第157話 清正、最後の奉公
【豊臣家滅亡まで 残り1,516日】
慶長十六年の春、加藤清正が、大坂城に来た。
何年ぶりだっただろう。肥後から、四行の書状は、何十通も届いていた。だが、本人の顔を見るのは、関ヶ原の前の年以来だった。
痩せていた。
頬が、こけていた。首の筋が、浮いていた。だが、声は、大きかった。歩く音も、大きかった。そして、城を見る目だけは、少しも、変わっていなかった。
広間に通されて、秀頼の前に座る前に、清正は、窓の外を見た。
「……この石垣」
会って、最初の一言が、それだった。
「少し、孕んでおりまする」
挨拶は、どこに行った。
「清正」
「は」
「久しぶり」
「はっ」
「まず、秀頼を、見て」
清正は、ようやく、秀頼の方を向いた。長いこと、見ていた。
「……御立派に、なられました」
「石垣のあとに言われても、嬉しくない」
清正は、困った顔をした。気持ちを顔に出すのが、昔から、下手な男だった。
そのとき、数字が、開いた。
【人物評価:加藤清正】
城づくり 100
現場を率いる力 97
忠義 98
体の具合 41
最後の数字から、目を、逸らせなかった。
「座って」
「まだ、石垣の」
「座って」
「は」
清正は、座った。背筋は、伸びたままだった。病人には見えない。そう、見せていた。
道悦を、呼んであった。玄朔が、城の仕事を弟子たちに任せて京に移ってから二年、道悦は、城の医者の頭になっていた。清正は、道悦の顔を見て、露骨に嫌な顔をした。
「殿。拙者は、急ぎの話が」
「診てもらってから、聞く」
「急ぎに、ございます」
「だから、生きて」
清正が、黙った。
道悦が、脈を取った。顔の色を見た。腹に触れた。咳。食。便。眠り。一つずつ、聞いた。清正は、半分しか、答えなかった。秀頼が睨むと、残りを、答えた。
道悦は、病の名を、言わなかった。言えなかったのだと思う。ただ、診終わってから、小さく、言った。
「……長く、無理を重ねてこられた体にござる。休ませねば、なりませぬ」
「肥後に、戻って。休んで」
「御役目が」
「戻って、休んで」
「その前に」
清正は、懐から、書状を一通、出した。
家康からだった。
内府が、京に上ってくる。帝の代替わりの儀のためだ。その折に、二条の城で、秀頼に会いたい。大きくなった豊臣の当主を、自分の目で、見たい。
表向きは、そういう話だった。
「……お行きなされ」
清正が、言った。
「母上は、反対する」
「存じておりまする」
「毒を、疑う」
「当然にございます」
「清正も、疑ってる?」
清正は、少し、考えた。
「疑うておりまする」
「それでも、行けって」
「はい」
「どうして」
清正は、秀頼を、まっすぐ見た。
「見ぬ敵は、大きゅうなりまする」
内府が、秀頼を見ない。秀頼が、内府を見ない。間に立つ家来たちが、噂を運ぶ。望みが膨らむ。怖さも膨らむ。そのうち、両方とも、どこにもいない化け物と、戦うことになる。
「会えば、内府の警戒が、上がるかもしれない」
「上がりましょう」
即答だった。
「秀頼、だいぶ、大きくなったし」
「存じておりまする」
「背も、高いし」
「それも」
「頭も」
「それは、前から」
少し、嬉しかった。だが、褒められている場合ではなかった。
「内府は」
清正が、続けた。
「殿が弱ければ、いずれ、誰かに担がれると、恐れまする。強ければ、ご自分で立たれると、恐れまする」
「どっちでも、怖がるんだ」
「はい」
「じゃあ、どうすれば」
「殿ご自身が」
清正は、言った。
「何を望まれるか、内府に、お伝えなされ」
その言葉を、しばらく、噛みしめた。
家康が恐れているのは、秀頼そのものではない。秀頼を担ぐ者。秀頼の名を借りる大名。そして、秀頼が何を望んでいるのか、分からないこと。
だから、会う。危うくても、会う。
「……守りは」
「拙者が」
「清正は、休んで」
「最後の、奉公にございます」
その言葉に、胸が、冷えた。
最後。言わないで。この時代で、その言葉は、本当に最後になる。
「最後に、しないで」
言った。
「帰って、次も、働いて」
清正は、笑った。
「殿は、人使いが、荒うございます」
「父上よりは、ましでしょう」
「それは」
清正は、少し、遠くを見た。
「……違い、ございませぬ」
評議のあと、清正を、本丸の納戸に、案内した。
戸を開けると、清正は、入り口で、足を止めた。
棚の一番手前に、石が一つ、置いてあった。蔚山の城から、清正が持って帰ってきた石だった。昔、秀頼に、くれたものだ。その隣に、小さな袋が、二つ。三成の干し飯の袋だった。関ヶ原の前に、三成が、まつに返すつもりで、持っていたものだ。
清正は、長いこと、動かなかった。
それから、ゆっくり、干し飯の袋に、手を伸ばした。触れる寸前で、止めた。
「……治部め」
低い声だった。
「わしの石の隣に、置かれて、さぞ、居心地が悪かろう」
「嫌だった?」
「いや」
清正は、首を横に振った。
「わしは、あの戦いで飢えた。……あの袋の中身が足りなんだことを、わしは、長いこと、あやつのせいにしておりました」
清正は、袋に触れずに、手を下ろした。
「足りなんだのは、治部のせいでは、なかった。海が、遠すぎたのでござる」
干し飯の袋は、何も言わなかった。清正は、深く、一礼して、納戸を出た。
評議が終わってから、清正を、城の東の、普請場に連れていった。
石垣を積み直している場所だった。人足が、土を運んでいた。清正は、足を止めた。
「清正。これ」
地面を、指さした。
清正は、黙って、しゃがみこんだ。土を、一握り、すくった。指の間で、ほぐした。匂いを嗅いだ。
「……粘りが、足りませぬな。下の方に、砂が、多い」
「うん。与市が、三年前に、書き留めてた。この辺りは、昔、川だったって」
清正は、土を握ったまま、顔を上げた。
「殿が、土を、見られたので」
「見たよ。清正が、何十回も、書いてきたから」
清正は、しばらく、何も言わなかった。それから、土を、そっと、地面に戻した。
「……土は見たか、と、書くたびに、見ておられぬじゃろうと、思うておりました」
「見てた。分からなかったけど」
「分からずとも、見る方が、ようござる」
清正は、立ち上がった。膝に、手をついた。前なら、手をつかずに立った男だった。
帰り道、清正が、一つだけ、付け加えた。
「殿。京へは、浅野紀伊守も、お連れなされ」
「紀伊守」
「九度山を預かる、あの浅野の当主でござる。……あれは、若うござる。わしより、長う、生きましょう」
清正は、前を向いたまま、言った。
「わしが倒れたときに、殿の隣に立つ者が、要りまする」
「倒れないで」
「倒れぬつもりでござる。されど、城を築くときは、倒れたときの支えを、先に組むもの」
清正らしい言い方だった。石垣の話をしているようで、自分の話をしていた。
【二条城での会見】
危うさ 82
行かなかったときの徳川の警戒 +19
行ったときの徳川の警戒 +12
どちらでも、上がる。だが、差は、あった。
「清正」
「は」
「秀頼を、連れていって」
清正は、深く、頭を下げた。
「承知」
その背中が、前より、小さく見えた。
見ないふりは、しなかった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
94.8% → 95.1%
清正が、城の門を出るとき、もう一度、振り返った。
石垣を見ているのだと、分かった。
「……清正」
「は」
「東の石垣は、直すから」
清正は、少しだけ、驚いた顔をした。それから、笑った。
「殿。わしは、まだ、何も申しておりませぬ」
「顔に、出てた」
清正は、声を上げて、笑った。久しぶりに聞く、大きな笑い声だった。
その夜、道悦が、そっと、秀頼の部屋に来た。
「……加藤様の御脈、書き留めましてござる。見届帳の、形で」
「ありがとう」
「拾様。一つだけ」
道悦は、言いにくそうに、口ごもった。
「京へのお供は、なるたけ、短い間に」
それ以上は、言わなかった。医者は、言えないことを、言わずに伝える顔をしていた。




