第152話 話は旅をするたびに
【豊臣家滅亡まで 残り2,925日】
大坂で、二十七人が仕事を得た頃、駿府では、二十七人が、兵になっていた。
そういう知らせに、なっていた。
家康は、この春、江戸を秀忠に任せて、駿府の城に移っていた。隠居した、ということになっていた。だが、天下の書状は、今も、駿府に集まった。
大坂から駿府までは、遠い。話は、旅をするたびに、少しずつ、形を変える。
大坂を出たときの話は、こうだった。
浪人を、雇った。真田信繁の書き付けで、仕事を割り振った。川普請の稽古。逃げる稽古。火薬の見張り。道の見回り。
駿府に着いたときの話は、こうだった。
浪人を、国じゅうから、集めた。真田信繁が、兵の決まりを整えた。水攻めへの備え。火薬の蓄え。街道を塞ぐ稽古。
ほとんど、戦の支度だった。
江戸の秀忠から、その知らせの写しが、そっと届いた。秀忠の字で、端に一行、あった。
《駿府では、このように、聞こえており候。……念のため》
三度書き直した跡が、あった。
「違います」
写しを、机に叩きつけた。
「全部、違います」
且元が、困った顔をした。
「……一部は、同じ言葉でございます」
「意味が、違う」
「意味は」
且元は、静かに言った。
「受け取る側が、決めることも、ございます」
痛かった。正しかった。
大坂の川普請の稽古は、徳川から見れば、城に籠もる稽古に見える。火消しの組は、火薬に慣れた者の集まり。道の見回りは、道を塞ぐ力。浪人の台帳は、兵の名簿。
そして、真田信繁。
後の世の秀頼でさえ、その名を聞けば、大坂の陣を思い浮かべる。家康が警戒しない方が、おかしかった。
【徳川の警戒 68 → 73】
【大坂の陣が起きる見込み 76% → 80%】
【しようとしたことと、ほかの者が受け取ったことは、同じとは限りません】
知っていた。前の世で、何度も習った。だが、家の滅びる見込みで、復習させないでほしかった。
与市と二人で、話が、どこで変わったのかを、たどってみた。
大坂から駿府までの、宿場ごとに、紙に書き出した。伏見。大津。草津。関。桑名。岡崎。浜松。そして、駿府。
商人の噂。寺の噂。飛脚の噂。宿の女中の噂。与市が、それぞれの宿場に出入りする商人から、少しずつ、聞き集めてきた。
「……稽古、が、籠もる稽古、になったのは、草津のあたりでございます」
「火消し、が、火薬の組、になったのは」
「桑名。……鉄砲鍛冶の多い土地でござる」
話は、通る土地の心配ごとを、一つずつ、拾いながら、旅をしていた。
「間に人が挟まるほど、話は、怖くなる」
「では、間の人を、減らしまするか」
「うん。こっちから、駿府に、直に、書く。毎月。何をしたか、全部」
与市は、少し考えてから、帳面に書いた。《駿府への月ごとの知らせ 案》。
まだ、案だった。
ひと月して、駿府から、正式な使いが来た。
表向きは、近況を問う挨拶。実のところは、調べだった。使いは、本多正純の家来だという。家康の懐刀の、息子の家来だ。
「真田左衛門佐殿を、召し抱えられたと、聞き及び申す」
「召し抱えてません。紐を、買ってます」
「……紐」
「九度山の、真田の紐を。帳面も、あります」
使いの眉が、ぴくりと動いた。
「浪人を、二十七人」
「川普請と、火消しと、船改めと、道の見回りです」
「元は、武士にござろう」
「元は、武士の人もいます」
「槍を、持たせておられると」
「大水のとき、流れてくる木を、動かします」
使いの眉が、もう一度、動いた。
嘘ではなかった。だが、聞けば聞くほど、怪しかった。槍で流木。真田の書き付け。豊臣の給金。自分で説明していても、怪しかった。
「帳面を、全部、お見せします」
治長が、腰を浮かせた。
「拾様。豊臣家の内のことを」
「隠した方が、疑われる」
「すべて見せれば、弱いところも、知られまする」
「隠せば、いない兵まで、いることになる」
浪人の台帳。給金。家族。持ち場。稽古の中身。紐の買い付けの帳面。全部、出した。
使いは、丸一日、帳面を見た。二十七人。持ち場。払った額。普請の場所。稽古の日。家族への扶持。紐の数。
夕方、帳面を閉じてから、使いは、最後に、一つだけ聞いた。
「真田殿は、城の縄張りを、見ておられまするか」
座敷が、凍りついた。
「……城下の図は、送りました」
「城下の」
「逃げ道を、作るために」
「城下と、城は、同じでは、ござらぬか」
「違います」
使いは、静かに言った。
「駿府からは、同じに、見えまする」
それが、答えだった。
戦を避けるために、人を守る仕組みを作った。その仕組みが、戦に耐えられる大坂を、作った。戦に耐えられる町は、戦を望む町に、見える。
門を出る前に、使いは、一度だけ、振り返った。
「……一つ、申してよろしいか」
「どうぞ」
「拙者の主の家は、これまで、方々の家を、調べて参り申した。帳面を、隠す家。帳面を、作り直す家。帳面を、焼く家」
使いは、少しだけ、声を落とした。
「帳面を、自分から、すべて出してきた家は、初めてにござる」
それが、褒め言葉なのか、警戒の言葉なのか、分からなかった。たぶん、両方だった。
使いが帰ったあと、国じゅうから届く書状が、増えた。
毛利。島津。上杉。伊達。豊臣に味方すると書いてくる者は、一人もいない。だが、近況を尋ねる。商いを持ちかける。縁組を探る。寺への寄進を、相談してくる。
全部、政だった。
駿府から見れば、包囲網。大坂から見れば、ただの、つきあい。どちらも、間違いではなかった。
島津からの書状には、挨拶のほかに、荷が一つ、付いていた。
壺だった。中身は、焼酎だった。
「……薩摩の、焼酎」
「季節の挨拶、とのことで」
且元が、困った顔で、壺を見ていた。
豊臣と島津が、焼酎の壺をやり取りする。駿府に着く頃には、たぶん、密約の証になっている。
「この壺、どうしましょう」
少し考えて、言った。
「九度山に、送ろうか」
「……内府様への届けは」
「《九度山、老父の養生のため。島津より到来の品を、回し申し候》」
且元は、天を仰いだ。
「疑いの壺を、疑いの家に、回すのでございますか」
「どうせ、全部、帳面に書くんだから。隠さなければ、ただの焼酎だよ」
結局、その壺は、駿府への知らせの帳面にも、ちゃんと、書かれた。
【豊臣家とよその家のつながり B → A】
【徳川の警戒 73 → 76】
【大坂の陣が起きる見込み 80% → 83%】
豊臣家は、生き延びやすくなった。同時に、戦も、起きやすくなった。
「……理不尽だ」
思わず、呟いた。
後ろから、声がした。
「理不尽では、ございませぬ」
淀殿だった。いつの間にか、書院の入り口に立って、書状の束を、見ていた。
「弱い者は、見逃されまする。強い者は、恐れられまする。豊臣が強うなれば、徳川が警戒いたす。当たり前のことでございます」
「……当たり前」
「当たり前ゆえ、難しいのです」
淀殿は、書状の束の一番上から、一通、取り上げた。伊達政宗からの、季節の挨拶だった。
「この方は、殿下の頃から、ようこのような書状を、書かれます。……中身は、何も、ござらぬ。ござらぬのに、届いたというだけで、駿府は、眠れなくなりまする」
母は、書状を、元の場所に戻した。
「秀頼。豊臣を救うために、豊臣を強うなされた。……その強さが、豊臣を滅ぼすわけに、なり始めております」
【本日の豊臣家滅亡確率】
93.7% → 94.2%
淀殿が出ていったあと、与市が、そっと、帳面を差し出した。
《駿府への月ごとの知らせ 案》
案の字の上に、与市は、もう一本、線を引いていた。消しかけて、やめた線だった。
「……案のまま、置いておきまするか」
「ううん」
筆を取って、案の字を、消した。
「来月から、送る。全部」
与市は、黙って、頷いた。長盛の天秤が、机の端で、少しだけ、揺れた。
窓の外で、浪人長屋の方から、又兵衛の怒鳴り声が、かすかに聞こえた。若い者の喧嘩を、黙らせているのだろう。
あの声も、駿府に着く頃には、きっと、鬨の声に、なっている。




