第50話 見えない七つの仕事
【豊臣家滅亡まで 残り5,725日】
【関ヶ原級全国内戦まで 推定残り386日】
夏が過ぎた。俺は、六つになった。
誕生の祝いの膳には、鯛と赤飯と、なぜか干し柿が並んでいた。淀殿が、台所に言いつけたのだという。
「殿下は、祝いの席には、必ず干し柿を置かせておられましたゆえ」
一つ食べた。甘かった。去年の今ごろは、まだ父が生きていた。枕元に座って、熱い手を握っていた。父も、この甘さを、懐から人に配っていたのだと思った。
その夜、自分の数字が勝手に開いた。
【人物評価:豊臣秀頼(拾) 更新】
年齢 5 → 6
体力 5 → 7
長文発話 不可 → やや可
主人公依存度 55 → 58
長文発話、やや可。少しだけ、長く話せるようになったらしい。権限規程の説明には、まだ遠い。
誕生の祝いには、伏見からも贈り物が届いた。
本物の馬だった。子供でも乗れる、小柄な栗毛の馬。鞍も鐙も、六つの子供の足に合わせて作ってあった。添え状には、ただ一行。
《木馬の次に》
淀殿の眉が、はっきりと寄った。
【人物評価:徳川家康】
表示可能な項目:健康管理 99/待機能力 100/危機管理 100/贈答精度 100
贈答精度。一つ増えた項目が、それだった。この男は、相手の年と、足の長さと、母親の眉の寄り方まで測って、贈り物を選ぶのだ。
三成は、佐和山からの五日ごとの書状に、一行だけ書き添えてきた。
《馬の鞍、拙者の見立てにて銀十五枚相当》
原価を推し量らずにはいられないらしい。
この夏の間、清正と三成の書状は、二十回を超えていた。四行ずつ。天気の話は一度もなかった。米と船と名簿の話ばかりだった。それでも、途切れなかった。正則の書状は、四行のうち一行が、たいてい酒の話だった。三成は、毎回それに一行で注意を返した。正則は、毎回それに一行で文句を返した。途切れなかった。
秋の評議でも、家康の席は空いていた。三成の席も空いていた。利家の席は、置かなかった。
置けば、誰かがそこを見る。誰かが座るかもしれない。座れば、その者が利家の代わりに見える。代わりなど、いない。だから置かない。だが置かなければ、利家が担っていた仕事まで、見えなくなる。
「はじめます」
六つの子供が、天下の評議を始める。慣れてはいけないと思った。
最初の議題は、大名同士の婚姻だった。秀吉は、死ぬ前に、大名が勝手に縁組することを禁じた。婚姻は、家と家をつなぐ。同時に、軍と軍をつなぐ。承認が要る。問題は、誰が承認するかだった。
「大老衆で」
宇喜多秀家が言った。
「奉行衆にて」
増田長盛が言った。
「大老と奉行の連署で」
長束正家が言った。
「内府殿に伺うべきでございましょう」
黒田長政が言った。
「なぜ内府だけなのじゃ」
福島正則が言った。
「一番大きいからにございます」
正則が「大きい者に聞くなら、わしの方が背は高いぞ」と言いかけて、清正に袖を引かれた。
長政が答えた。正しい。腹が立つほど正しい。
「合議とは、誰と誰が、何人揃えば決まるのだ」
清正の問いに、誰も答えなかった。
秀吉は、大老も奉行も誓紙も残した。だが、評議が成り立つ人数も、賛否が割れたときの扱いも、来なかった者をどうするかも、書き残さなかった。秀吉がいたからだ。最後は、秀吉が決めた。
「……まえださまは、どうしてた?」
一瞬、誰も答えなかった。簡単な問いに見えた。だが、利家が何をしていたのか、皆、知っているようで、知らなかった。
「まず、一人ずつ、お話を聞かれておりましたな」
長盛が、思い出すように言った。
「誰と」
「皆と」
「なにを」
「その者が、何を恐れておるかを」
玄以が続けた。
「評議の前に、言うてはならぬことを、それぞれに言い含めておられました。治部殿には、清正殿の兵の話を先にするな、と。清正殿には、治部殿の帳面の話で怒るな、と」
清正が、ぐっと黙った。
「……わしが怒っておると、前田様は、必ずわしより先に広間に来ておられた。そして、わしの隣に座られた。隣に座られると、立てぬのじゃ。立つと、前田様の膝を蹴ることになる」
清正は、そう言って、膝の上の拳を見た。
「座る場所まで、決めておられたのか」
長政が、低く呟いた。
「わしには、酒を飲ませてから、話を聞かれた」
正則が言った。
「酒を飲ませるのは、止めるためではなかったのじゃ。飲ませて、わしがぐだぐだ言うのを、朝まで聞いてくだされた。翌日の評議では、わしが言いたいことは、もう言い尽くしておった」
誰も笑わなかった。
「決まらぬときは」
秀家が言った。
「前田様が、わしが泥をかぶろうと、仰せになりました。決めたあとは、負けた側の顔が立つように、必ず一言、添えておられた」
一つずつ、見えない仕事が出てきた。俺は祐筆に、全部書き取らせた。
一つ。一人ずつ、話を聞く。
二つ。何を恐れ、何を失ったかを確かめる。
三つ。評議の前に、言ってはならぬことを伝える。
四つ。座る場所と、話す順番を決める。
五つ。決まらぬときに、責めを引き受ける。
六つ。両方から、不満を受ける。
七つ。終わったあとに、酒を飲ませて、話を聞く。
祐筆が、筆を止めた。
「……これは、役目の名がございませぬな」
そうだ。どれにも名前がない。どれも、役職の書付に載っていない。
【豊臣家組織診断】
評議の形式的権限 あり
調停機能 7%
個人依存度 93%
注記:前田利家の死により、未実施業務が可視化されました
未実施業務。利家が死ぬまで、誰も、それを仕事だと思っていなかった。人は結果だけを見る。評議が収まった。争いが止まった。酒を飲んだ。その前に、誰かが一人ずつ話を聞き、言ってはならないことを止め、座る場所を変え、逃げ道を作り、自分が嫌われていた。そこは、歴史書に残らない。だから、仕組みにも残らない。
人は、戻らない。仕事は、残せる。残さなければ、家康が全部やる。
「しょじょうを、かいて。さわやまに」
祐筆が、筆を構えた。
「みつなりに、もどれとは、いわない。ただ、まえだとしいえが、なにをしていたか、おしえてほしい。……みつなりが、いちばん、みていたはずだから」
祐筆は、筆を置いた。
「拾様。それは、戻れと申すより、重い言葉にございます」
分かっている。利家の死を、仕事に変える。それを三成に頼む。重い。だが、関ヶ原まで、四百日を切っている。悲しみが終わるのを、待てない。
書状は、その日のうちに佐和山へ向かった。
二日後、返事が来た。短かった。
《前田殿の御役、書して尽くせるものにはあらず》
断りかと思った。次の行があった。
《ゆえに、参上して申し上げ候》
三成が、大坂に来る。政務に戻るためではない。利家がしていた見えない仕事を、言葉にするために。
【関ヶ原級全国内戦阻止 成功率】
9% → 9%
変わらない。当たり前だ。まだ、紙を一枚出しただけだ。
【本日の豊臣家滅亡確率】
98.7% → 98.5%
紙は、人より遅い。人より弱い。だが、人より長く残る。
その夜、清正が一人で俺の部屋に来た。
「拾様。……治部が来るそうでございますな」
「うん」
「わしは、その席に、出ませぬ」
「どうして」
清正は、しばらく黙っていた。
「前田様の話を、あやつの口から聞けば、たぶん、わしは泣きまする。あやつの前では、泣きとうござらぬ」
それだけ言って、清正は帰っていった。
大きな背中だった。朝鮮の城で、飢えた兵を抱えて持ちこたえた背中だった。その背中が、三成の前でだけは、泣きたくないと言う。
意地なのか。それとも、三成の前で泣いたら、もう二度と怒れなくなるのが怖いのか。たぶん、両方だった。
翌朝、清正からの書状は、いつもどおり四行だった。最後の一行だけが、少し違った。《治部に、粥を食わせよ》




