第53話 屏風の陰
【豊臣家滅亡まで 残り5,711日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り372日】
「なぜはらがたつのか。みにいく」
俺がそう言うと、三成は、心底いやそうな顔をした。
朝鮮から戻った兵の扶持の件で、三成が意見を述べる評議が開かれることになった。政務には戻っていない。帳面を一番よく知る者として、説明だけをする役だ。
俺は、屏風の陰にいた。
隠れる必要はない。だが俺が座れば、皆が俺を見る。六つの子供でも、豊臣秀頼だ。皆、言葉を選び、気持ちを隠す。それでは、三成の「いつもどおり」が見えない。
松と鶴の屏風の陰に座ると、隣に、もう一人座ってきた。淀殿だった。
「ははうえも?」
「見物です」
淀殿は、当然のように言った。母子で、屏風の陰に並んで座った。
屏風の隙間から、広間が見えた。三成。増田長盛。長束正家。前田玄以。加藤清正。福島正則。黒田長政。宇喜多秀家。
清正が来ていた。前田の話の席には来なかったが、今日は来た。
「では、始めまする」
三成が言った。挨拶はなかった。久しぶりに清正と正則の前に出た、そのことにも触れなかった。
一枚目の紙が配られた。朝鮮に在陣中、各隊に渡った兵粮。帰国後の扶持。決まっていない恩賞。数字が並んでいた。正確だった。誰も反論できなかった。
「加藤家。申し出の兵の数と、実際に戻った数とに、二百三十一の差がございます」
清正の眉が動いた。
「死んだ者と、残った者だ」
「死者の名簿は百六十二。残留は四十七。合わせて二百九。二十二名が、不明にございます」
正しい。だが、最初に、皆の前で、二十二の誤差を突いた。
「船で死んだ。名が、まだ届いておらぬ」
「届いてから、申し出るべきでございました」
「死んだ者の家が、待っておる」
「誤った名で扶持を出せば、別の家が受け取れませぬ」
正しい。腹が立つ。
屏風の陰で、俺は頭の中の紙に書きつけた。
一、最初に誤りを示す。
二、死者より先に、数字を言う。
三、相手の事情を聞く前に、決まりを言う。
始まって、まだ四半刻も経っていなかった。
「福島家。船二艘分の兵粮を使った記録がございませぬ」
正則が、腕を組んだ。
「沈んだ」
「沈んだ記録が、ございませぬ」
「沈んだから、記録も沈んだ」
理屈としては分かる。三成には通じない。
「船頭の証言を、添えていただきとうございます」
「皆、死んだ」
「では、確かめられませぬ」
「海に聞け」
「海は、証言いたしませぬ」
正則が、立ち上がった。始まって、半刻も経っていない。
屏風の陰で、長盛がこちらを見た。もう止めますか、と目で聞いていた。俺は、首を横に振った。まだ見る。隣で、淀殿が小さく「辛抱なさい」と呟いた。俺に言ったのか、正則に言ったのか、分からなかった。
「座れ」
清正が言った。
「治部を殴れば、扶持の払いがさらに遅れる」
正則は、座った。理由が、実に実務的だった。清正も、ずいぶん変わった。
三成は、そのあとも同じ調子で続けた。宇喜多家の数字。黒田家の数字。どれも正しかった。そして、正しいたびに、広間の空気が一段ずつ冷えていった。
途中で、宇喜多秀家が間に入ろうとした。
「治部殿、少し、休まれては」
「休むと、数字の続きを忘れまする」
秀家は、黙って引き下がった。長政は、最初から最後まで、一言も口を挟まなかった。ただ、三成が数字を言うたびに、誰の顔がどう動いたかを、見ていた。この男も、屏風のこちら側と同じことをしていたのだ。
評議が終わった。何一つ、決まらなかった。
全員が出ていったあと、屏風の陰から出た。三成は、一人で紙を揃えていた。
三成は、紙を揃え終えると、懐から小さな布の袋を取り出した。まつの干し飯だった。
指で、ほんの一つまみだけ取って、口に入れた。
「……こういう日には、一口だけ、いただくことにしておりまする」
こういう日。言いたいことが伝わらなかった日。
「としいえが、みてる」
「見ておられたら、また叱られまするな。一口では足らぬ、と」
三成は、袋の口を丁寧に閉じた。中身は、もう三分の一も残っていなかった。
「……拾様。拙者の説明に、誤りはございましたか」
「ない」
「では、なぜ、決まりませなんだか」
「みつなりは、だれを、まもってた?」
三成が、手を止めた。揃えかけた紙の束が、指の間で少しずれた。
「二十二名が不明のまま扶持を出せば、別の二十二の家が受け取れませぬ。船の記録のない出費を認めれば、次に偽る者が出ます。そうなれば、正直な者が損をいたします」
三成も、人を守っていたのだ。ただ、その人の顔が、目の前にいなかった。
「それを、さいしょに、いう」
「何を、でございましょう」
「うけとれない、ひとを、まもるためだって」
三成は、考え込んだ。
「理由を、簡略にしては、誤解を招きませぬか」
「ながくして、きいてもらえないほうが、ごかいされる」
三成は、紙に一行書いた。《守る者を先に示す》
「つぎ。あいてが、まもるものを、さきにいう」
《相手の守るものを認める》
「つぎ。けつろん」
《結論を先に》
「つぎ。りゆうは、みっつ」
「三つ?」
三成が、心底不満そうな顔をした。
「重要な理由は、十五ございます」
「みっつ。のこりは、きかれたら、いう」
三成の顔が、苦しそうに歪んだ。正しい理由を十二も言わずにおく。この男には、拷問に近いのかもしれない。
「さいご。あいてに、なにを、してほしいか。ひとつだけ」
《求めることを一つ》
紙に、五つの行が並んだ。
一、相手が守るもの。
二、こちらが守るもの。
三、結論。
四、理由は三つまで。
五、頼みは一つ。
「これを、れんしゅうする」
「練習」
「みんなのまえで。きよまさと、まさのりと、ましたと、なつかと……」
名前が一つ増えるたびに、三成の顔が固まったり戻ったりした。清正で固まり、正則でさらに固まり、長盛で少し戻り、正家で戻り、最後に「みんな」でまた固まった。
「拾様。政務は、芸事ではございませぬ」
「でも、つたわらなかったら、ないのと、おなじ」
三成は、長いあいだ黙っていた。
「……承知いたしました」
声に、覚悟があった。
関ヶ原を止めるために、石田三成に、話し方の稽古をさせる。歴史書には、絶対に載らない。
その日、三成が帰ったあと、俺は屏風をもう一度立ててもらって、その陰に一人で座ってみた。
隙間から見える広間は、空っぽだった。さっきまでそこにいた人たちの、怒った顔と、困った顔と、我慢した顔が、まだ残っているような気がした。
見る側に立つと、分かることがある。話している者には、自分の顔が見えない。三成には、三成の顔が見えないのだ。
【人物評価・補足:石田三成】
説明理解率 41
【本日の豊臣家滅亡確率】
98.4% → 98.2%
その夜、廊下で清正とすれ違った。清正は、立ち止まって、屏風のあった方を顎で指した。
「拾様。……屏風の下から、お足が見えておりましたぞ」
「え」
「皆、気づいておりました。御方様の裾も、隣から少し。……治部だけが、気づいておらなんだ」
清正は、少しだけ笑って去っていった。
皆が、俺が見ているのを知っていて、それでもいつもどおりに振る舞ったのだ。いや、たぶん、いつもより少しだけ、我慢してくれていたのだ。
翌朝、三成の書状が佐和山から届いた。いつもの四行ではなかった。三行だった。《昨日の評議、不調》《理由、拙者の話の順》《稽古、いつでも可》
三行目を読んで、少しだけ笑った。




