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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第六章 重石が消えた日

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第39話 最後の面会


【豊臣家滅亡まで 残り5,883日】


 前田屋敷に着いたとき、門は開いていた。


 開いているのに、人が詰まっていた。医師。小姓。祐筆。使いの者。加賀から駆けつけた家臣。大坂城から来た者。誰も大声を出さない。だが、全員が急いでいる。急ぐ足音だけが、屋敷の中を走り回っていた。


 俺は、清正に抱えられたまま門をくぐった。


「あるける」


「存じております」


「おろして」


「先ほど、転ばれました」


 一度で信用を失った。


「もう、ころばない」


「急ぐときほど、人は転びまする」


 正論だった。三成に言われたら腹が立つ。清正に言われると、なぜか従える。人望というものは、不公平である。


 門の脇で、福島正則が家臣と押し問答をしていた。家臣が二人がかりで、大きな酒樽を抱えている。


「大納言様の好物じゃ! 通せ!」


「なりませぬ、御病人に」


 騒ぎを聞きつけて、奥からまつが出てきた。樽を見て、正則を見て、深いため息をついた。


「福島様。殿の少々は、一升にございます。この樽では、少々が何日分になりましょう」


 正則は、言い返せなかった。樽を見下ろした。それから、ぼそりと言った。


「……飲めずとも、匂いくらいは、嗅がせて差し上げとうござった」


 まつは、しばらく正則を見ていた。それから、樽を門の内側に置くよう、家臣に目で合図した。


「では、枕元ではなく、庭に置きましょう。風向きがよければ、届くやもしれませぬ」


 正則は、深く頭を下げた。顔を上げたとき、目が赤かった。酒ではなかった。


 淀殿が、先を歩いていた。裾を乱さない。歩みも崩さない。だが、いつもより速かった。


 三成は、廊下の端で前田家の奉行と話していた。


「薬種は」


「すべて届いております」


「湯は」


「入れ替えております」


「医師の所見を、同じ紙へ」


 利家の枕元には、紙が積まれていた。食べた量。眠った刻。脈。熱。誰が見たか。最初に三成が線を引いた病状簿は、もう何十枚にもなっていた。記録はある。手順もある。それでも、病は止まらない。


 廊下の奥から、玄朔が出てきた。顔に、深い疲れがあった。


「げんさく。どう」


 問いが短くなった。怖いときほど、言葉は減る。


 玄朔は、その場に膝をついた。


「お腹の張りが、強うございます。御足の腫れも増しております。熱は高うはございませぬ。息は、浅うございます」


「いしきは」


「はっきりしておられます」


 話せる。だが、身体は、もう戻る方を向いていない。


【前田利家 推定残存時間】

一日以内


 日が、時になった。


「なにを、した」


 玄朔は、一つずつ答えた。湯。食事。寝る向き。便と尿。息。痛み。眠り。すべて、記録どおりだった。


「ほかに」


 玄朔は、答えなかった。ないのだ。知っている。前世の医療でも、できることが限られるときはある。ここではもっと少ない。薬も、機械も、検査もない。見て、聞いて、触れて、苦しさを少しでも減らす。それだけだ。


 玄朔は、そこで一度言葉を切った。膝の上の手が、固く握られていた。


「……わたくしは、医者を四十年やってまいりました。見送った方は、数えきれませぬ。されど、一度として、慣れたことはございませぬ」


 玄朔は、顔を上げた。


「拾様。……今なら、お話しになれまする」


 今なら。後では、話せない。


 襖の前で、淀殿が立ち止まった。俺を見た。


「拾。先に、お入りなさい」


「ははうえも」


「後から参ります」


 嘘ではない。だが、先に行かせる理由があった。この人は、俺と利家に、二人だけの時間を残そうとしているのだ。


 清正が、俺を畳に下ろした。今度は、転ばなかった。一歩。二歩。襖が開いた。


 薬草の匂い。湯の匂い。人の汗。濡れた布。春なのに、部屋は寒く感じられた。


 利家は、布団の中にいた。以前よりも、ずっと小さく見えた。戦場では槍を握り、誰よりも大きく見えた男が、今は枕の幅に収まっていた。


 枕元には、まつがいた。夫の額の汗を拭っていた手を止めて、俺に場所を空けてくれた。


「だいなごん」


 目が、開いた。


「拾様。……お待ちしておりました」


 声は掠れていた。それでも、笑おうとしていた。


「まってた?」


「はい。叱らねばならぬことが、ございましてな」


 俺は、布団の横に座った。


「病人のところへ、走って来させるものでは、ございませぬ」


「はしってない。きよまさに、はこばせた」


「なお、悪うございます」


 利家が、小さく笑った。俺も、少し笑った。笑えてしまう。それが、つらかった。


「医師を、困らせましたな」


「こまらせてない」


「困っておりまする」


「なんで、わかる」


「わしが、困らせておりますゆえ」


 玄朔が、襖の外で目を伏せた。利家は、病人なのに、部屋の全員を見ていた。誰が眠っていないか。誰が食べていないか。誰が泣くのをこらえているか。最後まで、調停者だった。


 利家は、俺の顔をしばらく眺めていた。


「……少し、背が伸びられましたな。伏見でお会いしたころは、この布団の半分もございませなんだ」


「まだ、はんぶん」


「いや。半分と、指一本ほど」


 病人のくせに、細かいところまで見ている。


「拾様。お手を」


 手を出すと、利家の手が俺の指を包んだ。熱くはなかった。冷たかった。力は弱かった。だが、離さなかった。


「五つの御手ですな」


「そう」


「天下は、重うございます」


「しってる」


「まだ」


「しってる」


 言い返すと、利家は目を細めた。


「では、一人で持たぬことも、御存じですか」


 答えられなかった。劉禅として、一生かけて学んだはずだった。自分が死んだあとも国が動くようにした。それなのに、また、利家一人に豊臣家を預けている。


「だいなごんを、たすける」


「もう、十分に、助けていただきました」


「まだ。まだ、いきてる」


 子供の声になった。理屈ではない。計画でもない。数字でもない。ただ、死なないでほしかった。


 利家の親指が、俺の手の甲を一度だけ撫でた。


「拾様。人は、生きている間だけ働くのでは、ございませぬ。死んだあとも、残したものが働きまする」


「なにを、のこす」


「それを……今日、お話しいたします」


「きょう?」


「明日では、遅いやもしれませぬゆえ」


 視界の端で、表示が静かに点滅した。


【前田利家 推定残存時間】

十八刻未満


 利家は、その表示を見ていない。それでも、時間を知っている。自分の身体で、俺よりも正確に。


「拾様。泣かれるのは、まだ早うございます」


 泣いていない。そう言おうとして、頬が濡れていることに気づいた。


「これは、あせ」


「春にございます」


「こどもは、あつい」


「左様で」


 まつが、横を向いて、袖で目元を押さえた。肩が小さく震えていた。笑っているのか泣いているのか、分からなかった。たぶん、両方だった。


 利家が、もう一度笑った。小さな笑い。短い息。その一つ一つが、残りの時間を使っていた。


「まつ」


「はい」


「拾様に、菓子を」


「殿。今は」


「泣く子には、菓子じゃ。……わしは昔から、そうしてきた」


 まつは、何も言わずに立ち上がり、干菓子を一つ持ってきた。俺の手のひらに載せた。小さな、梅の形の干菓子だった。


「あとで、たべる」


「今、召し上がれ」


「だいなごんが、ねたら、たべる」


 利家は、困ったように笑った。


「では、少し、眠りまする。……起きたら、大事な話を、三つ」


【本日の豊臣家滅亡確率】

96.0% → 96.3%


 俺は、干菓子を握ったまま、利家の手を放さなかった。五つの手では、重しは支えられない。それでも、放さなかった。


 部屋の外では、淀殿も、三成も、清正も、声を出さずに待っていた。伏見では、家康が、この男が死んだあとを待っていた。


 だが今だけは、天下ではなく、一人の老人と一人の子供が、手を握っていた。


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