第20話 営業力十八
【豊臣家滅亡まで 残り5,947日】
石田三成改革計画は、朝食の前に始めた。朝食の後では、三成が仕事に行ってしまうからだ。
三成は、誰よりも早く起きる。前日の記録を確かめ、書状に返事を出し、蔵の数字を聞き、奉行衆の予定を並べる。そのころ正則はまだ二日酔いで、清正はもう石垣の普請場にいて、利家は眠っている。眠らせている。
俺は、三成の執務の間の前で待ち伏せした。
「拾様。なぜ、このような所に」
「まってた」
「御用がおありなら、お召しを」
「よぶと、しごとを、もってくる」
三成の後ろには、紙の束を抱えた小姓が四人いた。
「必要な書付にございます」
「おおすぎ」
「これでも少ない方にございます」
豊臣政権の実務は、この男の両腕に乗っている。乗りすぎている。
「きょうは、みつなりを、なおす」
三成の顔が固まった。
「拙者に、不手際が」
「ある」
「どの件でございましょう」
即座に紙を出してくる。反省する気はあるのだ。問題は、反省する単位が仕事の案件だということだった。
「ぜんぶ」
小姓たちが息を止めた。三成は驚かなかった。
「承知いたしました。奉行職を辞する旨、直ちに」
「ちがう!」
極端である。満点の人間は、零点か満点かでしか物を考えない。
「しごとは、やめない。とどけかたを、なおす」
「書状の送り先に、誤りが」
「みつなりの、ことばを、とどける」
三成は、ますます分からない顔になった。
【人物評価・補足:石田三成】
政策立案 九十九
文書作成 百
公式交渉 八十一
非公式調整 十八
営業力 十八
営業力、十八。
前世にも、営業を軽く見る経営者はたくさんいた。良い品なら売れる。正しい提案なら通る。数字を見せれば分かってもらえる。そう言う。そして、売れない。通らない。分かってもらえない。相手は品物や数字を買うのではない。自分が困らずに済む明日を買うのだ。
「みつなり。きよまさに、なにを、してほしい?」
「朝鮮での兵粮の実数と損耗を、所定の書式で出していただきます」
「それで、きよまさは、なにが、よくなる?」
「次の兵粮の配分が、適正になります」
「きよまさの、ことばで」
三成は考えた。
「……不足が減ります」
「だれの」
「軍全体の」
「きよまさの」
また考える。
「清正殿の兵が、飢えにくくなりまする」
「それ」
三成が瞬きをした。
「同じ意味にございます」
「ちがう。ひとが、みえる」
三成の説明には、いつも組織がいる。軍。奉行。大名。国。だが、目の前の人がいない。清正が守りたい兵。正則が忘れられない仲間。数字の中にはいるのに、言葉の中から消えている。
「……相手によって、言い方を変える、ということでございますか。それは、迎合では」
来た。正しい人が営業を嫌う理由である。
「うそ、いう?」
「申しませぬ」
「まちがいを、ただしいって、いう?」
「いたしませぬ」
「じゃあ、げいごう、ちがう」
三成はまだ納得しない。
「くすり。げんさくは、としいえに、にがいくすりを、のませる」
「はい」
「みつを、まぜたら、くすりは、うそになる?」
三成は黙った。
「……なりませぬ」
「とどけるために、かえる。なかみは、かえない」
「……分かりました」
早い。本当に分かったときほど、三成の返事は短い。問題は、やってみることだった。
「いまから、きよまさに、いく」
「昨夜、既に」
「もういちど。きよまさの、ことばで」
三成は、逃げなかった。逃げるという選択肢を思いつかない人間なのだ。
普請場へ向かう廊下の途中で、三成が急に立ち止まった。
「拾様。一度、ここで試しても、よろしゅうございますか」
「なにを」
「言い方を」
三成は、俺の前で咳払いをした。俺を清正に見立てているらしい。五歳児の清正である。
「清正殿。朝鮮における兵粮の実数および損耗について、所定の書式による提出を」
「ちがう」
「清正殿の兵を、飢えさせぬため、所定の書式による」
「しょていの、しょしき、いらない」
「……では、書式は後ほど拙者が整えまする。清正殿は、覚えておられることを、お話しくだされば」
「それ」
三成は、驚いたような顔をした。
「書式を、拙者が整える。……それでよいのでございますか」
「みつなりは、しょしきが、とくい。きよまさは、いくさばが、とくい。とくいなひとが、やればいい」
三成は、しばらく何かを考えていた。それから、小さく言った。
「拙者は、皆が同じ書式で出すべきだと思うておりました。それが、公平だと」
「こうへいは、おなじかたちに、することじゃない」
三成は、それ以上何も言わなかった。だが、懐の中の紙を、一枚だけ抜いて小姓に渡した。所定の書式の、雛形だった。
清正は、本丸の石垣の前に立っていた。
城は完成している。普通の人はそう思う。清正には、まだ未完成の場所が見えるのだろう。石の噛み合わせ。水の抜け道。崩れやすい斜面。荷車が詰まる角。清正にとって城は大きな図面ではなく、人が動く現場だった。
「清正殿」
清正の肩が、目に見えて固くなった。
「何だ」
「昨夜の兵粮の件で」
「話した」
「承知しております」
「では何だ」
三成が、俺の方を見た。見るな。自分でやれ。俺は石の陰に隠れた。五歳児なので、隠れられた。
三成は、一度口を閉じた。それから、懐から小さな紙を取り出した。
「蔚山で亡くなられた、清正殿の小姓のことでございますが」
清正が、振り向いた。
「……片岡弥七殿。肥後の隈本の在の出。十五歳。母御と、妹御が二人。昨夜、帳面で調べました」
清正の顔から、表情が消えた。
「妹御の一人は、来年、嫁ぐ年頃と記してございました。……弥七殿の家に、扶持が届いておるかどうか、拙者には分かりませぬ。清正殿の書付がなければ、確かめようがないのでございます」
三成は、紙を見たまま言った。清正の顔を見ていなかった。だが、言葉は届いていた。
「清正殿の兵を、飢えさせぬため。死んだ者の家を、飢えさせぬため。次の配分を、改めとうございます」
長い沈黙があった。
「……いつまでだ」
三成が口を開く。たぶん、今日中と言う。俺は石の陰から、首を横に振った。三成が俺を見た。清正も、俺を見た。隠れた意味がなかった。
「三日」
「三日で、死人と病人と不足を数えろと」
「五日」
「増えたな」
「七日」
「なぜ二日ずつ増える」
「交渉中にございます」
清正が、大声で笑った。三成に向かって、怒りではなく、初めて笑った。
「十日だ」
「長すぎまする」
「八日」
「承知いたしました」
話がまとまった。三成が、いつもと同じ角度で頭を下げる。去ろうとしたところで、清正が呼び止めた。
「三成」
「はい」
「弥七の名を、覚えておったのか」
「覚えてはおりませなんだ。昨夜、調べました」
清正は、少し黙った。
「……正直な奴だ」
そして、石垣の方へ向き直った。
「今の言い方は、昨日よりは、腹が立たなんだ」
褒めている。かなり褒めている。三成は、本気で考え込んだ。
「どの部分が、でございましょう」
「聞くな!」
台無しだった。
【人物評価・補足:石田三成】
営業力 十八 → 十九
清正の書付提出見込み 三十一 → 七十六
一つ、上がった。前世なら研修の誤差だ。だが、その一つで兵粮の記録が届く。記録が届けば、弥七の母と妹に扶持が届く。人の暮らしで測れば、一は小さくない。
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.2% → 96.9%
また九十七を割った。今度は、戻らないでほしい。
帰り道、三成が歩きながら言った。
「拾様。もう一人、試してみても」
「だれ」
「正則殿」
俺は足を止めた。
「きょう?」
「同じ日に試した方が、比べられまする。それに、正則殿からも、出ておらぬ書付が」
営業ではなく、取り立てだった。
「まず、ひるめし。まさのりと、いっしょに」
三成の足が止まった。初めて、三成が仕事から逃げたい顔をした。




