↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第五章 九度山の男

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
146/169

第146話 母の刃


【豊臣家滅亡まで 残り3,630日】


 北政所の輿が、大坂城に着いたのは、雨の日だった。


 京から来る道は、ぬかるんでいたはずだ。それでも、北政所は、輿から降りると、まっすぐ台所をのぞいた。焼き味噌の太郎に、何か一言、言った。太郎が、慌てて頭を下げた。それから、広間に入ってきた。


 変わっていなかった。変わっていないように、見せていた。


 広間の上座には、秀頼が座った。その斜め後ろに、淀殿。脇に、且元と治長。


 北政所は、下座に座って、深く頭を下げた。


「将軍家よりの使いとして、参りました」


 声は、静かだった。


「新しい将軍様に、祝いを申し上げるため、秀頼殿に、京へお上りいただきたい。……それが、内府様の、お望みにございます」


 家康は、将軍を譲っても、内府と呼ばれていた。いや、呼び名など、どうでもよかった。天下を動かしているのが誰かは、城の鼠でも知っていた。


 淀殿は、何も言わなかった。


 扇を、膝の上に置いたまま、動かなかった。


「母上」


 小さく、声をかけた。返事は、なかった。


 北政所が、顔を上げた。淀殿を、まっすぐ、見た。


「茶々殿」


 呼び方が、変わった。


「上洛は、礼にございます。臣として上るのではない。親戚として、祝いに上る。……そう、内府様も、仰せでございます」


「親戚」


 淀殿が、初めて、口を開いた。


 千姫がこの城に来て、豊臣と徳川は、親戚になった。それは、本当だった。


「親戚のもとへ、祝いに上った者が、帰ってこなんだのを、わたくしは、見ております」


 広間の空気が、固まった。


 北政所の顔色が、変わった。誰のことを言っているのか、分かったのだ。


 関白、豊臣秀次。秀吉の甥。秀吉の跡継ぎとして、関白になった男。伏見へ呼ばれて、上った。そのまま、高野山に送られた。腹を切らされた。妻も、子も、側の女たちも、三条の河原で、殺された。


 十年前のことだった。秀頼が、まだ生まれて二年の頃の話だ。


 呼んだのは、太閤。秀吉だった。


「……あれは」


 北政所の声が、かすれた。


「あれは、殿下の」


「殿下の、でございます」


 淀殿は、はっきり言った。


「殿下でさえ、そうなさいました。甥御に。……跡継ぎに。なれば、内府殿が、なさらぬと、誰が申せましょう」


 誰も、答えられなかった。


 淀殿は、扇を、手に取った。それから、ゆっくり、立ち上がった。


「北政所様に、申し上げます」


 声が、震えていなかった。震えていないのが、怖かった。


「無理に、秀頼を、上らせよと仰せなら」


 扇の先が、秀頼の方を向いた。


「秀頼を刺して、わたくしも、死にまする」


 広間の誰も、息をしなかった。


 且元が、額を畳につけた。治長は、腰を浮かせかけて、止まった。


 北政所は、長い間、淀殿を見ていた。それから、ゆっくり、頭を下げた。


「……内府様に、そのまま、お伝えいたします」


 北政所は、使いとして、最後の言葉を言った。それから、顔を上げて、少しだけ、声の調子を変えた。


「ここからは、使いではなく、ねねとして、申します」


 淀殿が、北政所を見た。


「茶々殿の申されること、わたくしが、一番、よう分かっております。……秀次の子らの顔を、わたくしも、忘れてはおりませぬ」


 北政所は、それだけ言って、広間を出た。


 広間を下がると、廊下の柱の陰で、治長が、うずくまっていた。


「……治長」


「拾様。拙者は、反対役にござる」


 治長は、顔を上げなかった。


「御方様が、刃のことを申された時、拙者は、何も申せませなんだ。反対も。お止めも。……ただ、腰を浮かせただけで」


「うん」


「反対役が、一番大事な時に、黙っておりました」


 治長の拳が、床の上で、震えていた。淀殿を守る心、百。その男が、淀殿の言葉の前で、動けなかった。


「治長が黙ってたのは、母上が、本気じゃないって、分かってたからでしょう」


 治長は、ようやく、顔を上げた。


「……分かっておりました。分かっておったゆえ、なおさら、申せませなんだ。御方様は、本気でないことを、本気の顔で、申されねばならぬほど、怖かったのでございます」


 反対役は、その夜、一晩じゅう、淀殿の部屋の前の廊下に、座っていたという。


 その夜、北政所は、城に泊まった。秀頼は、廊下で呼び止められた。


「拾」


「はい」


「母を、責めてはなりませぬ」


「責めません」


 北政所は、秀頼の顔を、じっと見た。


「……そなたは、行く、と申すつもりでありましたろう」


 図星だった。


 行けば、家康は喜ぶ。豊臣は、徳川に従う家として、はっきり形になる。戦の見込みは、下がる。数字で考えれば、行くのが、正しかった。


「母上が、刃のことを、申されたので、言えませんでした」


「それでよい」


 北政所は、少しだけ笑った。


「正しいことより先に、母の怖さを、聞きなされ。……殿下は、それを、最後まで、なさいませんでした」


 夜更けに、淀殿の部屋を訪ねた。


 母は、灯りの前に、座っていた。扇が、膝の上で、二つに折れていた。広間では気づかなかった。握りしめて、折ったのだ。


「……母上」


「怖い思いを、させました」


 淀殿は、秀頼を見なかった。


「刺すなど。……刺せるはずが、ございませぬ」


「知ってます」


「ならば、なぜ、あのようなことを、申したのか」


 淀殿は、自分に聞いていた。


「……城から出た者が、帰らぬのを、何度も、見ました」


 小谷の城から、父の長政は、出なかった。北ノ庄の城から、母のお市は、出なかった。城を出て、帰らなかった者もいた。城に残って、帰らなかった者もいた。母は、どちらも、見てきた。


「秀頼。あなたは、行くつもりでしたね」


「……はい」


「行けば、戦が遠のく。そなたは、そう考えたのでしょう」


「はい」


 淀殿は、ようやく、秀頼を見た。


「その見通しには、秀次殿のように、帰らぬ者のことも、入っておりますか」


 答えられなかった。


【人物評価:淀殿】

損失記憶 100

血統防衛 98

城を出る者への恐れ 測れず


 数字は、そこだけ、測れなかった。


「行きません」


 言った。


「代わりに、別の形を、考えます。豊臣が礼を尽くしたと、将軍様にも、世の中にも、分かる形を。母上が、怖くない形を」


 淀殿は、長く、黙っていた。それから、折れた扇を、そっと、脇に置いた。


「……そのような形が、ございますか」


「探します。いつもの、仕事です」


 明け方、且元を呼んで、紙を二枚、並べた。


 一枚目には、将軍家が欲しいものを書いた。豊臣が、新しい将軍を祝ったという、形。世の中に見せる、礼。


 二枚目には、豊臣が、譲れないものを書いた。当主が、城を出ないこと。母が、怖くないこと。


「この二つが、重なるところを、探します」


「重なるところ、でございますか」


「うん。欲しいのは、上洛そのものじゃない。上洛で見せたい、形の方。……形だけなら、別の運び方が、あるかもしれない」


 前の世で、何度もやった交渉の、基本だった。相手が口で言っていることではなく、その奥で欲しがっているものを、見る。


 且元は、二枚の紙を、しばらく見比べていた。


「……祝いの使いを、こちらから出すのでは、足りませぬ。向こうから、どなたかを、お迎えする形なら」


「それ。それで、いこう」


 次の朝、家康に、書状を書いた。


 《秀頼、母の病ありて、城を離れがたく候》

 《されど、新しき将軍家を祝う心に、偽りなく候》

 《願わくは、内府様の御子のうち、秀頼と年の近きお方を、大坂へ遣わされたく候》

 《秀頼、城の大手まで出て、お迎え申すべく候》


 こちらから、行けない。ならば、来てもらう。来た者を、豊臣の当主が、城の外まで出て迎える。礼は、尽くす。城は、出ない。


 半月して、返書が来た。


 《六男、上総介を、遣わす》


 松平忠輝。家康の六男。秀頼より、一つ上の十三だった。


 家康は、刃の話を、どこまで聞いたのだろう。聞いた上で、この形を、飲んだ。


【本日の豊臣家滅亡確率】

94.6% → 94.4%


 返書の端に、また、家康の字で、一行、あった。


 《母御を、大事にせよ》


 その一行を、淀殿には、見せなかった。見せたら、また、扇を折りそうだったからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。