第27話 手土産
【豊臣家滅亡まで 残り5,939日】
「清正殿の宿所へは、拙者一人で参りまする」
三成がそう言ったとき、俺は止めなかった。止めたかった。かなり止めたかった。
だが、営業は、上司が隣に座っていては成り立たない。前世にもいた。部下の初めての訪問についていき、全部自分で話し、帰りの車で「見て学べ」と言う上司が。部下は何も学ばない。客は次も上司を呼ぶ。組織は、ますます上司に頼りきる。劉禅のころ、俺はそれを何度も繰り返しかけた。今回はしない。
「拾様。……手土産は、いかがいたしましょう」
進歩している。人に会う前に、書類以外のものを考えた。
「きよまさは、なにが、すき?」
三成は真剣に考えた。
「石垣」
持っていけない。
「虎退治の話」
それは後の世の作り話が混ざっている気がする。
「兵」
人を土産にするな。
「麦飯」
悪くない。だが、麦飯を持っていっても、ただの昼飯である。
「酒」
それは正則だ。
「紙」
戻った。
「……みつなり。もう、もってる」
三成は、懐を押さえた。昨夜書いていた、あの一枚が入っているはずだった。
「これは、手土産ではなく、案にございます」
「きよまさには、それが、いちばんの、みやげ」
三成は、しばらく黙っていた。
「それから、さいしょに、ありがとう、って、いう」
「昨日の御協力により、給付案の実効性が」
「ちがう。ありがとう」
「それでは、何への礼か分かりませぬ」
「きのうは、ありがとうございました。それだけ」
「情報が不足しておりまする」
「かおで、たす」
「顔で」
三成は、少し考えてから、口の端を上げた。
怖い。
獲物を見つけた鷹のような顔だった。近くにいた小姓が、半歩下がった。
「やめる」
「では、どのような顔で」
「ふつう」
「普通とは」
説明できなかった。
出かける前、三成は廊下の突き当たりで、壁に向かって何かを呟いていた。近づくと聞こえた。
「昨日は、ありがとうございました。……昨日は、ありがとうございました。……昨日は、ありがとう、ございました」
区切る場所を変えて、七回言っていた。壁にである。
通りかかった女房が、三成の背中を見て足を止め、それから何も見なかったように引き返していった。
結局、三成は普通の顔で出かけた。俺は小姓を一人だけ、遠くから見守りにつけた。監視ではない。安全確認である。三成が清正に斬られるとは思わない。だが、会話が五呼吸で終わる恐れは大いにあった。
以下は、その小姓の報告である。
清正は縁側で、具足の紐を直していた。
「何用だ」
三成は頭を下げた。
「昨日は」
止まった。小姓によれば、ここで三呼吸、黙ったという。
「……ありがとうございました」
言えた。清正は、紐を持ったまま三成を見た。
「何の話だ」
そこからか。三成は、一瞬説明しそうになった。だが、短く答えた。
「帰還兵の話にございます」
「そうか」
会話が終わる危機である。三成の用意した台本には、相手が「そうか」と答えたあとの項目がなかった。人は台本どおりには動かない。
三成は、懐から紙を出した。
「……もう一つ。これを、見ていただきとうございます」
《片腕にて鉄砲を教うる法》
清正は、紙を受け取った。黙って読んだ。読み進めるうちに、紐を握っていた手が、膝の上に下りた。
片腕では、鉄砲は構えられない。だが、火縄の扱い、玉込めの順、的の見方、風の読み方は、口で教えられる。若い足軽の構えを後ろから見て、肘の角度を直すことはできる。そう書いてあった。三成らしく、細かい図まで添えて。
「……与助か」
「はい。与助殿は、撃てぬと申されました。されど、教えることは、できるのではないかと」
清正は、しばらく何も言わなかった。
「お前が、考えたのか」
「清正殿が、兵を紙の中だけに置くなと申されましたゆえ」
清正は、紙を丁寧にたたんだ。
「与助は、わしの鉄砲衆で一番の撃ち手だった」
低い声だった。
「腕を失うてから、一度も鉄砲を見ようとせぬ。わしが声をかけても、目をそらす。……これを見せたら、あやつは、何と言うかのう」
清正の目が、少し赤かった。小姓は、見なかったことにしたと言った。
「もう一つ、お願いがございます」
三成が続けた。
「負傷者の確かめを、奉行方だけで行えば、現場を知らぬ者が見落としまする。清正殿の御家中から、二名、確かめ役を出していただきたい」
「人を寄越せと」
「はい。兵の名を覚え、嘘を見抜き、奉行方に遠慮せぬ者を」
「注文が多い」
「必要にございます」
いつもの三成だった。だが今度は、清正を否定する正論ではなかった。清正の力を借りるための正論だった。
「二人では足りぬ。五人」
「多すぎまする」
「四人」
「三人」
「四人だ」
「三人と、要る時に一人」
「細かい男だ」
「財源と役目には限りがございます」
「……三人」
「承知いたしました」
まとまった。三成が帰ろうとすると、清正が呼び止めた。
「治部。与助の件、わしから話す。お前から言うと、あやつは意地になる」
「……お願いいたします」
帰ってきた三成に、俺は尋ねた。
「どうだった」
「確かめ役、三名にございます」
「それだけ?」
「……与助殿のことは、清正殿が話されると」
「あと」
「礼を、申しました。何の話かと問われました」
笑った。三成は不満そうだった。
「言葉が足らなかったようにございます」
「でも、つたわった」
清正は、何の礼か分かっていた。分かっていて聞いたのだ。三成が本当に言えるかどうか、試したのだ。
「……清正殿は、意地が悪うございますな」
「そう」
その日の夕方、清正から名を書いた文書が届いた。確かめ役三名。そして末尾に、荷運び一名。
四人だった。清正は、交渉で負けたふりをして、四人寄越してきたのだ。
三成は、四人目の名を見て、何も言わなかった。翌日、奉行所に来た四人を、三成は追い返さなかった。
「荷が済めば、帰してよろしいですか」
部下が尋ねると、三成は答えた。
「まず、茶を出してください」
報告を聞いて、俺は少し感動した。政務の男が、仕事を始める前に、人に茶を出させた。歴史書には絶対に残らない。だが、関ヶ原を遠ざける一歩は、たぶん、こういう記録されない動作の中にある。
その夜、清正が一人で俺の部屋に来た。酒は持っていなかった。
「拾様。与助に、治部の紙を見せ申した」
「どうだった」
清正は、しばらく黙っていた。
「読めぬ、と申した。与助は、字が読めませぬでな。わしが読んでやった」
清正は、自分の膝を見た。
「読み終わったら、あやつ、左手で、その紙をくしゃくしゃに握りおった。破くのかと思うた。……違うた。握りしめて、泣いておった。まだ、使い道があるのか、と」
清正の声が、少し掠れた。
「わしは、あやつに声をかけ続けたが、あやつは一度も泣かなんだ。治部の紙一枚で、泣きおった。……腹の立つ話でござる」
腹が立つと言いながら、清正の顔は、少しも怒っていなかった。
【人物評価・補足:石田三成】
営業力 19 → 20
備考:初回訪問補正
補正、と書いてある。厳しい。
寝る前、三成がわざわざ俺の部屋まで来て、真顔で尋ねた。
「拾様。一つ、分からぬことが」
「なに」
「礼を申された側は、何と返せばよいのでございましょう。清正殿が礼を申されることはございませぬが、万一の備えとして」
万一の備え。礼を言われることを、この男は非常事態として扱っている。
「どういたしまして、って、いう」
「どう、いたしまして」
三成は、口の中で三回繰り返した。そして、帳面に書き留めた。
翌日、与助から「治部少輔様、ありがとうございます」と言われたとき、三成は一拍置いて、完璧な発音で「どういたしまして」と返したという。与助は、なぜか少し怯えていたらしい。
【本日の豊臣家滅亡確率】
93.9% → 93.6%
三日後、城下の外れの寺で、鉄砲の音がした。
撃ったのは、十六の足軽だった。その後ろで、右の袖を風になびかせた男が、若者の肘を左手で持ち上げていた。




