第147話 床の間の《生》
【豊臣家滅亡まで 残り3,594日】
松平忠輝は、大手門の前で、馬から飛び降りた。
供の者が止める間もなかった。十三の少年は、門の前で待っていた秀頼のところまで、大股で歩いてきた。背が高かった。目つきが、鋭かった。
「おぬしが、秀頼か」
供の者たちが、青くなった。且元が、咳払いをした。
「はい。上総介様、遠いところを、ありがとうございます」
「……ふん」
忠輝は、秀頼の頭のてっぺんから、足の先まで、じろじろ見た。
【人物評価:松平忠輝】
武勇 82
馬術 90
礼儀 19
父からの信頼 12
父への信頼 9
最後の二行で、目が止まった。
広間での祝いの口上が終わると、忠輝は、さっさと足を崩した。膳の鯛を、骨ごと、豪快に食べた。
「父上はな、わしの顔を見るのが、嫌いなのじゃ」
誰も聞いていないのに、忠輝は言った。
「生まれたとき、顔が、恐ろしいと申されて、捨てるように、よその家へ預けられた。……こたびの使いも、わしなら、大坂で何があっても惜しゅうないから、選ばれたのよ」
冗談の口ぶりだった。だが、目が、笑っていなかった。
「……うちの父上は」
少し迷ってから、言った。
「秀頼の顔を見るのが、大好きでした。毎日、見に来ました。うるさいくらいに」
忠輝は、箸を止めた。
「羨ましいな」
「でも、その父上は、もう、いません」
忠輝は、しばらく黙った。それから、鯛の頭を、秀頼の皿に、ぽんと乗せた。
「食え。……親のない者は、よく食わねばならぬ」
乱暴な慰め方だった。父に疎まれている男が、父を亡くした子供に、魚の頭を寄越していた。
二日後、忠輝は、帰っていった。門を出るとき、振り返って、叫んだ。
「秀頼! おぬし、背を伸ばせ! 次に会うときは、わしを見下ろしてみよ!」
忠輝の馬が見えなくなってから、治長が、ぽつりと言った。
「……徳川にも、いろいろ、おありのようで」
「どこの家も、同じだよ」
帰る前の晩、忠輝は、客間を抜け出して、秀頼の部屋に来た。
「秀頼。相撲を、取れ」
「……どうして」
「退屈じゃ」
断る間もなく、庭に引きずり出された。三度取って、三度とも、投げ飛ばされた。四度目は、組んだ瞬間に、転がされた。
「弱いのう」
「……背が、違うから」
「背のせいにするな」
忠輝は、秀頼の襟をつかんで、引き起こした。それから、急に、真面目な顔になった。
「わしは、相撲なら、兄上たちにも、負けぬ。……それでも、父上は、見に来ぬ」
月明かりの下で、忠輝の横顔は、ひどく、子供っぽく見えた。
「秀頼は、見てたよ。三度とも」
「……おぬしは、投げられておったではないか」
「投げられながら、見てた」
忠輝は、ふん、と鼻を鳴らした。次の朝の、門の前の、あの叫び声は、たぶん、その続きだったのだ。
入れ違いに、与市が、九度山から戻ってきた。
泥だらけの草鞋のまま、書院に来て、膝をついた。背中の包みから、紙の束を、三つ、取り出した。
「……ただ今、戻りましてござる」
「どうだった」
与市は、しばらく、言葉を探していた。
「真田殿は、英雄の暮らしを、しておられませなんだ」
与市が、見てきたことを、順に話した。
九度山の屋敷は、屋敷と呼ぶには、小さかった。門は低い。塀は簡素。庭には、菜が植わっていた。甲冑より、鍬が似合う家だった。
朝、信繁は、畑を見る。子供に、字を教える。旧臣の相談を聞く。借りた銭の返しを待ってもらう書状を、商人に書く。真田の紐を編ませて、米と換える。
昼は、父の昌幸と、将棋を指す。
「昌幸様は、拙者を見るなり、笑われました」
与市は、少し身を縮めた。
「《豊臣の使いが、負けた者の庵に、何の用じゃ》と。……拙者が、川と道の普請の相談と申しますと、《左衛門佐に川を。徳川を水攻めにでもするか》と」
浅野家の見張りが、顔を強張らせたという。
「信繁殿は」
「《父上。見張りの方が、おられます》と。……昌幸様は、《知っておる》と。《知っていて申されたのか》と信繁殿が申されますと、《知らずに申すよりは、よかろう》と」
聞いているだけで、頭が痛くなった。
父は、相手の出方を見るために、わざと危ない言葉を使う。子は、相手が危なく感じないように、言葉を削る。似ているようで、似ていない親子だった。
「床の間には」
与市が、声を落とした。
「刀ではなく、子供の字が、飾ってございました。一字だけ。《生》と」
「……生」
「娘御の字だそうで。生きる、の字を、習われたと」
伝説の名将の床の間に、子供の、歪んだ字が一つ。
その夜は、麦飯と、菜の汁と、干した魚だったという。与市が、淀殿の菓子の箱を開けると、子供たちが、声を上げた。一番小さい子が、与市の袖を引いて、聞いた。
「お城では、毎日、お菓子を食べるのですか」
「毎日では、ございませぬ、と申しますと、《父上が、毎日と申した》と」
信繁は、「申しておらぬ」と言った。子供たちが、そろって「申した」と言った。
戦場で大軍を相手にした男の口のうまさも、家の中では、少しも役に立っていなかったらしい。
「信繁殿は、拙者に、頭を下げられました」
与市は、その言葉を、そのまま繰り返した。
「《菓子一つが、子には、一日を覚えるわけになり申す》と。……お袋様に、そう、伝えてくれと」
淀殿に伝えると、母は、黙って頷いた。それから、次の使いのときは、菓子を二箱にせよ、と言った。
与市は、最後に、信繁と二人で話したことを話した。
「なぜ、ご自分だけ、大坂へ来ようとなさらぬのか、と、お尋ねしました」
「うん」
「《自分だけが行けば、残った者が、拙者に捨てられたと、知り申す》と」
「全員は、雇えない」
「承知しておられました。……それゆえ、名簿を作られた、と。《できることで選べば、拙者への近さで、選ばずに済む》と」
胸の中で、何かが、静かに鳴った。
人との近さではなく、役目で選ぶ。忠義だけではなく、できることと、要ることで選ぶ。秀頼が、この家でずっと、やろうとしてきたことだった。
「……もう、組織を、作り直してる人なんだね」
「信繁殿は、《ただ、食わせたいだけでござる》と」
「決まりは、だいたい、そこから始まるんだよ」
与市は、三つ目の紙の束を、差し出した。
「これを、預かって参りました」
九度山の村の、絵図だった。紀ノ川。支流。田。家。寺。道。そして、赤い線が、何本も、引いてあった。
「《水が出たとき、村の者が、どの順で、どこへ逃げるか》と」
絵図を広げた瞬間、視界の隅で、数字が開いた。
【人物評価:真田信繁(書いたものより)】
軍略 97
普請 95
人を逃がす道の描き方 99
この村の人の数を知っている度合い 100
後の世で語り草になる度合い 100%
会ってもいないのに、紙だけで開いた。
「……字だけで、評価しないでよ」
「は」
「なんでもない」
最後の一行が、赤く光っていた。百。どこにも、逃げ道がない数字だった。
与市は、信繁の奥方のことも、話した。
「奥方は、大谷刑部様の、御息女にございました」
大谷吉継。関ヶ原で、三成と一緒に戦って、死んだ男。三成の、一番の友だった。
「拙者が、豊臣の使いと申しますと、奥方は、菓子の箱を、しばらく、両手で持ったまま、動かれませなんだ」
与市は、声を落とした。
「《父が、命を預けた治部様の、そのまた主の家から、子らに、菓子が届いた。……父に、聞かせとうございます》と」
胸が、詰まった。
関ヶ原で死んだ者たちの糸は、切れてはいなかった。九度山の小さな屋敷の、菓子の箱の上にも、つながっていた。
与市は、もう一つ、言付けを預かっていた。
「昌幸様からでございます。《大戦になれば、必ず一度は、わしに相談せよ》と、左衛門佐殿に申されておりました。……左衛門佐殿は、《戦には、いたしませぬ》と。すると昌幸様が」
与市は、昌幸の口ぶりを、真似ようとして、うまくいかなかった。
「《戦になるかどうかを、お前が決められるなら、苦労はない》と」
【本日の豊臣家滅亡確率】
94.4% → 94.3%
絵図の片隅に、小さく、字が書いてあった。信繁の字ではなかった。歪んだ、子供の字だった。
《ちちうえの え》
絵図を、そのまま、机の一番上に、置いておくことにした。




