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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第四部「家康包囲網の誘惑」                                           第一章 二条城

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第161話 土は、わしが見た


【豊臣家滅亡まで 残り1,402日】


 九度山から届いた書状は、やけに短かった。


 《父、去る四日、身まかり候》


 真田昌幸が死んだ。関ヶ原のとき、上田の城で徳川の大軍を二度も足止めした老人だ。そのせいで十一年も紀伊の山奥に押し込められ、最後まで赦されないまま逝った。


 二行目。


 《最期まで、大坂の紐の話を、いたしおり候》


 九度山の真田家は、生きていくために真田紐を編んで売っている。その売り先を大坂に作ったのが俺だった。あの爺さん、死ぬ間際まで商売の話をしていたらしい。


 三行目で、指が止まった。


 《焼酎は、もはや、所望つかまつらず候》


……最後の最後まで、酒の話か。


 笑おうとして、うまく笑えなかった。


 押し込めの身に、酒は届けられない。だから毎月「老父の養生のため」と書いて、駿府の家康に届けを出してきた。壺が一つから二つになり、島津から回してもらった壺まで送った。そのたびに、片桐且元が胃のあたりを押さえていた。


 もう、あの届けを書くことはない。


 書状には、もう一枚、紙が添えてあった。震えて、大きくて、墨がかすれた字。信繁の字ではなかった。


 《豊臣の若殿へ》

 《紐の商い、面白う、ござった》

 《戦よりは、銭の勘定が、合い申す》

 《倅を、頼み申す》


 倅を、頼み申す。


 その形を、俺は知っていた。父・秀吉が死ぬ前に、何度も何度も書いた言葉だ。返す返す、秀頼のこと頼み申し候。


 関ヶ原で父の家に逆らった男が、最後に、父と同じ頼み方をしていた。


 返書を書いた。弔いの言葉のあとに、二行足した。


 《焼酎の壺、一つ、お送りいたし候》

 《老父の弔いのため、と、駿府には、届け申すべく候》


 且元は、今度は胃を押さえなかった。黙って届けの紙を清書してくれた。清書の字が、いつもより少し丁寧だった。


 使いで何度も九度山へ通った勘定方の与市が、昌幸の話をしてくれた。


「昌幸様は、拙者が参るたびに、将棋を指せと申されました」


「強かった?」


「一度も勝てませなんだ。負けるたびに、《豊臣の勘定方は、算盤は速いが、駒は遅い》と」


 与市は懐から、小さな駒を一つ出した。桂馬だった。


「最後にお会いしたとき、床の中から、これをくださいました。《桂馬は、人の頭を越えて跳ぶ。されど、戻れぬ。勘定方は、戻れる駒を使え》と」


 戻れない駒。関ヶ原で西についた真田の家のことだったのかもしれない。


 与市は桂馬を、机の端の天秤の皿にそっと乗せた。天秤が、ほんの少しだけ傾いた。


 半月後。今度は熊本から書状が来た。


 封を見ただけで、嫌な予感がした。医者の道悦の字だった。


 半年前、加藤清正は二条城の会見で、俺の隣に座った。徳川家康と豊臣秀頼が顔を合わせる、天下が息を止めた一日。清正は顔色の悪いまま背筋を伸ばし、俺の膳の汁を自分の箸ですすって、毒見までしてくれた。


 その帰りの船で、清正は倒れた。


 俺は道悦と、大坂の船着き場で働く若い侍を一人、熊本へ送った。俺自身は行けなかった。豊臣の当主が城を空ければ、それだけで戦の噂が立つ。


 《加藤主計頭殿、去る二十四日、身まかり候》


 紙の字が、うまく読めなくなった。


 小者の弥七が、黙って灯りを近づけてくれた。灯りのせいではなかった。


 道悦の書状は長かった。熊本の城の奥の間。廊下まで満ちていた薬草の匂い。医者が三人、僧医が一人、家来が十人あまり。みんな何かをしていた。何かしていないと、耐えられないから。


 《主計頭殿は、布団の上にて、小さく見え申し候》


 あの大きな男が、鎧を脱いで、声をなくして、ただの病人になっていた。


 前の世の知識があっても、ここには熱の病に効く薬がない。体の中を見る道具も、点滴の管もない。俺はまた、先のことを知っているだけの役立たずだった。しかも今度は、枕元にすらいない。


 《二日目の夜半、主計頭殿、目を開けられ候》


 清正は、枕元の若い侍の顔を見て、誰か分からなかったらしい。


 《大坂の船着き場の者にて候、と申し上げ候ところ》

 《主計頭殿、救うた者の数の者か、と、仰せられ候》


 覚えていたのだ。会ったこともない若者のことを。俺が書状に書いた、「船着き場で救えた者の数」の話を。


 若い侍は、俺の言葉を伝えた。休んで。今度こそ。


 《主計頭殿、お笑いになり候》

 《殿は、無茶を、申される、と》


 それから清正は、会見のあとの俺の様子を聞いたという。


 若い侍は正直に答えた。殿は、怖かったと仰せでした、と。


 本当だった。二条城から戻ってすぐ、俺はあの若者に言ったのだ。家康が、怖かった、と。


 《主計頭殿、目を閉じられ、それでよい、と、仰せられ候》

 《怖いと申せる殿であれば、戦を、急がれまい、と》


 《三日目の夕刻、主計頭殿、今一度、はっきりと、目を開けられ候》

 《兵を、と、仰せられ候》

 《帰して、くだされ、と》


 朝鮮から。関ヶ原から。これから起きるかもしれない戦から。清正が俺に頼むことは、いつも同じだった。勝たせてくれ、じゃない。帰してくれ。


 《拙者、主計頭殿の御手を、取り申し候》

 《大坂の殿の代わりに、必ず、と、申し上げ候》


 《主計頭殿、それを聞かれ、静かに、息を吐かれ候》

 《次の息は、来たらず候》


 読み終える前に、一度、書状を伏せた。


 弥七が茶を置いていった。何も言わなかった。窓の外で、蝉が鳴いていた。


 去年の夏も、同じように鳴いていた。あの頃の清正は肥後の石垣を見て回っていて、月に一度、四行だけの書状を寄越した。決まって最後の行は、《土は見たか》だった。


 もう、届かない。


 茶が冷めるまで待って、続きを読んだ。


 最後に、もう一枚、紙が挟まっていた。


 清正の字だった。震えて、大きさも揃わない、あの男の字とは思えない字。熊本へ下る船に乗る前の日に書いて、懐に入れたまま倒れたのだという。


 四行だった。


 《会見、よし》

 《殿、怖がられし顔、よし》

 《大坂の東の石垣、直されよ》

 《土は、わしが見た》


 最後の行を、何度も読んだ。


 土は見たか。何十通もそう問い続けた男が、最後の一通で、初めて答えを書いていた。


 わしが見た。だから、殿はもう見なくてよい。


……いや、違う。わしが見た土を、今度は殿が見続けよ。


 どっちだよ、主計頭。


 たぶん、両方だった。


【加藤清正 身まかりました】

【豊臣家を支える古い家来たちのまとまり 79 → 62】

【戦を止める力 下がりました】


 画面は最後まで、人の死に遠慮しなかった。俺は表示を閉じた。


「弥七。記録を」


「はい」


「最期の言葉を、全部残して。道悦の書状も。清正の四行も。若い侍が何を言ったかも」


 清正の最後の頼み。兵を、帰す。それを豊臣家の、戦についての一番目の決まりにした。


 《豊臣家、兵を出すときは、帰す道と、帰す先を、先に定めること》


 その晩、城じゅうに、清正のための灯りが一つずつ灯った。誰が言い出したのかは分からない。台所の焼き味噌の太郎が最初だったと、あとで聞いた。


 浪人たちの長屋でも灯った。後藤又兵衛の部屋の前にも、一つ。


 又兵衛は、その灯りの前で、一晩じゅう黙って座っていたという。


【本日の豊臣家滅亡確率】

95.2% → 95.8%


 ひと月後、熊本から若い侍と道悦が戻ってきた。若い侍は、小さな布の袋を差し出した。


「加藤家の御家来より、殿へ。主計頭様が倒れられる前に、申しつけておられたそうで」


 中身は、土だった。


「《殿は、土を見ても分からぬと申される。ならば、比べて見よ。肥後の土と、大坂の土と》……と」


 黒くて、粘りのある土だった。大坂の東の普請場の、砂ばかりの土とはまるで違う。


 一つだけ見ても分からない。比べれば分かる。


 あの男は最後まで、俺に土の見方を教えようとしていた。


 その夜、納戸から石を一つ出してきた。朝鮮の蔚山の城から、清正が持ち帰ってくれた石だ。ずっと、三成の干し飯の袋の隣にしまってあった。


 石と、土の袋と、四行の書状を並べた。


 全部、冷たかった。


 廊下の向こうで、誰かが声を潜めて話していた。若い家来たちの声だった。


「……主計頭様がおられぬなら、もう、徳川に遠慮する者はおらぬ」


 灯りが一つ、風に揺れて消えた。


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