第154話 勝てるという数字
【豊臣家滅亡まで 残り2,620日】
慶長十三年の春。
天守から、町を見下ろした。川には、船。蔵には、米。市には、人。堤には、普請の者たち。井戸には、札。寺には、逃げる時の名簿。火消しの組には、元の浪人たち。
平らかだった。少なくとも、見た目は。
十五になっていた。背は、まだ、忠輝を見下ろせるほどには、伸びていなかった。
「拾様。川と逃げ道の方の、一年目のまとめにございます」
且元が、帳面を持ってきた。水が出たときの見込み。逃げる稽古。井戸。蓄え。働いた人の数。怪我。死んだ者。直すところ。
最後の頁で、手が止まった。
《大将のおらぬ稽古》
去年の秋、大坂の町で、大水の稽古をした。信繁の図のとおりに、半鐘を三つずつ鳴らした。年寄りと子供が、赤い道を、寺へ上がった。荷車が、青い道を、蔵へ上がった。火消しの組が、黒い道を、逆へ走った。
指揮を取ったのは、船着き場の若い侍と、後藤又兵衛だった。
真田信繁は、その場に、いなかった。
いるはずが、なかった。あの男は、一度も、大坂に来ていない。九度山で、紐を編み、村の人を数え、焼酎を所望している。
それでも、稽古は、終わった。
《逃げ終わるまで、見込みより、半刻、遅れ申し候》
《怪我人、なし》
《遅れたわけ 又兵衛殿、途中で、若い者の喧嘩を、黙らせに行かれしため》
最後の一行で、少し、笑った。
英雄の頭を、借りた。だが、英雄に、頼り切らなかった。英雄がいなくても、動いた。
【川と逃げ道の決まり A】
【真田信繁に頼る度合い 27%】
【大将のおらぬ時に、うまくいく見込み 82%】
稽古のあと、若い侍と又兵衛が、そろって、報告に来ていた。
又兵衛は、座るなり、文句を言った。
「半刻遅れたのは、わしのせいではない。若い者が、赤い道で、殴り合いを始めたのじゃ」
「なんで、殴り合い」
「どちらが、年寄りを背負うかで」
若い侍が、横で、下を向いて、笑いをこらえていた。
「……それは、いい喧嘩だね」
「よい喧嘩でも、道は塞がる。わしが、二人とも、黙らせた。年寄りは、わしが背負うた」
又兵衛は、胸を張った。
「次の稽古では、背負う順も、決めておけ。……真田に、そう、書いてやれ」
九度山の男に、又兵衛が、注文をつけていた。会ったこともない二人が、紙の上で、同じ町の逃げ道を、作っていた。
悪くなかった。続いて、家全体の数字が、開いた。
【豊臣家】
財 S
商い S
町の回し方 SS
病を防ぐ力 A
戦う力 B
よその家とのつきあい A
人の扱い A
跡継ぎを育てる力 C
家のまとまり B
跡継ぎを育てる力だけが、低かった。跡継ぎは、秀頼だ。秀頼が、次を育てていない、ということだった。
それでも、ほかの数字は、関ヶ原のあととは、まるで違っていた。人の台帳。蔵。商い。町。病。井戸。浪人。積み重ねてきたものが、全部、そこに並んでいた。
【目当て:戦が起きても崩れぬ豊臣家を作る】
【達しました】
しばらく、その表示を、見ていた。
うまくいった。久しぶりの、はっきりした、うまくいった、だった。
「且元」
「はい」
「今日は、少し、休みます」
且元が、目を丸くした。
「……御気分が、お悪いので」
「うまくいったから」
「うまくいかれると、お休みになるのでございますか」
「うまくいったときに休まないと、いつ休むの」
口に出してから、自分で、驚いた。木簡に休んだ日を書いていたころ、うまくいった日に休んだことは、一度もなかった。うまくいった日は、次の仕事を始める日だった。
視界の端で、封印スキルの空欄が、瞬いた。いつもより、長く。空欄の中の文字が、二画、浮かびかけて、消えた。
本当に、休むつもりだった。茶を飲む。千姫に、手紙を書く。淀殿と、夕餉を食べる。ふつうの日。
そのはずだった。
だが、うまくいった、の表示の下に、新しい行が、出た。
【つながっている危うさの数字を、改めます】
嫌な予感が、した。
【徳川の警戒 76 → 83】
「……どうして」
【豊臣家の決まりが、長く続く力を持ったため】
「いいことだろ」
【徳川の天下にとって、代わりになりうる家としての怖さが、増しました】
言い方。
大坂は、もう、ただの生き残りでは、なくなっていた。家康が死んでも、秀忠がしくじっても、国々の大名が、豊臣を担げる。豊臣家が、生き延びられる家になったからこそ、徳川にとって、放っておけない家になった。
最後の表示が、出た。
【大坂の陣が起きる見込み 83% → 89%】
「なんで、上がるんだよ!」
天守で、叫んだ。
且元が、飛び上がった。
「な、何がでございますか」
「戦です」
「どの戦で」
「七年後くらいの」
「また、先の話を」
「近いんです!」
七年。長いようで、短かった。関ヶ原から今日までの八年も、あっという間だった。
数字が、問いを、出してきた。
【豊臣家が強うなったため、徳川が警戒しています】
【弱くなりますか】
はい / いいえ
指が、止まった。
弱くなれば、見逃されるかもしれない。兵を減らす。金を使い切る。人を散らす。決まりを壊す。そうすれば、徳川は、安心する。
だが、それは、生き延びるために、生きる力を捨てることだった。井戸役も。清め役も。火消しの浪人も。帰る先の欄も。九度山の紐も。全部、捨てることだった。
「いいえ」
【確かめます】
【徳川の警戒は、高いままです】
「分かってる」
【大坂の陣が起きる見込みは、下がりません】
「分かってる」
【豊臣家が残るためには、別の手が要ります】
「それを」
天守の外を、見た。
「これから、考えるんだ」
町は、動いていた。誰も、七年後の戦を、知らない。荷を運ぶ。飯を炊く。子供を叱る。堤を直す。帳面を書く。生きている。
この町を、弱くして救うことは、できない。強いまま。恐れられたまま。それでも、滅ぼされない家に、変える。
難しさが、また、一段、上がった。
その時、見慣れない表示が、出た。
【次の課題】
豊臣家を守ることと、徳川家を倒すことを、取り違えない
もう一行。
【徳川家と正面から戦った場合の、勝ち目】
61%
息が、止まった。
勝てる。
その数字が、何より、危うかった。
六十一。
頭の中で、勝手に、名が並び始めた。肥後の清正。安芸の正則。九度山の信繁。浪人長屋の又兵衛。二十七人。台帳の千人。大坂の蔵の米。堺の銀。毛利。島津。
並べるほど、数字が、少しずつ、上がっていく気がした。
止まった。
名を並べていたのは、戦の支度の帳面を、頭の中で、書き始めていたからだった。井戸役の名も、火消しの浪人の名も、帰る先の欄の《大坂》も、全部、兵の数に、見え始めていた。
背中が、冷たくなった。
勝てる、という数字は、人を、数字に変える。
【主人公依存度 54 → 57】
なぜ、今、それが上がるのか、分かった。勝てると思った瞬間、秀頼は、全部を、自分で決めたくなっていた。
夕方、天守を降りようとすると、階段の下に、淀殿が立っていた。
「……叫び声が、奥まで、聞こえましたよ」
「すみません」
「何を、叫んでおられたのです」
「戦の、見込みが、上がりました」
淀殿は、しばらく、秀頼の顔を見ていた。それから、帯に手をやった。
「約束は、覚えておりますね」
帯の中には、あの懐紙が、入っているはずだった。
「……覚えてます。今は、取りたくないです」
「今は」
「ずっと、です」
淀殿は、少しだけ、目を細めた。
「そのお顔を、忘れないうちに、夕餉にいたしましょう」
夕方、九度山から、書状が届いた。季節の挨拶と、紐の数の知らせ。それから、追って書きが、一行。
《若君、近頃、何やら、戦いたきお顔を、なされては、おられぬか》
会ったこともないのに、見抜かれていた。
「……止める役、もう、始めてるんだ」
【本日の豊臣家滅亡確率】
93.9% → 94.8%
その夜、千姫に、手紙を書いた。何を書いたか、覚えていない。ただ、書き終えたとき、休むと言った一日が、もう、終わっていた。
――――――――――
【後書き】
第三部「豊臣家株式会社」完。
次話より、第四部「家康包囲網の誘惑」が始まります。




