第139話 辻の札
【豊臣家滅亡まで 残り3,829日】
流行が始まって、二十一日。
見つかった病人、四百八十二人。亡くなった者、六十七人。治った者、百三十四人。まだ看ている者、二百八十一人。
数字だけなら、それだけだった。
だが、六十七には、六十七の名があった。
清太。お菊。善兵衛。与兵衛。きぬ。そして、名のない赤子が、二人。生まれて、名をつけてもらう前に、熱を出した子たちだった。
名簿を、一人ずつ、読んだ。
「拾様」
弥七が、そっと言った。
「……全部、お読みになるのでございますか」
「うん」
「ほかのお仕事が」
「これも、仕事だよ」
北の病人小屋で熱を出した看る女は、おくにという名だった。二日後、顔に疱が出た。今は、自分が看ていた子供たちの隣で、看られる側に、回っていた。
名簿を閉じて、与市が作った表を開いた。
亡くなった者の割合。全体で、十四にひとつ足りないくらい。五つより下の子供、五人に一人。五つから十五まで、六人に一人。大人、九人に一人。年寄り、五人に一人。看る者、十一人に一人。そして、清め役が置かれてから看始めた者は、二十人に一人。
差は、ある。だが、まだ小さい。たまたま、かもしれない。
それでも、書き留めなければ、たまたまかどうかさえ、分からない。
その日の評議で、一つ、決めたことを言った。
「この数を、町に、知らせます」
評議が、止まった。
「……亡くなった者の数を、でござるか」
町奉行が、聞き返した。
「はい」
「騒ぎになりまする」
「もう、騒ぎです」
「豊臣家が、病を抑えられぬと、思われまする」
「抑えられていません」
「拾様」
「隠したら、抑えられるんですか」
誰も、答えなかった。
且元が、慎重に言った。
「……数を見て、城が少なく書いておる、と疑う者も、出ましょう」
「出ます」
「では」
「疑うための、同じ数を、皆に渡します」
治長が、腕を組んだ。反対役の顔だった。
「拙者は、反対にござる。数は、刃物にござる。読めぬ者の手に渡れば、振り回されまする」
「うん。だから、数と一緒に、何をしてほしいかも、書く」
淀殿も、評議の端に、座っていた。母も、反対した。
「民は、数など、分かりませぬ」
「分からなくて、いいんです」
「ならば、なぜ」
「隠していないと、見せるためです」
母は、秀頼の顔を、見つめた。
「……まっすぐであれば、信じてもらえると」
「いいえ」
人は、それほど、簡単ではない。
「まっすぐでも、疑われます。でも、隠した数は、もっと悪い噂を、生みます」
力のある者だけが数を持てば、数は、命令になる。皆が持てば、話し合いの材料になる。読み違いもされる。噂も増える。それでも、隠すよりは、ましだった。
次の朝、大坂の主な辻に、札を立てた。
《疱瘡の病人 四百八十二》
《亡くなった者 六十七》
《治った者 百三十四》
《病人のいる家に、石を投げてはならぬ》
《病人を隠していたことだけで、罰することはせぬ》
《粥、水、薪を、届ける》
《井戸の赤札、黄札、白札を、確かめよ》
人が、集まった。読める者が、読めない者に、読んで聞かせた。
「六十七も、死んだ」
「いや、もっとおる。城は、少なく書いた」
「治った者も、おるぞ」
「白札の井戸は、どこじゃ」
「病人を隠しても、斬られぬのか」
声は、ばらばらだった。
その日の昼過ぎ、新しく知らされた病人、七十九人。前の日までの、倍だった。
町奉行が、真っ青になって、駆け込んできた。
「増えましてござる!」
「違います」
秀頼は、答えた。
「隠れていた人が、出てきたんです」
病人の数は、増えた。流行が悪くなったように、見える。だが、本当の姿に、近づいた。
悪い数字を、よく見せるのは、簡単だった。数えなければいい。知らせた者を、罰すればいい。だが、それでは、病人が、家の奥で死ぬ。
夕方、城の門に、一人の町人が来た。痩せた男だった。門番の前で、膝をついた。
「……うちの娘が、疱瘡かも、しれませぬ」
「いつから」
「三日前から」
「どうして、今まで」
「家を、焼かれると、思いました」
男は、震えていた。
「医者と、粥を」
門番に言うと、男は、その場に、額をつけた。
「お許しを」
「許すことは、ありません」
「されど、隠しました」
「怖かったんでしょう」
男は、泣いた。肩に手を置きそうになって、止めた。門の脇で、佐助が、木馬の手拭いを首に巻いて、こちらを見ていた。
決まりを作った者から、守らなければならない。
「娘さんを、診てもらいます。あなたも、熱が出たら、知らせてください」
「……はい」
その夜、船着き場の若い侍が、報告に来た。
「拾様。札の写しを、川上の村まで、舟で、運びましてござる」
「頼んでないよ」
「……頼まれては、おりませぬ」
若い侍は、少し、身を縮めた。
「されど、大水の晩、川上の村の者が、一番、知らせが遅うございました。……病も、同じかと」
叱るところではなかった。
「ありがとう。どの村に、何枚、運んだか、書いておいて」
「書いてございまする」
若い侍は、帳面を開いた。《水を届けた家》の欄の隣に、《札を届けた村》の欄が、増えていた。
次の日、知らされた病人は、さらに増えた。百一人。だが、熱が出てから知らされるまでの日数は、六日から、三日に縮んでいた。
早く見つかれば、早く水を飲ませられる。早く分けられる。早く、家族を支えられる。
【熱が出てから知らせが届くまで 6.2日 → 3.1日】
【隠されている病人の推し量り 57% → 28%】
【しばらくの間の病人の数 増える】
【先々の亡くなる者の見込み 下がる】
良くなっている途中が、一番悪く見える。前の世でも、そうだった。しくじりの知らせを増やした部署が、しくじりが増えたと叱られた。そして、誰も、知らせなくなった。
時が変わっても、人の集まりは、同じ間違いをする。
夕方、治長が、戻ってきた。袖が、少し、埃っぽかった。
「……辻を、見て参りました」
反対した男が、自分の目で、確かめに行っていた。
「どうだった」
「札の前で、字の読めぬ母親に、十ばかりの子が、読んで聞かせておりました」
治長は、座り込んだ。
「《病人を隠していたことだけで、罰することはせぬ》。……子がそこを読むと、母親が、その場で、泣き崩れましてな。うちの婆様が、奥で熱を出しておる、と」
「……その人は」
「拙者が、小屋まで、付き添いました」
治長は、しばらく、黙っていた。
「数は、刃物にござる。……されど、鞘の書き方も、あるのでございますな」
「鞘」
「数の下に書いた、何をしてほしいか、の方にございます」
治長は、それだけ言って、埃を払いに出ていった。反対役は、自分の反対が外れたときにも、ちゃんと、それを言いに来る男だった。
夜、道悦が来た。
「血を抜く手当てについて、まとまりましてござる」
「どうでした」
「重い病人には、やらぬ方がよい、と、見えまする」
道悦は、自分の門流の手当てを、自分の口で、直した。
「止めますか」
「いいえ。医者たちに、数を、見せまする」
笑った。
「それが、いいと思います」
その夜の知らせ。亡くなった者、七十二人。治った者、百九十一人。
亡くなる割合は、少し、下がった。だが、数字の後ろで、五人が死んだ。
新しい名を、名簿に書いた。そして、名簿の一番右に、欄を一つ、足した。
《この死から、何を変えたか》
亡くなった者の書き留めを、悲しみの置き場だけにしない。次の命を守るための、命令書にする。
清太の名の横の、空けておいた一行に、ようやく、書き入れた。
《辻に、札を立てた》
【名もなき者の生存率 62% → 66%】
そして、もう一つ、数字が開いた。
【主人公依存度 62 → 68】
笑えなくなった。
病を止めるために、秀頼が決めた。医者を集めた。書き留めの形を作った。井戸を分けた。数を町に知らせた。全部、正しいと思っている。
だが、秀頼が倒れたら、誰が続ける。
封印スキルの空欄が、また、瞬いた。
疱瘡より、ずっと見慣れた病が、豊臣家の中で、静かに広がっていた。何でも、一人に頼る病。
今度、その一人は、秀頼だった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.5% → 95.4%
灯りを消そうとしたとき、廊下で、小野の声がした。
「拾様。北の小屋の、おくにが……」
「どうしたの」
「熱が、下がり始めた、と」
灯りを、もう少しだけ、つけておくことにした。




