第151話 帰る先
【豊臣家滅亡まで 残り3,045日】
年が明けて、大坂城の奥の一間に、浪人が、二十七人、並んだ。
元は大名家の家来だった者。関ヶ原で負けた家の者。主の家がなくなった足軽。鉄砲の扱える者。船を操れる者。算盤のできる者。
誰も、役立たずではなかった。ただ、雇ってくれる主が、いなかった。
座敷の端で、治長が、小声で言った。
「……全員を、召し抱えるのは、危のうござる」
「分かってる」
「内府様が」
「もっと、分かってる」
困っているのは、浪人を雇うことではなかった。浪人に、戦のほかの仕事がないことだった。
面談は、船着き場の若い侍と、後藤又兵衛が、並んで受け持った。
又兵衛は、あの日、名簿の前で一刻座り込んだあと、結局、自分の欄に、一行も書かなかった。代わりに、面談を手伝わせろ、と言ってきた。
「浪人の嘘は、浪人が一番、見抜ける」
そう言って、若い侍の隣に、どかりと座った。
手元には、九度山から届いた、信繁の問いの書き付けがあった。
「できることを、申せ」
若い侍が、最初の男に聞いた。
「槍」
「ほかには」
「槍にござる」
又兵衛が、横から、口を挟んだ。
「田は、打てるか」
「……少しは」
「馬は」
「扱えまする」
「荷車は」
「引けまする」
若い侍が、書き付けに、書き込んだ。槍。馬。荷車。田。
次の男。
「鉄砲」
「火薬の、しまい方は」
「存じておりまする」
「湿りを、防ぐ手は」
「存じておりまする」
「火事場で、火薬を、運び出したことは」
「……ござる」
鉄砲。火薬の見張り。火の用心。
次。
「水練」
「舟は」
「小舟ならば」
「流れてくる木を、避けられるか」
「川ならば」
水練。舟。大水のときの、人助け。
書き付けを、見ていて、気づいた。
武士の腕を、戦の名で呼ぶと、戦にしか使えない。槍の足軽、ではない。長い道具を扱えて、組で動けて、命を守れて、重いものを運べる者。鉄砲足軽、ではない。火薬と湿り気を知っていて、危ないものを、しまっておける者。水軍、ではない。舟と流れを、読める者。
腕を、ばらせば、戦のない日にも、使える。
「……拾様」
浪人の一人が、手を挙げた。
「我らは、戦を、せぬのでございまするか」
「しません」
座敷が、ざわついた。
「では、武士では、なくなるので」
「なりません。人を守る仕事を、します」
「戦わずに、守れるものでございまするか」
「戦うより、多く」
浪人たちは、信じていなかった。当たり前だった。この男たちは、戦場で働いて、米をもらってきた。戦がなくなれば、世は、穏やかになる。そして、この男たちは、仕事を失う。穏やかな世は、全員に、優しいわけではなかった。
別の男が、手を挙げた。
「給金は」
そこだった。理屈より先に、聞かれるべきことだった。
「月ごとに、銀。一部は、米」
「仕事のない月は」
「稽古と、堤の見回り」
「怪我をしたら」
「扶持は、続けます」
「……死んだら」
一瞬、言葉が、止まった。
「家族に、三年」
座敷が、静まり返った。
戦場で死んでも、家族が扶持をもらえるとは、限らない。主の家が滅びれば、約束も消える。だが、決まりとして書き残せば、少なくとも、約束は、人より長く、生きる。
若い侍が、書き付けの最後の欄を、指で押さえた。信繁の字で、こう書いてあった。
《帰る先》
村。町。親族。なし。
二十七人のうち、十一人が、《なし》だった。
書き付けの余白に、信繁が、一行、書き添えていた。
《生き残る条件は、逃げ道のあることにては、これなく》
《帰る先のあることにて候》
浪人の台帳に、新しい欄が、増えた。帰る先。家族。戦のほかにできること。怪我をしたときの役目。そして、退いたあとの仕事。
最後の欄を、又兵衛が、鼻で笑った。
「退く前から、退いたあとを、決めるのか」
「決めてください」
「縁起でもない」
「決めない方が、もっと、縁起が悪いです」
与市が、帳面から顔を上げずに、言った。
「役目にも、終わりの決まりを、つけるべきでございます。長盛様が、よう申しておられました。終わりの決まりのない役目は、人を、腐らせる、と」
帰る先が《なし》の十一人のうち、一番年かさの男が、面談の終わりに、もう一度、座敷に戻ってきた。四十を過ぎていた。関ヶ原で、主の家が潰れたという。
「……拾様。帰る先の欄、書き直させて、いただけませぬか」
「いいよ。どこにする」
男は、しばらく、黙っていた。
「故郷の村は、もう、兄の子の代で、拙者の居場所は、ござらぬ。主の家は、もう、ござらぬ」
男は、畳に、両手をついた。
「帰る先を、ここに、しとうござる」
若い侍が、筆を止めて、秀頼を見た。
「……書いて」
若い侍が、男の欄に、書き入れた。
《大坂》
男は、その二文字を、長いこと、見ていた。それから、深く、頭を下げた。肩が、少しだけ、揺れていた。
同じ頃、安芸の福島正則と、肥後の加藤清正にも、この台帳の形を、送っていた。
清正の返事は、いつもの四行だった。
《城も、退き道から造る》
《台帳、よし》
《肥後でも、使う》
正則の返事は、長かった。そして、怒っていた。
《わしは、死ぬまで、槍を持つ》
《退いたあとの欄など、要らぬ》
【人物評価:福島正則】
退いたあとの備え 0
知ってた。
だが、その二十日後、広島から、年老いた家来が、五人、大坂に来た。傷の深い者。家族の多い者。腰の曲がった者。それぞれが、正則の書状を、一通ずつ、持っていた。
《この者の、台帳を、作ってくだされ》
本人は、退かない。家来には、帰る先を、作る。それが、福島正則という男だった。
又兵衛は、五人の書状を、しばらく眺めていた。
「……わしの主は、こういうことは、せなんだな」
誰に言ったのでもない声だった。
広島から来た五人のうち、一番年かさの男が、台帳を作る前に、言った。
「……殿は、我らを送り出すとき、ご自分では、何も、申されませなんだ」
「うん」
「書状だけ、一人一通。黙って、渡されまして。……門を出てから、振り返りましたら」
男は、少し、口ごもった。
「殿が、門の上で、酒の壺を抱えて、こちらを見ておられました。……泣いておられたかどうかは、存じませぬ。遠うございましたゆえ」
又兵衛が、横で、鼻をすすった。
「……風邪じゃ」
誰も、何も言わなかった。
数日のうちに、二十七人の行き先が、決まった。十二人は、川普請の組。六人は、船改め。四人は、火消し。三人は、道の見回り。二人は、字を習うところから。
誰も、戦場には、行かなかった。だが、全員が、給金を受け取った。
【浪人が戦に向かう見込み 68% → 59%】
【真田信繁の手の下の兵 0】
【真田信繁の書き付けで働く者 27】
兵を持たない名将。戦をしない浪人。それでも、人は、生きられた。
治長は、最後まで、渋い顔をしていた。
「拾様。二十七人は、二十七人で、終わりましょうな」
「たぶん、終わらない」
「……でございましょうな」
治長は、溜め息をついた。
「ならば、拙者は、毎月、この台帳の数を、数えまする。増えすぎたら、反対いたしまする」
「お願い」
「減りすぎても、反対いたしまする」
「どっちなの」
「反対役とは、そういうものにござる」
治長は、少しだけ、笑った。
その晩、又兵衛が、書院に来た。手に、名簿の紙を、一枚、持っていた。
「……書いた」
差し出された紙の、戦のほかにできることの欄には、太い字で、三つだけ、書いてあった。
《槍》
《人を率いること》
《荒れた若い者を、黙らせること》
「三つ目は、戦のほかです」
「当たり前じゃ」
又兵衛は、少しだけ、照れたように、そっぽを向いた。
「浪人の若い者は、夜、荒れる。黙らせる者が、要ろう」
【本日の豊臣家滅亡確率】
94.0% → 93.7%
その夜から、浪人長屋の喧嘩が、目に見えて、減った。




