第21話 加藤清正
【豊臣家滅亡まで 残り5,947日】
昼餉の場所は、清正の屋敷に決めた。正則と三成だけで飯を食わせれば、膳がひっくり返る。間に清正を置けば、少なくとも膳は無事だろう。
その前に、俺はもう一度、清正の普請場へ行った。清正という男を、もう少し見ておきたかった。
加藤清正は、怖い。五歳児の目から見ると、特に怖い。身体が大きく、声も大きい。鎧を着ていなくても、鎧を着ているように見える。額の傷。日に焼けた顔。硬い手。笑っているときでさえ、誰かを叱る直前の顔に見える。
それなのに、城下の子供たちは、清正を見ると寄っていった。
「虎之助さま!」
一人が呼んだ。清正は、振り返る前に顔を柔らかくした。
「走るな。転ぶぞ」
言った直後に、一人が転んだ。
「だから申した」
清正は子供を抱き上げ、膝の泥を払った。血は出ていない。
「泣くほどのことではない」
子供は泣いた。
「泣くなとは、申しておらぬ」
よく分からない慰め方だった。だが子供は、清正の首にしがみついて離れなかった。
【人物評価:加藤清正】
統率 93 | 戦術 91 | 政務実務 67 | 兵站財務 86
交渉外交 62 | 人望 92 | 学習適応 82 | 制度理解 58
固定スキル:現場統率/築城/部下保護/忠義直進
弱点:柔軟性 三十六/理屈より義理を優先する局面
柔軟性、三十六。やはり、どこかは壊れている。
「拾様。このような所へ、いかがなされました」
清正は子供を下ろし、膝をついた。
「きよまさを、みに、きた」
清正は困った顔をした。それから、俺を石垣から離し、普請場全体が見渡せる場所へ連れていった。
職人、人足、荷車、縄、石、水。誰も止まらない。清正が指図しているから動いているのではなかった。清正がいなくても、それぞれが次の仕事を知っていた。
「だれが、きめたの」
「石の置き方でございますか」
「ぜんぶ」
「わしが決めたものもございます。石垣衆が決めたものも、人足の頭が決めたものも、水を汲む女たちが決めたものもございます」
「きよまさが、ぜんぶ、きめない?」
「決められませぬ」
即答だった。
「知らぬことを決めれば、人が死にまする」
石を運ぶ列の中で、一人が声を上げた。列が止まる。縄が締め直される。作業は遅れた。誰も怒らなかった。
「とめたひと、しからないの?」
「危ないと申したからにございます」
「まちがいだったら?」
「確かめればよい。石が落ちるより、安うございます」
この男は、報せた者を罰しない仕組みを、言葉ではなく現場で作っていた。現場は理屈を嫌うのではない。知らない者が上から決める理屈を嫌うのだ。
「きよまさと、みつなりは、おなじ」
清正の顔が固まった。
「それだけは」
「おなじ。ひとを、しなせたくない」
清正は、何も言わなかった。三成は、次の不足を防ぐために記録を求める。清正は、目の前の危険を止めるために人を止める。時間の向きが違う。だが、守りたいものは同じだった。
「……昨日、あやつは弥七の名を申しました」
清正が、石垣を見たまま言った。
「なぜ、いつもそうせぬのです。なぜ、名を知っておるのに、数でしか申さぬ」
答えられなかった。三成は、忘れないために書く。書いたことで、口に出さなくていいと思っているのかもしれない。あるいは、口に出したら、自分が持ちこたえられないのかもしれない。
「それ、みつなりに、きいて」
「……腹が立ちます」
「それでも」
「殴るやもしれませぬ」
「なぐらない」
「努めまする」
約束しろ。
清正の屋敷の昼餉は、麦を混ぜた飯と、味噌汁と、焼いた魚と、漬物だった。豪華ではない。
「兵と同じものを、と申しつけてございます」
毎日ではないだろう。だが、同じものを食べる日を作ることに意味がある。
三成は刻限どおりに来た。正則は来なかった。
「先に始めまするか。飯が冷めます」
「待つ」
清正が言った。
「正則殿は、刻限というものを」
「待つ」
三成が黙った。正しいことを、今すぐ言わない練習だ。
しばらくして、外から大声がした。
「遅れてはおらぬ!」
遅れている。正則が入ってきた。酒の匂いはしない。努力はしているらしい。
三人が同じ膳を前に座った。誰も箸を取らない。
俺にも、小さな膳が出た。清正の家の女房が、魚の骨を全部抜いて、身をほぐしてくれてあった。
「拾様の御膳は、わしが骨を抜かせました。喉に刺されば、一大事でござる」
清正が言った。三成が、自分の魚と俺の魚を見比べた。何か言いたそうだった。俺は目で止めた。骨を抜いた分、目方が減っていると言いかけたのだと思う。
「たべる」
俺が言うと、全員が食べ始めた。沈黙。魚の骨を外す音だけがする。
俺は三成を見た。雑談。今だ。三成も俺を見た。口を開いた。
「清正殿」
「何だ」
「この魚は」
よし。
「昨日の魚より、目方が一分ほど軽いように見受けられます」
違う。
清正の箸が止まった。正則が、味噌汁を吹いた。
「三成!」
「事実を」
「雑談で事実を言うな!」
雑談とは事実を言わない時間なのか、と三成の顔に書いてあった。俺は頭を抱えた。
清正が、少しだけ笑った。
「……豊後から来た魚だ」
「運ぶのに、幾日」
「三日」
「氷は」
「使うておらぬ」
「塩は」
話が物流になった。だが、続いていた。清正が現場を話し、三成が問い、正則は黙々と魚を食べた。仲良くなる必要はない。飯を食べながら、相手の話を最後まで聞ければいい。
その時、正則が言った。
「三成。朝鮮で死んだ、権兵衛を覚えておるか」
三成の箸が止まった。
「……どの隊の」
正則の顔色が変わった。
「覚えておらぬのか」
空気が、一瞬で冷えた。清正が正則を見た。俺は次の言葉を探した。三成は、帳面を持っていなかった。記録の外で、名前を問われたのだ。
「……申し訳ない」
三成が言った。
俺は顔を上げた。謝罪経験、零。今、何と言った。
「すべての名を、覚えてはおりませぬ。されど、忘れてよいとは、思うておりませぬ。権兵衛殿の隊と、国と、遺された方を、教えていただきたい」
三成は、一度言葉を切った。膝の上の手が、固く握られていた。
「次は、紙だけでなく、拙者が覚えまする」
正則は、握っていた拳を、ゆっくりと開いた。
「……権兵衛は、尾張の清洲の、桶屋の倅でな。わしと同じじゃ。餓鬼のころから、わしの後ろをついて歩いておった」
低い声で、正則は話し始めた。清正が聞いた。三成が聞いた。俺も聞いた。数字の中にいた一人が、名前と顔を持って、同じ膳に座った。
現場は、数字を嫌っているのではない。数字の中から人が消えることを、恐れているのだ。そして三成は、人を消したいのではない。消えないように、一人で必死に書いていた。
二つの正しさは、まだ重ならない。だが今日は、同じ魚を食べた。
帰り道、三成は俺の半歩後ろを、黙って歩いていた。
「みつなり」
「は」
「きよまさが、きいてた。どうして、なまえを、いわないのかって」
三成の足が、少し遅くなった。
「……拙者は、名を記しております。帳面に、何千と」
「うん」
「記しておる間は、ただの字にございます。隊と、国と、日付と。字であれば、拙者は書き続けられまする」
三成は、前を見たまま言った。
「口に出せば、それは人になりまする。顔が浮かびまする。声が聞こえまする。……何千の顔が浮かべば、拙者は筆を持てなくなる。筆を持てなくなれば、誰が遺された者に扶持を届けるのです」
俺は、何も言えなかった。
この男は、冷たいのではなかった。冷たくしていなければ、壊れてしまうことを知っていたのだ。死者の名を、字のまま抱えていることでしか、正しくいられなかった。
「でも、きょう、ごんべえの、はなし、きいた」
「……はい」
「どうだった」
三成は、しばらく黙っていた。
「筆は、まだ持てまする」
それだけ言って、三成は歩みを戻した。袖で、一度だけ目元を拭ったように見えた。見なかったことにした。
【人物評価・補足:石田三成】
謝罪経験 零 → 一
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.9% → 96.5%
その夜、正則から使いが来た。拾様に、ぜひともお見せしたいものがござる、と。




