第15話 休むのも仕事
【豊臣家滅亡まで 残り5,955日】
病名は決まらなかった。だから、目標を決めた。
食べられる量を減らさない。夜に続けて眠れる時間を増やす。熱と痛みを早く見つける。薬を増やしすぎない。そして、利家を働かせすぎない。
最後が、最も難しかった。
「本日は、大老衆の御相談がございます」
利家の近習が、申し訳なさそうに言った。
「だめ」
「しかし、前田様がお出ましにならねば」
「ほかのひと」
近習は困った顔をした。他の誰かでは、家康と三成を同じ部屋に置けない。利家が休めば、評議が止まる。評議を動かせば、利家が休めない。
一人に頼りきった組織は、病人に休みを与えられない。前世で何度も見た。その人しか知らない案件。その人しか話せない取引先。休ませたくても、休ませると仕事が止まる。結果、病人が働く。周りはそれを献身と呼び、本人は責任と呼ぶ。そして組織は、何一つ変わらない。
「拾様。半刻だけ、出まする」
褥の上から利家が言った。
「だめ」
「座っておるだけにございます」
「うそ。としいえ、はなす」
利家は黙った。自覚はあるらしい。
隣で、淀殿が静かに言った。
「拾。利家殿がお出ましにならねば、伏見の家康殿が評議を取り仕切ることになります」
「みつなり」
「三成では、大名方が従いませぬ」
「ははうえ」
「わたくしが出れば、北政所様との張り合いだと騒ぐ者が出ましょう」
誰にでも何かはできる。だが、誰がやっても別の問題が起きる。だから、利家がやる。それは利家が有能だからではない。ほかの者が役割を持てるように、誰もしてこなかったからだ。
「きょうは、やめる」
俺は言った。明日のことは、明日考える。五歳児の権限には限界がある。だが今日一日くらいなら、泣けば何とかなる。国家運営における最終手段、幼児の号泣である。
視界の隅に、見慣れない表示が出た。
【特殊スキル:五歳児特権(号泣)――使用を検討中】
検討中、と出たのは初めてだった。スキルの方にも、覚悟が要るらしい。
幸い、使わずに済んだ。淀殿が、評議の日延べを伏見へ伝える使者を出してくれた。
その日の午後、俺は三成と玄朔を呼び、利家の仕事を紙に書き出させた。
大老との相談。奉行との調整。大名の訴え。婚姻の相談。領地争い。秀吉の旧臣同士の仲裁。家康との内々の話。淀殿への報告。前田家の政務。加賀の家臣団。
病人の仕事ではない。健康な人間でも倒れる量だった。
「これを、わける」
「誰へ、でございましょう」
「できるひと」
「それが分かっておれば、とうに分けております」
正論である。腹が立つ。
「では」
玄朔が穏やかに口を挟んだ。
「病人がしてはならぬ仕事から、先に決めてはいかがでしょう」
医師の評議で作った方法と、同じだった。何をするかではなく、何をしないか。
夜の面会はしない。一刻を超える評議には出ない。一度に三人を超えて会わない。酒は薬との間を空け、量を決める。
隣の部屋から、利家の咳払いが聞こえた。聞いているのだ。
完全に禁じれば、隠れて飲む。決まりは、立派さより、守られることの方が大事だ。
「おこる、はなしも」
「怒る話とは」
「みつなりと、きよまさ」
「拙者は怒っておりませぬ」
「きよまさが、おこる」
「それは加藤殿の問題にございます」
当事者に分類をさせてはいけない。
玄朔が咳払いをした。
「気の高ぶる訴えは、先に書面で要点をまとめ、利家様へ突然持ち込まぬ。いかがでしょう」
「うん」
一日に会う人数を決める。返事をその場で求めない。話を聞いた者が記録を残す。利家が決めなくてよいことは、奉行が決める。反対があるときだけ、利家へ上げる。
三成が筆を止めた。
「拾様。これは、病人の養生ではございませぬ。政務の仕組みを変えております」
その通りだった。病人を休ませるには、身体を変えるだけでは足りない。病人へ仕事を運ぶ道の方を、変えなければならない。
夕方、まつが利家の部屋に湯漬けを運んできた。利家の好物だという。量は、玄朔の決めた通り、茶碗に半分だった。
「少ない」
「曲直瀬様のお定めにございます」
「まつ。わしはな」
「存じております。槍の又左は、腹が減っては戦ができぬのでございましょう。今は戦ではございませぬ」
利家は黙って箸を取った。
廊下に出たまつは、俺に小さく頭を下げた。そして、ふと思い出したように言った。
「拾様。あの人が休んだのは、生涯で一度きりにございます」
「いちど?」
「若いころ、上様――信長様の御前で、人を斬りましてな。お城から追い出され、二年ほど、何のお役目もない身になりました」
知っている。拾阿弥という茶坊主を斬って、信長の勘気を被った一件だ。
「あの二年、あの人は、毎日毎日、槍を磨いておりました。役目がないのが、何より辛かったのでございましょう。許されてお城へ戻った日、あの人は泣いておりました。それから四十年、一度も休んでおりませぬ」
まつは、閉じた襖を見た。
「あの人にとって、休めと言われるのは、要らぬと言われるのと同じなのでございます。どうか、そこだけは、分かって差し上げてくださいませ」
俺は、しばらく何も言えなかった。
休ませることは、守ることだと思っていた。だが、この人にとっては、役目を奪われることなのだ。前世の会社でもいた。休職を命じられて、かえって壊れた人が。
「としいえは、いります」
俺は言った。
「いるから、やすむ。いるから、ながく、いきる」
まつは、目を細めた。
「……そのお言葉、あの人に、そのまま言うてやってくださいませ」
七日が過ぎた。
利家の食べる量が、少しだけ増えた。夜に続けて眠れる時間も延びた。足の腫れは変わらない。
そして記録を並べると、はっきり見えることがあった。長い面会の翌日は、食事が減る。腹を立てた日の夜は、眠れない。
「身体とは、正直なものですな」
紙を見た利家は、否定できなかった。
「としいえ、うそつき」
「少々しか、働いておりませぬ」
近習が記録を見る。
「昨日は、四刻でございます」
「一日の半分にも足らぬ」
「病人には、多うございます」
玄朔が言った。利家は天井を見上げた。
「皆で、わしを怠け者にするつもりか」
「やすむのも、しごと」
利家は、変な顔をした。
「その仕事は、苦手にございます」
「れんしゅう」
「六十を過ぎてから、修練を始めまするか」
「おそくない」
言いながら、胸が痛んだ。遅くない。そうであってほしかった。休め、三日でな。安土で信長にそう言われたのが、俺の休みの始まりだった。この人には、三日では足りない。
槍を握って、走って、怒鳴って、酒を飲んで、仲間の肩を叩いて。この人は六十年、一度も休み方を覚えないまま生きてきたのだ。秀吉と同じように。
【前田利家 延命プロジェクト】
食事摂取 改善
連続睡眠 改善
面会負担 低下
残存寿命予測 約一年 → 四百十七日
増えた。約一年という曖昧な表示が、四百十七日になった。一年より、少し長い。
俺は立ち上がった。今度は、裾を踏まなかった。
「のびた!」
利家が目を丸くした。玄朔にも淀殿にも、この表示は見えない。
「何がでございます」
「いのち!」
部屋が静まった。言ってから、まずいと思った。
利家が、じっと俺を見た。
「わしの命が、伸びたのでございますか」
嘘はつけない。
「……すこし」
「どれほど」
「すこし」
「先ほど、量を記せと申された方が」
自分の言葉が返ってきた。
「ひみつ」
「便利な言葉でございますな」
利家は笑った。だが、その目に、希望が浮かんだのを俺は見てしまった。期待させてはいけない。予測は保証ではない。それでも、嬉しかった。
その夕方、まつがこっそり教えてくれた。利家は湯漬けを食べ終えたあと、茶碗を見つめて「もう半分」と三度言い、三度とも断られたのだという。
「あのように、食べたいと申したのは、久しぶりにございます」
まつは、断ったことを少しも悔やんでいない顔で、嬉しそうに言った。
生きたいと思う人の身体は、少しだけ、よく食べる。数字より先に、茶碗が教えてくれることもある。
もっと仕事を減らそう。薬をもう一度見直そう。食事をさらに工夫しよう。もっと、もっと。
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.3% → 96.8%
初めて、九十七を割った。
その時、三成が一通の書状を持って入ってきた。
「徳川内府様より。利家様との御面談を、明日にも願いたいとのことにございます」
利家の顔から、笑みが消えた。
延命の最大の敵は、病気ではなかった。天下だった。




