。
この男は、いつもこうなのだ。間に立つ役を、自分から引き受ける。引き受けて、両方から叩かれて、それでも間に立つ。
「かつもと」
「は」
「まんなかに、たつときは。……ひとりで、たたないで」
且元は、きょとんとした顔をした。六つの子供に言われる言葉ではなかった。
「……心得ました」
分かっていない顔だった。当然だ。十六年後の話なのだから。だが、いつか思い出してくれればいい。一人で間に立たなくていいと、秀頼が言ったことを。
且元が帰ったあと、俺は、しばらく廊下に座っていた。
且元の息子は、元信という。まだ十にもならない。父に似て、背ばかりひょろりと高いと聞いた。その子が、佐和山の近くで馬から落ち、三成の城の者に手当てをされ、三成の湿気の話と鞍の話を持ち帰った。
十六年後、その子は、父と一緒に大坂城を出ていくことになる。
歴史書には、片桐且元の名は、豊臣を見限った男として残る。本当は、最後まで間に立とうとして、立ちきれなかった男だ。見限ったのではない。見限られたのだ。
「……させない」
小さく、口に出した。誰にも聞こえない声だった。
鞍の腹帯が緩んでいれば、馬から落ちる。落ちる前に、誰かが気づけばいい。人も同じだ。且元の腹帯は、たぶん、今はまだ締まっている。緩み始めたとき、気づく者が、この城にいればいい。
その夜、清正からの書状が届いた。四行。三行目は、いつもどおり兵の扶持の話だった。四行目だけが、違った。
《明日、昼、鮎を持参いたす。治部も呼ぶ》
治部も呼ぶ。清正の字で、そう書いてあった。
「……ひるめし」
誰と誰が、同じ膳を囲むのか。
俺は、布団の中で、しばらく天井を見ていた。雨の音が、止んでいた。
【本日の豊臣家滅亡確率】
98.0% → 97.9%
清正と三成が、同じ鮎を食べる。それだけのことで、数字が〇・一動く。そういう国に、俺たちは住んでいる。
その晩、弥七が、布団を敷きに来たついでに、小さな声で言った。
「拾様。……明日は、晴れるそうでございます」
雑談だった。俺は、布団の中で少し笑った。




