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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第五章 内府の木馬

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第36話 殺されるはずだった子


【豊臣家滅亡まで 残り5,899日】


 長政が帰ったあと、俺は灰色の石を机の上に置いた。三成は、その石を露骨に嫌った。


「曖昧にございます。石は、黒か白であるべきです」


 三成らしい。


「ひとも?」


「忠か不忠かは、明らかであるべきです」


「いつ」


「常に」


「だれに」


 三成が黙った。主君に。家に。掟に。仲間に。領民に。自分の良心に。忠義の向く先は、一つではない。


「みつなりは、まけたら、どうする」


「腹を切りまする」


 少しも迷わなかった。


「かぞくは」


「しかるべき処置を」


「だれが」


 三成の口が止まった。


「かったひと?」


「……左様」


「そのひとを、しんじる?」


 三成は、答えられなかった。自分が死ぬ覚悟は、自分で決められる。家族が殺される覚悟まで、自分で決めてよいのか。忠義は、ときに、他人の死まで勝手に決めてしまう。


「かいのかみは、じぶんだけ、いきたいんじゃない」


 長政が守ろうとしているのは、自分だけではない。あの一瞬見えた、読めない項目。俺は祐筆に、黒田家のことを調べさせた。


 調べるまでもなかった。途中で、思い出したのだ。


 天正六年。摂津の有岡城。黒田官兵衛――長政の父は、謀反を起こした荒木村重を説得するために、たった一人で城に入った。そして、捕らえられた。便りが途絶えた。


 信長は、官兵衛が裏切ったと疑った。


 そのとき、長政はまだ十歳を過ぎたばかりの子供で、人質として織田方に預けられていた。父が裏切ったなら、子を殺せ。命令が出た。


 俺は、その評定を知っている。


 光秀だったころの話だ。俺の生きた世界でも、有岡城の一件は起きた。俺は、丹羽長秀殿と組んで、牢番の加藤又左衛門を通じ、官兵衛を土牢から出す方に動いた。牢の中の官兵衛は、毎日、牢番に《おぬしは、どう思う》と聞いていたという。出てきたとき、足は曲がっていた。


 だが、あの世界の俺は、牢の父ばかりを見ていた。人質の子の方を、見ていなかった。松寿丸という名を、あの二十年で、一度も聞かなかった。


 この世界では、竹中半兵衛が、子を自分の領地に隠し、殺したと偽って信長に報告したと、史書にある。父は裏切っていなかった。だが真実が分かるまで、子供は死んでいなければならなかったのだ。


 あの世界の俺が見落とした子が、この世界では、目の前で、大人になっていた。


 長政は、負けた者の家族を考えているのではない。疑われた者の家族を考えているのだ。決着がつく前に、巻き込まれて消される者を。


 俺は、長政をもう一度呼んだ。今度は正式な謁見ではない。利家の屋敷の近くの、小さな茶室に。淀殿も三成も、外してもらった。


 茶室には、小姓が二人だけ控えていた。長政は、にじり口をするりと抜けて入ってきた。家康と違って、どこにも引っかからなかった。細身の身体は、どこへでも入り込めるように鍛えられているのかもしれない。


 長政は、座るなり茶室の中を一度だけ見回した。窓の位置。戸の位置。小姓の位置。それから、ようやく俺の顔を見た。


「昨日の今日に、また呼ばれるとは。恐ろしゅうございます」


 長政は、少し困った顔をした。


「なぜ」


「答えを誤ったかと」


 この男でも、呼び出しは怖いらしい。


「こどもの、とき。ころされそうに、なった」


 長政の顔から、笑いが消えた。


「……どなたから、お聞きになりました」


「きろく」


 半分は本当だった。


「父が、裏切ったと思われました」


 長政は、ゆっくり言った。


「うらぎってない」


「はい」


「でも、ころされる」


「はい」


「こわかった?」


 長政は、長いこと黙っていた。


「覚えておりませぬ。……されど、わしが覚えておらぬことを、皆が覚えております。母が。家臣が。竹中の家の者が。わしが死ぬはずだった日を、わし自身よりも」


 長政は、茶碗を手の中で回した。


「わしは、半兵衛殿の顔も、よう覚えておりませぬ。わしを隠してくだされたあと、すぐに病で亡くなられた。礼の一つも、申し上げられなんだ」


 俺は、何も言えなかった。俺は、あの青い顔を覚えている。この男が覚えていない顔を。言えば、この男の人生で一番大事な恩人の顔を、俺が代わりに描いてやれるのかもしれない。だが、それは言えない。四度目の人生は、ときどき、ひどく孤独だ。


「かいのかみは、かつひとを、えらぶ?」


「はい。負ければ、多くが死にますゆえ」


「でも、かつひとも、まちがえる」


 長政の目が、わずかに揺れた。


「……左様にございます。ゆえに、勝つ者を選び、勝つ者の近くに立ち、勝つ者が誤ったときに、止める道を残しておきまする」


 外から正義を叫ぶのではない。中に入る。従う。信を得る。そのうえで、誰かを救う。綺麗ではない。だが半兵衛も、信長に正面から逆らったのではなかった。殺したと見せて、隠したのだ。


「卑怯と、お思いですか」


「すこし」


 正直に答えると、長政が苦笑した。


「でも、しぬより、いい」


「武士らしくは、ございますまい」


「ぶしは、かぞくを、しなせるひと?」


 長政が、言葉を失った。


「……忠義とは、主君と共に死ぬことと、教わりまする。されど当主が死ねば、家臣の妻子が代わりに飢えまする。それを忠義と呼んでよいのか。わしは、いまだ分かりませぬ」


 合理性百の男が、初めて、分からないと言った。


「……拾様。もし、先ほどの、負けても家族が残る仕組みとやらを、本当にお作りになるのなら」


 長政は、茶碗を置いた。


「書いたものを、まず、わしに読ませてくだされ」


「かく。いちばんに、みせる」


「一番に、でございますか」


「かいのかみが、いちばん、うたがうから」


 長政は、ぽかんとした顔をした。それから、声を出して笑った。この男が声を出して笑うのを、初めて聞いた。


「左様。わしが一番、疑いまする。わしが読んで穴が見つからねば、誰が読んでも見つかりますまい」


 茶室を出るとき、長政は一度だけ振り返った。


「拾様。わしを、信用なされませぬよう。わしは、黒田家を、拾様より大切にいたします」


 淀殿が家康について言ったのと、同じだった。順番の話だ。


「だから、しんようできる」


 長政の目が、大きく開いた。


「豊臣を一番にする」と言う者より、「黒田を一番にする」と言う当主の方が、何をするか読める。信用とは、自分を好いてくれると信じることではない。相手が何を守るかを、知っていることだ。


【人物評価:黒田長政】

特記:合理性 100

家族保護 100


 やはり、それだった。


 その日の夕方、仕組みの話を三成にすると、三成は予想どおりの顔をした。


「敵に降った者の家族を守る定めなど、寝返りを勧めるのと同じにございます」


「なる」


「では」


「でも、ないと、さいごまで、ぜんいん、しぬ」


 三成は、長いこと黙っていた。それから、ぽつりと言った。


「……拙者の母と妻子も、その定めに入りまするか」


 三成が、自分の家族のことを口にしたのは、初めてだった。


「はいる」


 三成は、何も言わずに頭を下げた。その日の書状は、いつもより一刻早く片づいた。


【前田利家 推定残存日数】

17日


【本日の豊臣家滅亡確率】

94.8% → 94.4%


 長政は、味方ではない。敵でもない。生き残る者だ。死んだ忠臣は美しく語られる。生き残った現実主義者は疑われる。それでも、家族は、生きている者にしか守れない。


 俺は灰色の石を懐に入れた。碁石一つが、ずいぶん重く感じられた。十歳の子供の命と、それを隠した男の青い顔と、それを知らずに生きてきた男の三十年分の重さだった。


 その夜、夢を見た。安土の廊下で、青い顔の半兵衛が、小さな子供の手を引いて、暗がりの方へ急いでいく夢だった。子供は、一度だけ振り返った。顔は、見えなかった。


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