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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第五章 九度山の男

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150/169

第150話 名将の条件


【豊臣家滅亡まで 残り3,168日】


 その年の秋、紀ノ川が、溢れた。


 大風が、三日続いた。雨が、山に叩きつけた。九度山の下を流れる川が、一晩で、茶色い濁流に変わった。


 知らせは、浅野家から、家康へ届き、家康から、大坂に回ってきた。珍しい順番だった。


 《紀ノ川、溢れ候》

 《九度山の麓の村、田は多く流れ候》

 《されど、人は、一人も、死に申さず候》


 最後の一行を、三度、読んだ。


 十日後、与市が、泥だらけで、九度山から戻ってきた。膝まで、乾いた泥が、こびりついていた。


「……信繁殿の、図の通りに、ござった」


 与市は、座る前に、話し始めた。


「水が上がり始めたのは、夜半でござった。村の半鐘が、三つずつ、鳴り申した。三つずつは、年寄りと子を先に、という合図。信繁殿が、村の者と、夏のうちに決めておかれたと」


 赤い線の道を、年寄りと子供が、先に登った。荷車の通る道を、米と塩が、後から上がった。寺には、名札をつけた子供たちが、集まった。


「寺の井戸は、一つしかございませなんだ。信繁殿は、はじめから、《この寺は、二百人まで》と、決めておられました。村は、四百三十七人。……残りの二百三十七人は、庄屋の屋敷と、高台の蔵に、分けて」


「……数えてたの」


「家ごとに、数えておられました。この夏のうちに」


 与市は、懐から、紙を一枚、出した。村の家の名と、人の数が、一軒ずつ、並んでいた。


「信繁殿は、《兵を動かすのも、民を逃がすのも、数が分からねば、飯も水も足り申さぬ》と」


【人物評価:真田信繁 更新】

兵站 94

地形を読む力 97

退き道の組み方 99

村の人の名を書き留める力 93


 最後の一行を、二度、見た。


 戦国一と言われる軍略の持ち主が、村の家を、一軒ずつ、数えている。後の世の人々が夢に見る「真田の戦ぶり」とは、たぶん、ずいぶん違う。


 だが、秀頼が欲しかったのは、これだった。


「……与市。溢れた夜、信繁殿は、どこにいたの」


「一番最後に、寺へ上がって来られました」


 与市は、少し、言いにくそうに言った。


「村の者が、全員、上がったのを、名札で確かめてから。……胸まで水に浸かって、おられました」


 生きて帰れる功。


 あの男は、自分で書いた言葉を、自分で、守っていた。


 浅野家の見張りの報せも、家康を通って、写しが回ってきた。九度山に付いていた、あの見張りの一人が、書いたものだった。


 《拙者、溢れし夜、真田殿の屋敷の番をいたしおり候》

 《水、床まで来たりて、拙者、足を取られ候》

 《真田殿の家来に、背負われて、寺へ上がり申し候》

 《背負いし者、元は、上田の城の、鉄砲足軽にて候》


 見張りが、見張っている相手の家来に、背負われて、助けられた。


 報せの最後には、こう書いてあった。


 《九度山の者どもに、兵の支度、これなく候。ただ、村の者を、数えおり候》


 見張りの目が、変わっていた。


 その夜、九度山へ書状を書いた。一つだけ、聞いた。


 《名将とは、いかなる者にて候や》


 ひと月して、返書が来た。


 《昔の拙者ならば、勝つ将と、答え申し候》

 《今は、負くる時を、定められる将と、存じ候》

 《勝てぬと知れし時、兵を捨てず、民を巻き込まず、次の働き場へ帰す》

 《その決めを、誰より先に、下す者》


 少し間をあけて、もう一行。


 《九度山にては、暇ばかりは、ござ候》

 《戦のことを考える暇も、戦わぬことを考える暇も、長く候》


 押し込めは、あの男から、戦場を奪った。だが、同時に、戦場の外を見る時を、与えていた。


 与市が、帰り支度の手を止めて、聞いてきた。


「拾様は、なぜ、それほど、真田殿に、お心を砕かれまするか」


 少し、考えた。


 九年後のことは、言えない。だが、それだけでもなかった。


「……あの人が、紙に書いたことを、ちゃんと、やってるから」


「紙に書いたこと」


「《家族と旧臣が、戦でなくとも食える役目》。溢れた夜、あの人は、それを、やってた。胸まで水に浸かって」


 与市は、しばらく黙って、それから、頷いた。


「紙に書いたことを、やる人は、少のうございます」


「うん。だから、大事にしたい」


 次の評議で、決めた。


「真田左衛門佐に、豊臣家の、川と逃げ道の、相談役を、頼みます」


 治長が、すぐに、扇を上げた。


「内府様の決まりが、ござる。武具、兵糧、金銀は、九度山へ、送れませぬ。扶持が、出せませぬぞ」


「うん。だから、買う」


「……買う」


「真田の紐を」


 書院の全員が、ぽかんとした。


 九度山の真田家は、紐を編んで、米と換えて、暮らしている。真田の紐は、丈夫で、よく売れる。刀の柄にも、荷を縛るのにも、使える。


「豊臣家が、真田の紐を、大口で、買います。値は、堺の市の値で。高くも、安くもしない。浅野家の見張りに、帳面も見せる」


「……扶持では、なく」


「商いです。相談の礼は、紐の代わりに、入ってる」


 与市が、帳面に、書き込みながら、呟いた。


「相談料、紐代に、含む……」


「内府様への届けは」


 且元が、聞いた。


「《大坂城、紐を、多く使うため》」


「……城で、それほど、紐を使いまするか」


「これから、使う。井戸の釣瓶。荷車。火消しの縄。名札の紐。全部、真田の紐にする」


 且元は、しばらく黙ってから、深い息を吐いた。


「……城じゅうが、真田の紐だらけになりまするな」


「うん。それも、いいでしょう」


 家康からの返書は、ひと月かかった。


 《紐を買うは、禁ぜず》


 それだけだった。祐筆の字だった。だが、端に、小さく、別の筆で、一行、足されていた。


 《大坂は、よう紐を使う城よな》


 笑っているのか、疑っているのか、分からなかった。


【真田信繁】

主な仕事 戦の指揮 → 川と逃げ道と、危うい時の備え

【後の世で語り草になる度合い 100% → 91%】


 下がった。


 九。たった、九。だが、英雄が、少しだけ、人に戻った。


 紐の値を決めるのには、堺の今井宗薫に、来てもらった。


 宗薫は、真田の紐を、指で引っ張り、撚りを確かめ、灯りに透かして、長いこと、見ていた。


「……よい紐でございますな。堺の市で、この太さなら、この値」


 宗薫が示した値は、思っていたより、少し高かった。


「高くない?」


「安く買えば、施しになりまする。施しは、内府様の決まりに、触れましょう。……市の値で買えば、ただの商い」


 宗薫は、にやりと笑った。


「商人は、情けでは、紐を買いませぬ。よい紐ゆえ、買うのでございます。そう、帳面に書いておきなされ」


 その日から、紐の帳面の一番上に、宗薫の字で、一行が入った。《品よし。ゆえに買う》。


 与市が、五度目に九度山へ行ったとき、帰ってきて、一つ、話してくれた。


 相談役の話を聞いた日の夕方、信繁は、堤の高さを測りに出たという。供は、二人だけ。刀は、一本だけ。腰には、軍配ではなく、縄と、木の札を、下げていた。


「その縄が、真田の紐でござった」


 与市は、少し笑った。


「売り物の紐を、自分で使うてしもうたと、奥方に、叱られておられました」


【本日の豊臣家滅亡確率】

94.3% → 94.0%


 千姫は、紐の束の中から、赤い一本を、こっそり抜き取っていた。


 見つけたときには、秀忠の木馬の首に、手綱として、結ばれていた。


「千。それ、売り物……じゃない、買い物」


「一本くらい、ようございましょう」


「帳面に、書かないと」


「では、書いてくださいまし。《千姫 木馬の手綱 一本》」


 与市が、真顔で、書いた。紐の帳面の、一番下に、その一行が、今も、残っている。


 その冬、大坂城の井戸の釣瓶の縄が、全部、新しくなった。


 佐助が、新しい縄を、しげしげと眺めて、言った。


「……若様。この縄は、よう、水を吸いませぬ。手が、滑りませぬ」


「九度山の、紐だよ」


「九度山」


「うん。戦の、上手な人が、編んでる」


 佐助は、首をかしげて、それから、ぼそりと言った。


「戦の上手な人は、縄も、上手でございますな」


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