第43話 消えた重石
【豊臣家滅亡まで 残り5,881日】
前田利家が死んだ朝、大坂城の朝の評議は開かれなかった。代わりに、臨時の評議が開かれた。
葬儀より先に。喪服より先に。香を焚くより先に。皆を、同じ部屋に座らせる。利家の遺言ではない。俺の決定だ。だから、責任も俺にある。
問題は、五つの子供の決定を、大人たちが聞くかどうかだった。
広間の上座に、俺と淀殿。片側に、徳川家康、毛利輝元の名代、宇喜多秀家、上杉家の使い、前田利長。反対側に、石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以、浅野長政。その後ろに、清正、正則、長政、諸将。
利家だけが、いなかった。一人いないだけで、広間が広かった。
空いた席は、置かなかった。空席を置けば、皆が「利家殿なら何と言うか」を語り始める。死んだ人に、票を与えることになる。
「はじめます」
声が子供だった。広間に、高く響いた。三成が頭を下げた。家康も、少し遅れて頭を下げた。全員が従った。形の上では、俺が主君だ。形は、まだ生きていた。
祐筆が、議題を読み上げた。一つ。利家の役目の引き継ぎ。二つ。大名同士の争いの、仮の決め方。三つ。婚姻と領地替えの届け出。四つ。兵の移動と城の普請の届け出。五つ。次の評議の日取り。
三成が一晩で作ったものだった。寝ていないのは、顔を見れば分かった。
「みつなり。ねた?」
広間の全員が、何の話か分からない顔をした。
「一刻ほど」
「うそ」
「横には、なりました」
寝ていない。
「あとで、ねる」
「評議が終わりましたら」
「やくそく」
「善処」
「やくそく」
三成は、一瞬黙った。
「……承知いたしました」
正則が、鼻を鳴らした。笑ったのかもしれない。利家が死んだ朝に、小さな笑いが生まれた。不謹慎ではない。人は、悲しみだけでは仕事を続けられない。
一つ目の議題。三成が、利家の担っていた役目を並べた。大名同士の調停。秀頼に上げる前の意見の整理。大老同士のつなぎ。武断派と奉行衆の仲立ち。前田家の武による睨み。朝廷や寺社との取り次ぎ。
多い。一人の役目ではない。
「これを、前田利長殿に、そのまま引き継いでいただくのが」
利長の顔が、強張った。利家の息子。前田家の当主。だが、父と同じ人ではない。
「だめ。ひとりに、おおい」
「されど、これまでは」
「だいなごんだった、から」
三成が黙った。
利長が、俺に深く頭を下げた。救われた顔ではなかった。父と同じ役は担えないと、公の場で認められたのだ。傷ついただろう。だが、担えない役を背負わせる方が、もっと残酷だった。
「わける」
集める役。議題を整える役。事実を確かめる役。急ぎのときに決める役。異議を受ける役。あとで調べる役。次の日取りを決める役。一つずつ、別の者へ。
「招集は、奉行衆が」
「それはならぬ」
清正が、すぐに言った。
「奉行衆だけでは、呼ばれても来ぬ者がおる」
三成の眉が動いた。
「では、大老より、招集を出しましょう」
家康が、穏やかに言った。大老からと言えば、実際には家康から出る。それでは、利家の役目が家康に移る。
「ふたり。たいろうと、ぶぎょう。ふたつの、なまえで」
家康が俺を見た。三成も俺を見た。どちらも、一人では招集できない。不便だ。だが、暴走しにくい。
「火急の時は」
「いちにち。へんじがなかったら、かりに、ひらく」
「誰が」
「たいろう、ひとり。ぶぎょう、ひとり」
「異を唱える者は」
「きろく。あとで、みんなに、みせる」
利家なら、一言で全員を座らせた。俺たちは、一つの手順を決めるのに半刻かかった。仕組みは、人柄より遅い。だが、人柄より長く残る。
三つ目の議題で、空気が変わった。家康の婚姻である。三成が、書状を読み上げた。伊達。福島。蜂須賀。正則が、居心地悪そうに座り直した。
「これらは、太閤殿下の御定めに背くものにございます」
「家同士の安寧を図ったものにございます」
「事前の評議が、ございませぬ」
「急を要し申した」
「何が、急でございましたか」
三成の声が、鋭くなった。清正が眉を寄せた。正則が膝を動かした。利家がいれば、ここで湯を入れさせた。話を別の者に振った。笑いを作った。今は、誰もやらない。
「まって。……みつなり。なにが、こわい」
「徳川家が、豊臣の評議を経ずに、大名と一つずつ結ばれ、天下の形を作ってしまうことにございます」
正しい。
「いえやす。なにが、こわい」
広間が、さらに静かになった。家康に恐れを聞く。無礼である。家康は、俺を見たまま答えた。
「御家同士の争いが、再び起こることにございます」
こちらも、正しかった。家康は婚姻で争いを減らしている。同時に、徳川の網を広げている。善意と力の拡大が、同じ行いの中に入っていた。
「これから、こんいんは、まえに、しらせる」
「承知いたしました。……ただし、返答の期限を」
家康が、あっさり承諾した。三成が、少し驚いた顔をした。
「ひとつき」
「長うございます」
三成。
「短うございます」
家康。もう割れた。
「はつか」
「十日」
「三十日」
「……十五日」
正則が言った。全員が、正則を見た。
「なんじゃ。間を取っただけじゃ」
【人物評価・補足:福島正則】
調停能力 0 → 4
低い。だが、零ではなくなった。
「じゅうごにち」
家康も三成も、不満そうだった。だから、公平に見えた。
最後の議題。次の評議の日取り。利家の言葉を思い出した。席を立つ前に、次に話す日を決める。
「なのか、あと」
「葬儀が、ございまする」
利長が言った。
「そのあとの、なのか、あと」
三成が帳面に書いた。家康が頷いた。清正も、正則も、誰も仲良くなってはいない。だが、次に会う日は決まった。
評議が終わり、全員が立ち上がった。
その瞬間、家康の使いが、家康に小さな文を渡した。三成の祐筆も、別の文を持ってきた。清正の家臣も、正則の小姓も、同時に動いた。
家康の屋敷へは、見舞いと相談の使い。三成の屋敷へは、家康の婚姻を問題にする書状。清正のもとには、三成が家康を弾劾するという噂。正則のもとには、三成が武断派を処分するという噂。前田家には、徳川につくかどうかを問う密書。
噂は、事実より速い。
「拾様。本日の評議、続きますかな」
黒田長政が、俺の横に来た。
「なのか、あと」
「評議ではなく。仕組みが、でございます」
「つづける」
「皆が続けたいと思うておる間は、続きましょう」
それでは、仕組みではない。気持ち次第だ。
「つづけたくない、ひとも、くるように、する」
長政が、少し笑った。
「それができれば、天下は戦より退屈になりますな」
「たいくつで、いい」
「武将には、つらき世にございます」
広間に、俺と淀殿だけが残った。
「拾。……ようなさいました」
「でも、おそい」
評議を一つ開く間に、家康は何人もの大名と話している。三成は弾劾の根拠を集めている。武断派は三成を疑っている。前田家は、自分の家を守るので精一杯になる。
【豊臣家 組織診断】
調停機能 21% → 7%
幹部内紛発生率 78% → 86%
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.8% → 97.9%
【次の重大事象】
石田三成 孤立
予測開始
画面の向こうで、三成が一人、廊下を歩いていくのが見えた。昨日まで、利家がいた。三成を叱り、清正を座らせ、正則から酒を取り上げ、家康に待てと言った。今は、誰もいない。
三成を呼ぼうとした。その前に、別の廊下から、清正と正則の家臣たちが、同じ方向へ走っていくのが見えた。噂を抱えて。怒りを抱えて。
利家の葬儀は、まだ始まっていなかった。それでも、天下は喪に服さない。
その夜、城下で、七人の大名が兵を集め始めたという報せが届いた。




