第47話 佐和山へ
【豊臣家滅亡まで 残り5,875日】
三成が大坂城を出る朝、空は晴れていた。雨上がりの石垣が、光っていた。
門の前に、荷車が並んでいた。衣類。書物。薬。そして帳面。帳面が多すぎた。荷車の半分が紙だった。
「ぜんぶ、もってくの?」
「写しにございます」
「うつしが、おおい」
「原本が多いためにございます」
米蔵。船。鉱山。寺社の領地。大名への貸し付け。朝鮮から戻った兵の名簿。負傷者。死者。未決の恩賞。使者の行き来。婚姻。城の修理。医師の薬代。
一番上の束に、見覚えのある字があった。
《前田利家公 御病状日々書》
「……としいえの、も?」
「御遺族のお許しを得まして」
「なんで」
「次に、同じ病を得る者が、おるやもしれませぬゆえ」
救えなかった記録。それでも、次の人に残す。俺は、荷車の紙に触れた。冷たかった。紙の束の角が、指に当たった。何百人分もの病と死と、それを書き続けた男の夜が、そこに詰まっていた。
「おもい」
「紙は、積めば、鎧より重うございます」
「みつなりも?」
「何がでございましょう」
「つみすぎ。しごと。せきにん。いかり。ぜんぶ」
三成は、珍しく少し困った顔をした。
「拾様に、それを申されまするか」
劉禅のころ、諸葛亮に何度も言った。休め。任せろ。働きすぎるな。その結果、俺の方が働きすぎた。今度は、三成に同じことを言っている。
「いう。なんども」
三成は、小さく息を吐いた。
「では、拾様も。昨夜は、お休みになられましたか」
問いが、戻ってきた。
「ねた」
「何刻」
「すこし」
「何刻」
「こどもに、ろうむかんさ、しないで」
「ろうむ……?」
「なんでも、ない」
三成の顔に、ほんのわずかな笑いが浮かんで、消えた。
荷車が動き出す前に、門の脇に、前田家の輿が止まった。降りてきたのは、まつだった。喪服のままだった。
「治部殿」
三成が、慌てて膝をついた。
「このような折に、御足労を」
「殿の言いつけでございます」
まつは、小さな布の袋を差し出した。
「干し飯でございます。殿は、治部殿のことを、いつも『あれは飯を食わぬ』と案じておりました。道中、必ず召し上がりませ」
三成は、袋を受け取った。両手で。
「……前田様が」
「はい。死ぬ三日前にも、申しておりました。治部は食うたか、と」
三成は、袋を持ったまま、しばらく顔を上げなかった。まつは、それ以上何も言わずに、輿に戻っていった。
淀殿も、門まで出てきていた。三成の前に立ち、少しだけ迷ってから言った。
「治部。佐和山の城は、冬が寒いと聞きます。……必ず、戻りなさい」
三成は、深く頭を下げた。干し飯の袋を、懐の一番奥にしまっていた。
門の外には、清正の使者と、正則の使者が来ていた。三成の旅立ちを見届けるためだという。護衛だと言う。見張りでもある。
三成は、二人の使者に頭を下げた。
「御心配を、おかけいたした」
謝った。清正の使者が、戸惑った顔をした。正則の使者は、もっと戸惑った顔をした。
【人物評価・補足:石田三成】
謝罪経験 1 → 2
「治部少輔殿。我が殿は、処分を望んでおられませぬ」
清正の使者が言った。三成は、すぐには答えなかった。
「……承知いたしました。ただ、疑義は、残りまする」
使者の顔が、また固くなった。
「みつなり。いま、それ」
「事実にございます」
「いわなくても、じじつ」
「言わねば、伝わりませぬ」
「いうと、おこる」
「怒られても、残りまする」
正論は、旅立つときも旅に出ない。
清正の使者が、深く息を吐いた。
「……我が殿も、疑いが晴れたとは申しておられませぬ」
「左様でございましょう」
二人は、少しだけ同じ場所に立った。互いに信用していないと、正直に認めた場所。俺は、それでいいと思った。仲良くなくていい。疑ったままでも、話せる道を残す。利家の遺言だ。
「しょじょう。きよまさと、みつなり。つづける」
「三日に一度」
三成が言った。
「多い」
清正の使者が即答した。
「七日に一度」
「遅うござる」
「いつか」
二人が、俺を見た。
「いつかに、いちど。おなじかみで。ひとを、とおしすぎない」
三成が頷いた。使者も、渋々頷いた。
正則の使者が、手を挙げた。
「我が殿は、字を読むのを好まれませぬ」
知っている。
「みじかく。さんぎょう」
三成の顔が、はっきり嫌そうになった。
「三行では、足りませぬ」
「まさのりは、さんぎょうより、ながいと、さけを、のむ」
使者が、目をそらした。否定しなかった。
「五行」
「よんぎょう」
「四行ならば」
正則の使者が考え込んだ。
「……二度、読まれるかと」
「なんで、にど」
「酔う前と、酔うた後に」
要らない情報だった。そして、たぶん、正則の家中では周知の事実なのだろう。使者は、少しも恥じる様子がなかった。三成が、本気で書き留めようとした。
「かかない」
「事実でございますが」
「ほんにんの、めいよ。ぜんぶのじじつを、ぜんぶ、かかない」
三成は、長く考えた。
「……承知いたしました」
少しだけ、変わっている。
三成が、馬に乗った。俺は、門の内側から見送った。
「もどして」
自分でも、子供の声に聞こえた。三成が、馬の上から振り返った。
「お命じくだされば」
「ちがう。めいれいで、もどるんじゃない」
三成は、黙った。
戻っても同じことが起きるなら、意味がない。三成が働ける仕組みを作らなければならない。清正が三成を恐れず、家康が評議を拒めず、秀頼が幼くても政務が進む仕組みを。
「もどれるように、する」
三成は、馬の上で深く頭を下げた。
「……お待ちしておりまする」
待つのは、こちらだった。
馬が動いた。荷車が続いた。紙の山が、門を出ていった。原本は大坂に残った。写しは佐和山へ行く。一つの記録が、二つの場所にある。失われにくくなる。同時に、同じ記録を持つ二つの力が生まれる。仕組みは、一つよくすると、別の危うさが出る。
【行政記録保全率】
41% → 73%
【政務統合度】
62% → 34%
「……りょうほう、あがって」
仕組みは、何も答えなかった。
「おねがい」
やはり、答えなかった。
門の上から、大坂の町が見えた。商人の船。米俵。材木。人。城の政務が乱れても、町は動いている。動かなければ、食べられないからだ。
門の上には、先客がいた。
清正と正則だった。使者を出しておきながら、本人たちも来ていたのだ。二人とも、侍女に見つからないように、櫓の陰に身を寄せていた。
「……見送りではない。見張りじゃ」
俺が何か言う前に、正則が言った。
「わしも見張りだ」
清正も言った。
三成の列は、ゆっくりと門を離れていった。清正は、腕を組んだまま黙って見ていた。正則は、何度も口を開きかけては閉じていた。
列が、町の角を曲がる直前だった。清正の右手が、一度だけ、肩の高さまで上がった。すぐに下ろした。
正則が、それを見ていた。何も言わなかった。
三成の一行が、町の向こうの街道に消えていくまで、俺は門の上から見ていた。一度だけ、列の先頭の馬が止まった気がした。振り返ったのかどうかは、遠すぎて分からなかった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
98.6% → 98.9%
政所に戻ると、三成の席が空いていた。机の上には、未決の書状が山になっていた。
その横に、一枚だけ、三成の字で書かれた紙が置いてあった。
《拙者がおらずとも、皆で決められまする。拾様が、そう仰せでしたゆえ》
嫌味なのか、励ましなのか、分からなかった。たぶん、両方だった。
紙を裏返すと、もう一行、小さな字で書き足してあった。
《ただし、三角の印の書状は、急がれませぬよう》
三角が何を意味するのか、このときの俺には分からなかった。




