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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第五章 九度山の男

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第145話 九度山からの返書


【豊臣家滅亡まで 残り3,646日】


 書状は、机の上に置いたまま、半刻、開けなかった。


 差出人の名は、封の表に、小さく書いてあった。


 《真田左衛門佐》


「……お読みにならぬのでございますか」


 片桐且元が、遠慮がちに聞いた。


「心の支度を、してます」


「書状を読むのに、でございますか」


「すごく、有名な人なんです」


「真田殿が、でございますか」


 且元は、首をかしげた。


 無理もなかった。この世の真田信繁は、まだ、伝説ではない。関ヶ原で西についた真田家の次男。父の昌幸とともに、紀伊の九度山に押し込められた男。それだけだった。


 だが、秀頼は知っている。


 九年後、この男は、大坂城に入る。城の南に、出丸を築く。徳川の大軍を、そこで何度も追い返す。次の年の夏には、家康の本陣に、三度、斬り込む。そして、死ぬ。後の世の人々は、その死を、戦国で一番美しい負け方の一つとして語り継ぐ。


 つまり、豊臣家にとっては、一番、不吉な成功例だった。


 この男が活躍する未来は、大坂城が囲まれている未来だ。この男が伝説になる未来は、秀頼と母が死ぬ未来だ。


 力は、欲しい。だが、来てほしくない。前の世の言葉で言えば、ひどく扱いに困る人材だった。


 そもそも、この書状が来たのは、秀頼のせいだった。


 疱瘡のとき、船着き場の若い侍が集めた浪人たちが、水を運んだ。刀を差した男たちが、桶を担いだ。流行が終わってからも、そのうちの十四人が、井戸役や火の番として、町に残った。


 それで、思いついたのだ。仕えるあてのない浪人を、戦ではない仕事に回せないか、と。


 与市が、書き込む紙の形を作った。名。年。できること。家族の数。いる扶持。病人の有無。その紙を、畿内の寺と村に配った。紀伊にも、配った。寺から寺へ、紙は回った。


 回りまわって、九度山にも、届いたらしい。


 意を決して、封を切った。


 中身は、思ったよりも、短かった。


 《浪人の奉公口の儀、寺より回り来たる紙にて承知つかまつり候》

 《九度山にて困窮の者の名、別紙に書き付け申し候》

 《拙者の身については、御用なき限り、この地に留まり申し候》


 自分を、売り込んでいなかった。


 別紙を、めくった。家来たちの名が、並んでいた。


 鉄砲の扱いに長けた者。城の普請に長けた者。馬を扱える者。算盤のできる者。傷の手当てのできる者。山道に詳しい者。そして、それぞれの家族の数。いる扶持。病人の有無。


 与市の作った紙と、ほとんど、同じ形だった。


「……誰が、教えたの」


 与市が、横から覗き込んで、息を呑んだ。


「拙者の紙を、そのまま、写しておられまする。……欄を、一つ、足しておられますが」


 与市の指の先に、見慣れない欄があった。


 《この者が去らば、困る者》


 一人一人の名の下に、別の名が、書き込まれていた。この男がいなくなれば、この家の子が困る。この男がいなくなれば、あの年寄りを背負って山を下りる者がいなくなる。


 与市は、しばらく、その欄を見ていた。


「……拙者より、よい紙を作られまする」


 最後の一枚に、書き手自身の名があった。


 《真田左衛門佐信繁》

 《できること 人数を率いること 普請 鉄砲の扱い 使いの役 人質の経験》

 《暮らし向き 苦し》

 《家族 妻子あり》

 《望む役目 家族と旧臣が、戦でなくとも食える役目》


 最後の一行を、何度も、読んだ。


 後の世の物語は、この男を、戦いたくてたまらない名将として描く。だが、紙に書いてあるのは、戦う場所ではなかった。食える役目だった。


 書状を、小野に見せた。淀殿付きの、あの手紙の上手な女房だ。字を見れば、書き手のことが、たいてい分かる。


 小野は、長いこと、黙って、字を見ていた。


「……迷いのない字でございます」


「うん」


「されど、急いではおられませぬ。一字一字、止めてから、払っておられまする」


 小野は、最後の一枚の、《望む役目》の行を、指でなぞった。


「ここだけ、墨を、つぎ足しておられます。……書く前に、長く、考えられたのでございましょう」


 言われて見ると、その一行だけ、墨の色が、少し濃かった。


「この方は、ご自分のことを書くのが、一番、苦手でいらっしゃいます。……拾様と、同じでございますね」


 小野は、書状を、丁寧に、畳み直した。


 その晩、評議を開いた。


「九度山と、つながります」


 言った途端に、治長が、扇を閉じた。反対役の顔だった。


「お止めなされ。真田は、関ヶ原で、秀忠様の軍を、上田に足止めした家にござる。その次男と豊臣がつながれば、徳川は、戦の支度と見まする」


「うん。だから、先に言う」


「……言う」


「将軍様に。隠れてつながれば、謀の支度。先に言えば、ただの仕事の相談」


 疑われる前に、疑う材料を、減らす。前の世で、何度もやった根回しだった。


 伏見の家康に、書状を送った。将軍の代替わりの支度で、家康は、この春から、伏見の城に上ってきていた。


 《九度山の浪人について、川普請と道普請への奉公を、相談いたしたく候》

 《真田左衛門佐とも、書状を交わし申すべく候》

 《戦の役を、申しつける考えは、これなく候》


 ひと月して、返書が来た。


 《書状を交わすは、禁ぜず》

 《ただし、武具、兵糧、金銀は、一切、送るべからず》

 《九度山の者を大坂に召し寄せるは、ならず》

 《紀伊守の家来を、使いに付けよ》


 九度山を預かっているのは、紀伊の浅野家だった。その家来を、見張りとして、付けよ、ということだった。


 条件つきで、認められた。


 返書の最後に、一行だけ、家康の字があった。祐筆の字ではない。癖の強い、あの字だった。


 《秀頼殿は、なぜ、負けた者ばかり、拾う》


 筆を取った。


 《負けた者では、ございませぬ》


 書いてから、少し考えて、消した。書き直した。


 《負けたあとも、働ける者を、捨てる理由がございませぬ》


 その返事は、来なかった。


 評議が終わったあと、廊下で、船着き場の若い侍が、待っていた。顔が、赤かった。


「拾様。……真田、と、聞こえ申した」


「うん」


「あの、上田の、真田でござるか」


 目が、輝いていた。若い侍にとって、真田は、講釈の中の名だった。小勢で徳川を退けた、戦の神様のような家だ。


「……会いに行くんじゃないよ。紙のやり取りだけ」


「紙だけでも」


 若い侍は、拳を握った。


 その顔を見て、胸の奥が、少し冷えた。まだ何も起きていないのに、もう、この城の若い者の目を、あの名が、光らせている。真田の名は、それだけで、火種だった。


 使いには、与市を選んだ。


「……拙者で、よろしいのでございまするか」


「九度山の人は、与市の紙を、写した。写された人が行くのが、一番、話が早い」


「真田殿は、拙者のような者に、お会いになりましょうか」


「会う。あの欄を足す人なら、会う」


 与市は、長盛の天秤を、そっと撫でてから、頷いた。


 船着き場の若い侍が、供を買って出た。浅野家の見張りが二人。それに、淀殿が、自分で包んだ菓子の箱を、一つ、持たせた。


「子供が、おるそうですね」


「うん。妻子あり、って書いてあった」


「ならば、菓子でございます」


 淀殿は、それ以上、何も言わなかった。


 与市たちが発った次の日、京から、別の知らせが届いた。


 家康が、将軍の職を、秀忠に譲った。


 徳川の天下は、一代では終わらない。二代目に、渡った。それを、世の中に、はっきり見せたのだ。


 知らせを読んだ且元の顔が、青かった。


「……それだけでは、ございませぬ」


 且元は、もう一通の書状を、差し出した。手が、少し、震えていた。


「新しい将軍様に、祝いを申し上げに、秀頼様も、京へ、上られよ、と」


 書院が、静まり返った。


 豊臣の当主が、徳川の二代目に、祝いを言いに行く。それは、天下の主が誰なのかを、世の中に、はっきり見せることだった。


 その使いを持って大坂に来るのは、北政所だという。


 廊下の方で、衣擦れの音がした。


 淀殿が、立っていた。書状の中身を、もう、聞いていたらしい。


【本日の豊臣家滅亡確率】

94.1% → 94.6%


 母の顔から、血の気が、引いていた。


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