第23話 足りない米の分け方
【豊臣家滅亡まで 残り5,944日】
壊れた机は、豊臣家の備品である。つまり、俺の家のものである。
「べんしょう」
俺が言うと、正則は折れた脚を見下ろした。
「評議のために壊れたものゆえ、公儀の費えで」
「だめ。まさのりが、こわした」
「三成が怒らせたのでござる」
「言葉で、机は壊れませぬ」
三成が言った。正則のこめかみが動いた。
「もう一つ壊すぞ」
「弁償が増えまする」
「三成!」
清正が、二人の間に腕を差し入れた。
議題は、朝鮮から戻った兵への兵粮だった。帰国した兵に食わせる米。戦死した者の家族に渡す米。傷ついた者を国元へ帰す船。どれも急ぐ。どれも、米と金が足りない。
三成は、全軍を同じ基準で数え、記録に基づいて配ると言った。清正は、重い傷を負った者と長く陣にいた者を先にと言った。正則は、死んだ者の家を先にと言った。
三つとも正しい。全部できればいい。できない。蔵の米は一つしかない。
そこで、机が割れたのだった。
俺は評議を止めた。そして、三人を連れて城を出た。
「どちらへ」
「みなとの、てら」
大坂の港に近い寺に、朝鮮から戻った傷病兵が集められていた。
門をくぐった瞬間、匂いが来た。膿と、汗と、薬草と、煮炊きの煙。本堂にも、庫裏にも、廊下にも、人が寝かされていた。片腕のない者。熱にうなされている者。咳が止まらない者。膝を抱えて、ぼんやりと門の方を見ている者。
正則が、黙った。清正は、寝ている兵の一人の前に膝をつき、名を呼んだ。兵が目を開け、何か言おうとして、泣いた。
「殿……」
兵が、清正の袖をつかんだ。
「蔚山の……水汲みに出て、戻れなんだ者どもの、名を……殿は、覚えておいでですか」
「覚えておる」
清正は即答した。そして、一人ずつ名を挙げた。五人。七人。十人。途中で、兵が声を上げて泣き出した。清正は、それでも名を挙げ続けた。最後の一人まで。
三成は、門のところで立ち止まっていた。紙を持っていなかった。清正が名を挙げるのを、身じろぎもせずに聞いていた。
門の外に、若い女が一人、赤子を抱いて立っていた。寺の者と押し問答をしている。
「夫は、加藤様の御陣におりました。戻ったと聞きました。ここにおるはずでございます」
「名簿にない者は、通せぬ」
「では、死んだのでございますか。死んだのなら、そう言うてくださいませ。分からねば、田を売ることも、待つこともできませぬ」
寺の者は、答えられなかった。名簿にない。死んだとも、生きているとも、記されていない。
三成が、女の前へ歩み出た。
「夫御の名と、隊と、国を」
女は、怯えた顔で三成を見上げた。名を告げた。三成は、懐から矢立を出し、自分の袖の内側に、その名を書いた。紙がなかったのだ。
「必ず、調べまする。十日のうちに、報せを出しまする」
女が、深く頭を下げた。赤子が泣き出した。
城へ戻る道で、誰も口をきかなかった。
評議の間に戻ると、新しい机が置かれていた。
「みつなり。いま、すぐ、うごかせる、こめは」
「大坂の蔵に、三千八百二十石」
「きよまさ。いま、いちばん、あぶないひとは」
「港の寺の負傷者、四百余。自分で歩けぬ者が百二十三。熱のある者が、分かっただけで六十七」
「まさのり。いま、いちばん、こまるいえは」
「死んだという報せがあったのに、名簿に名がない家が、二百を超え申す。夫が戻ると信じて田を売らずに待つ家と、夫が死んだと思うて借金をした家。どちらも、秋は越せませぬ」
三人とも、数字を持っていた。三成だけではない。清正も正則も、自分の守る場所の数字を持っていた。ただ、一つにまとめられていなかっただけだ。
俺は床に指で線を引いた。三つ。今すぐ死ぬかもしれない者。家に帰す者。家族に渡すもの。
「同じ米を三つに分ければ、どれも足りなくなりまする」
「うん」
「足りぬ案を、決めるのでございますか」
「うん」
足りる資源を配るのは、経営ではない。足りない資源を、誰に、どれだけ足りなくするか決めるのが、経営だ。嫌な仕事だ。正解がない。だから、一人で決めてはいけない。
「さんにんで、きめる。ぼくは、きめない。れんしゅう」
三人の顔が変わった。
「刻限を切りましょう。刻限までに決まらねば、三つの案を同じ割合で配る」
三成が言った。
「……我ら自身の取り分を、我らで決めることになるぞ」
清正が言った。
「だから、ひとりで、きめない」
話は、また戦争になりかけた。正則が声を上げ、清正が机を叩き、三成が冷たい言葉を使った。新しい机は、今度は割れなかった。昼になって飯が運ばれたが、誰も食べなかった。
夕方、玄朔が顔を出した。
「利家様が、目を覚まされました」
三人が立ち上がりかけた。
「いかない。きまってから」
途中の争いを、利家に持ち込まない。結論だけを持っていく。三人は、座り直した。
夜になって、ようやく決まった。
米の四割を、重い傷の者と熱のある者に。三割を、帰国の船と国元への移送に。三割を、死んだと確かめられた者の家族に。まだ確かめられていない家には、少しだけ仮の給付を出す。間違えて渡した米は、後から取り戻さない。不正があれば、受け取った家族ではなく、確かめた役人の責めとする。
三成は、最後まで反対した。
「誤りを認める仕組みになりまする」
「誤りで腹を空かせた家から、米を取り上げるよりはましじゃ」
正則が言った。
「役人が責めを負うなら、役人がよう確かめる」
清正が言った。
三成は、長く黙っていた。それから、自分の袖の内側を見た。昼に書いた、あの女の夫の名が、そこにあった。
「……記録は、残しまする」
「残せ」
「次に、直せ」
「承知いたしました」
決まった。最善ではない。すべてが足りない。それでも、今日より多くの人が、明日を迎えられる。
利家の部屋へ行くと、利家は枕を高くして待っていた。三成が報告し、清正が補い、正則が口を挟み、三成が正し、正則が怒った。
利家が、咳き込みながら笑った。
「わしが決めずとも、決まったのですな。揉めましたか」
「うん」
「机は」
「ひとつ、こわれた」
「ならば、良い評議でございました。机で済んだのでしょう」
戦にならなかった。誰も斬られなかった。利家が決めなくても、米は動いた。
【前田利家への調停依存度】
九十一 → 八十七
四つ。たった四つ。それでも下がった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.2% → 95.1%
一日で一・一。机一脚と引き換えなら、安い買い物だ。
「拾様。今日は、もうお休みなされ」
「まだ」
「なりませぬ」
劉禅だったころ、董允に何度も言われた言葉だった。俺は、少し笑った。
「としいえも、やすむ。みんなも」
利家は、三人を見た。三成はもう紙を持っていた。清正は明日の指図を考えていた。正則は、今から遺族のところへ走っていく気でいた。
「……難しゅうございますな」
英雄を休ませるより、自分を英雄だと思っていない働き者を休ませる方が、ずっと難しい。
三日後、三成が俺の部屋に来た。珍しく、紙を持たずに。
「港の寺の、あの女人の夫御が、見つかりました」
「いきてた?」
「堺の寺に、運ばれておりました。足に傷を負い、熱で名も言えぬまま、別の隊の名簿に紛れておったのです」
三成は、袖の内側を俺に見せた。あの日書いた名の上に、墨で小さく丸がつけてあった。
「今朝、女人を堺へ送りました。……赤子を抱かせて、夫御の枕元へ」
三成の声は、いつもと同じように平らだった。だが、「赤子を抱かせて」と言ったところで、ほんのわずかに、揺れた。
「よかった」
「はい」
三成は、それだけ言って頭を下げた。部屋を出ていく背中が、ほんの少しだけ、軽く見えた。
十日と約束して、三日で見つけたのだ。この男は、約束の期日より早く仕事を終えることを、たぶん生まれて初めて、嬉しいと思ったのではないか。
三成は、その翌朝までに、二百の家の名簿を作り直した。一睡もせずに。
俺は、それを見て喜んだ。この男がいれば、豊臣の実務は回る。
その夜、久しぶりに、自分の数字が勝手に開いた。
【人物評価:豊臣秀頼(拾) 更新】
人望 74 → 79 | 制度理解 76 → 79
新規指標:主人公依存度 31 → 44
特殊スキル:五歳児特権(号泣)[使用回数 1]
封印スキル:???[解放条件:託された者が、――を休ませること]
主人公依存度。見慣れない項目だった。利家への依存を下げるたびに、別の誰かへの依存が上がっている。三成へ。そして、俺自身へ。
封印スキルの空欄は、あと一つだけ残っていた。誰を休ませればいいのか。利家か。三成か。母上か。
俺は、答えを知っている気がして、表示を閉じた。
その喜びが、次の間違いの入口だった。




