第148話 戦以外で、できること
【豊臣家滅亡まで 残り3,321日】
噂は、書状より速かった。
九度山と大坂の間を、与市が二度往き来しただけで、町には、もう、話が出回っていた。
真田が、豊臣に戻った。秀頼公が、徳川を破った名将を、手に入れた。大坂城が、戦の支度を始めた。
どれも、違った。だが、全部が、嘘というわけでもなかった。真田とは、つながった。名将の力も、借りている。戦になれば、あの男は、使える。
人は、本当のことと本当のことの間に、自分が信じたい話を、置く。
ある日の夕方、廊下の角で、若い侍たちが、固まって話しているのが聞こえた。
「上田で、徳川を、二度も退けたそうじゃ」
「小勢で、大軍をな」
「ならば、いずれ、徳川と」
最後の一言で、足が止まった。
「いずれ、何ですか」
侍たちが、振り返った。秀頼を見て、いっせいに、平伏した。
「な、何でもございませぬ」
「今、徳川と、聞こえました」
「聞き違いにございます」
全員が、同じ嘘をついた。声まで、揃っていた。組織として、よく、まとまっていた。悪い方に。
夜、治長が、書院に来た。
「拾様。……廊下の者たちは、叱りますまい」
「叱らないよ。叱っても、話す場所が変わるだけだから」
「左様」
治長は、少し笑った。反対役にも、廊下の話は、聞こえていたのだ。
その月、与市が三度目に九度山から持ち帰ったのは、大坂の城下の、逃げ道の図だった。
図を描くために、城下の町の絵図を、九度山に送っていた。城の縄張りの図ではない。町の、川と、堀と、寺と、蔵と、橋の図だ。家康の決まりに従って、浅野家の見張りにも、中を見せてから送った。
信繁は、逃げる人を、三つに分けていた。
歩ける者。運ばれる者。助ける者。
道も、三つに分けていた。
逃げる道。物を運ぶ道。火を止めに行く道。
「……戦で退くときと、同じでございますな」
与市が言った。図の余白に、信繁の字で、同じことが書いてあった。
《兵も、町人も、慌てれば、同じ方へ走り申す》
《違うのは、兵は命を聞くことあり。町人は、家族を探し申す》
家族を探して、逆に走る者がいる。それを、はじめから、図に入れていた。
寺ごとに、受け持つ町の名を決める。はぐれたときに集まる場所を決める。子供の着物に、名札を縫い付ける。子供に、親の名と、町の名を、言えるように教えておく。
「……戦より、難しいね」
余白の続きに、答えが書いてあるようだった。
《敵を倒さば終わる戦もあり》
《水と火には、倒す相手、おらず》
信繁の逃げ道の図を、町年寄たちに、見せた。
年寄りの一人が、名札のところで、指を止めた。
「……子の着物に、名を縫いつけるのでございますか」
「うん。はぐれたときに、誰の子か、分かるように」
「親の名と、町の名を、言えるように、教えておく」
「うん」
年寄りは、しばらく、黙っていた。
「手前の孫は、まだ、自分の町の名を、言えませぬ。……今夜、教えまする」
次の月、城下の古着屋で、子供の着物に縫いつける、小さな布の札が、売られ始めた。字の書けない親のために、寺の小僧たちが、名を書いてやったという。
円海の寺では、さよが、その名札書きを、手伝っていた。与吉の名を書く稽古をしていた子が、今は、よその子の名を、書いていた。
その日の午後、船着き場の若い侍に、浪人の面談を、させた。
信繁から、問いの書き付けが、届いていた。浪人一人一人に、何を聞くか。紙一枚に、七つの問いが並んでいた。
一人目。元の足軽。槍が得意。字は読めない。妻と子が二人。
若い侍が、書き付けを見ながら、聞いた。
「夜道を、歩けるか」
「歩けまする」
「火を、恐れるか」
「……恐れまする」
若い侍は、書き付けの続きを読んで、少し笑った。
「《恐れぬと申す者より、よし》と、ござる」
夜回りの役に、回った。
二人目。元の鉄砲足軽。耳が遠い。片目も、よく見えない。戦には、向かない。だが、火薬のしまい方を、よく知っていた。火の用心の役に回った。
三人目。腕を痛めた侍。刀は振れない。算盤が、できた。蓄えの見張りに回った。
四人目。戦場で、傷ついた者を運んでいた男。運び手の組に回った。
信繁の書き付けには、一度も、《役に立たぬ》という言葉が、なかった。できないことではなく、できることを、探す問いばかりだった。
与市が、書き付けを見ながら、言った。
「……九度山では、役に立たぬと言われれば、食えなくなる、と。信繁殿が、申しておられました」
人を、うまく使う。前の世なら、美しい言葉が、いくらでもあった。だが、九度山では、役目がなければ、米がない。子供が、食べられない。だから、必死で、役目を探す。きれいごとではなかった。暮らしだった。
面談の終わりかけに、一人の男が、ふらりと入ってきた。
浪人の列にも並ばず、名簿にも名を書かず、面談の座敷に、どかりと座った。三十半ばくらい。日に焼けて、肩が、岩のように盛り上がっていた。
「後藤又兵衛と申す」
黒田家を飛び出したばかりだという男だった。主の黒田長政と、うまくいかなかったのだ。
【人物評価:後藤又兵衛】
武勇 94
統率 90
ひとりで決めたがる度合い 98
上との相性 極端
また、扱いに困る人材だった。
又兵衛のことは、前の世でも、少しだけ知っていた。黒田家の家来で、槍の腕は天下に聞こえていた。だが、主の長政と、とにかく、うまくいかなかった。長政は、又兵衛がよその大名と勝手に付き合うのを嫌い、又兵衛は、長政に頭ごなしに言われるのを嫌った。
最後には、一族を連れて、黒田家を飛び出した。長政は、怒って、よその大名が又兵衛を雇わぬよう、手を回したという。
腕は、ある。だが、雇ってくれる家が、どこにもない。
【人物評価:後藤又兵衛 続き】
雇ってくれる家 0
自分から頭を下げる力 6
最後の二つを見て、少し、息を吐いた。九度山の男とは、違う形で、この男も、押し込められているのだった。
「真田が、堤の役とはな」
又兵衛は、若い侍が持っていた書き付けを、覗き込んで、笑った。
「わしは、戦があれば、働く」
「戦が、なければ」
若い侍が、聞いた。
「なければ、待つ」
「何年」
又兵衛は、答えなかった。
若い侍は、書き付けの一番下の欄を、黙って、又兵衛の前に置いた。信繁の字で、こう書いてあった。
《戦のほかに、できることを、書かれよ》
又兵衛は、しばらく、その字を見ていた。
「……思いつかぬ」
「では」
秀頼が、言った。
「一緒に、探します」
又兵衛の顔から、一瞬、笑いが消えた。
面談が終わって、座敷を片づけているとき、若い侍が、又兵衛に、おそるおそる聞いていた。
「後藤殿。……真田殿とは、戦場で、お会いになったことは」
「ない」
「では、なぜ、手伝うてくださるので」
又兵衛は、信繁の書き付けを、指で弾いた。
「この問いの並べ方が、気に入らぬ。……気に入らぬが、うまい。うまい者の手際は、近くで見ておきたい」
若い侍は、首をかしげた。又兵衛は、それ以上、説明しなかった。
その夜、九度山に送る書状を書いた。面談の結果と、又兵衛のことと、それから、一つだけ、余計なことを書いた。
《あなたが、語り草にならぬようにしたく候》
ひと月して、返書が来た。
《それは、若君の、お決めになることにては、これなく候》
正しかった。三成よりも、静かな正しさだった。
返書には、続きがあった。
《若君は、先のことが、少し、お分かりになると、与市殿より、聞き及び申し候》
《ならば、拙者が、何をいたすかも、お分かりか》
筆を持ったまま、長く、止まった。
歴史は、知っている。だが、今、九度山で、子供に字を教えているあの男が、何を選ぶかは、知らない。知っていることと、決まっていることは、違う。
《分かり申さず候》
そう書いて、送った。
次の返書は、短かった。
《それならば、安心つかまつり候》
【浪人を戦以外の役に回した数 278】
【真田信繁から豊臣への信頼 61】
【後の世で語り草になる度合い 100%】
【本日の豊臣家滅亡確率】
94.3% → 94.1%
又兵衛は、次の朝、面談の座敷に、また来た。
名簿の、自分の名を書く欄の前で、筆を持ったまま、一刻、座っていた。




