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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第四章 疱瘡

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第137話 清め役の佐助


【豊臣家滅亡まで 残り3,839日】


 見届帳を始めて、五日。


 見つかった病人は、百十八人。亡くなった者は、十三人。


 そして、新しい困りごとが、見つかった。


 病人を診た医者が、同じ手で、別の家の子を診ていた。看る者が、病人の着物に触った手で、粥を配っていた。亡くなった者を運んだ人足が、皆と同じ桶から、水を飲んでいた。


 五つの頃のことを、思い出した。


 玄朔と一緒に、城の中で、手を洗う決まりを作ろうとした。侍医たちは、嫌がった。五つの子供に、見えないものを防ぐために手を洗えと言われたのだ。それを変えたのは、前田利家だった。病床の利家が、自分の手を差し出して、洗わせた。それだけで、疑いが、思いやりに変わった。


 利家は、もういない。今度は、自分の手で、やるしかなかった。


 光秀だったころにも、同じことをした。煕子の咳が、乾いて、短くて、二度で止まったとき。人から離し、手を洗わせ、日の光に当て、滋養をとらせた。十三年、延ばした。延ばしただけで、救えはしなかった。それでも、十三年だった。


 医者と看る者たちを、北の病人小屋の前の庭に、集めた。


「手を、洗ってください」


 道悦が、困った顔をした。


「拾様。すでに、洗うております」


「いつ」


「朝に」


「病人を一人診るごとに、ですか」


「……それは」


 していなかった。


「膿や唾が、手についたあとは」


「布で、拭うております」


「その布は」


「……同じものを」


 天を仰いだ。


 目に見えない小さな生き物、と言えば、化け物の話になる。穢れ、と言えば、病人そのものが、忌み嫌われる。言葉を、選ばなければならなかった。


「墨を、思い浮かべてください」


 硯の墨を、薄く溶いて、自分の手のひらに塗った。


 それから、皆の前で、桶の柄を握った。紙を持った。膳の縁に触れた。子供の玩具の、小さな独楽をつまんだ。


 触ったところ全部に、薄い黒い跡が、残った。


「病も、この墨と同じように、手から手へ、移ることがあります」


「……見えませぬが」


「見えないから、怖いんです」


 お滝が、墨のついた独楽を、じっと見ていた。


「お産のあとも、同じでございますか」


「同じです」


「血に触れたあとは」


「洗ってください」


「次のお産に、行く前は」


「必ず」


 お滝は、誰より早く、飲み込んだ。産婆の間では、次のお産の母親が熱を出して死ぬことが、昔からあった。わけが分からないまま、皆が、それを見てきたのだ。


 次の困りごとは、水だった。


 一つの桶で、皆が手を洗えば、最後の者は、汚れた水に、手を入れることになる。


「流して、洗います。柄杓で、上から、かけてもらう」


「一人では、できませぬ」


「二人一組で」


「人手が、増えまする」


「灰汁を使います」


「手が、荒れまする」


「油を、薄く塗ります」


「油が、足りませぬ」


「重い病人を扱う人から、先に」


 現場は、正しいことだけでは、動かない。水。灰。桶。柄杓。布。人。時。全部が、要った。


 手を洗えと命じるだけでなく、洗う場所を作る者、水を運ぶ者、灰汁を作る者、布を煮る者、足りなくなるものを数える者。それぞれに、役目を与えた。


 名を、《清め役》とした。


 医者より、下に置かない。看る者より、下に置かない。そして、手を洗っていない者の手当てを、止めてよい、という力を与えた。


 最初の日、町の医者が、庭で怒鳴った。


「わしの手が、汚いと申すか!」


 清め役は、元の船頭の、年寄りだった。日に焼けた顔に、深い皺が、何本も刻まれていた。


「はい」


 即答だった。


「拾様の、お定めにございます」


「わしを、誰と心得る!」


「手を洗うておらぬ、医者と、心得ておりまする」


 強い。ひどく、強い。


【人物評価:佐助(清め役・元船頭)】

偉い人に怯まない力 98

場の空気を読む力 11


 適材適所だった。


 二日目の昼、治長が、病人小屋の前に、様子を見に来た。佐助が、柄杓を持って、立ちはだかった。


「大野様。お手を」


「拙者は、病人には触れぬ。見に来ただけじゃ」


「門の柱に、触れておられました」


「……柱」


「柱には、朝から、四十人が触れておりまする」


 治長は、黙って、両手を差し出した。佐助が、上から、ざばりと水をかけた。治長の袖が、びしょ濡れになった。


「……拾様。この者、容赦がございませぬ」


「うん。だから、選んだ」


 治長は、濡れた袖を絞りながら、なぜか、少し嬉しそうだった。


 三日目には、道悦が、止められた。


 見届帳を片手に、急いで小屋から小屋へ移ろうとしたところを、佐助が、柄杓で、道を塞いだ。


「道悦先生。お手を」


「今、洗うた」


「その後に、帳面を、脇に挟まれました。帳面は、病人の枕元に、置いてございました」


 道悦は、自分の脇の帳面を見た。それから、黙って、両手を出した。


 佐助が水をかけると、道悦は、洗いながら、低い声で言った。


「……師が、若い頃のわしに、同じことを申された。わしは、聞かなんだ」


「今日は、お聞きになりました」


「今日は、船頭に、言われたゆえな」


 道悦は、少しだけ笑って、帳面を、脇ではなく、紐で首から下げることにした。次の日から、玄朔の弟子たちは、皆、帳面を首から下げて、歩くようになった。


 与市が、それを見て、首に下げる帳面の紐の数を、蔵の帳面に書き入れていた。


 医者が手を洗う割合を、毎日、数えさせた。二日目、三十四。三日目、五十八。四日目、七十二。


 五日目、六十九。


 下がった。


「どうして、下がったの」


 調べさせると、夜に、水を運ぶ者が、足りていなかった。夜中に、急な病人が出る。水桶が、空になっている。医者は、洗わずに、病人のところへ走る。


 人は、心がけが悪いから、守らないのではない。守れないわけが、あるのだ。


 夜の番を、増やした。水桶を、小さくして、数を増やした。灰汁を、少し薄めた。そして、決まりを、三つだけにした。


 一、病人に触れる前。

 二、血、膿、唾、便に触れたあと。

 三、別の病人へ移る前。


 それだけ。


 八日目、八十六。十日目、九十一。


 全部では、ない。だが、看る者のうちで、新しく病む者が、少し、減った。


【看る者の中から病む者 推し量り 18% → 11%】

【効き目の見極め まだ仮】


 まだ仮。数字は、人の喜ばせ方を、知らない。


 それでも、清め役の一人一人に、銭を渡しに行った。佐助は、受け取らなかった。


「どうして」


「船頭のときより、楽な仕事にございます」


「病人の近くで、働くのに」


「嵐の夜に、舟を出すよりは」


 佐助は、歯の抜けた口で、笑った。


「それに、医者を止めるのは、なかなか、愉快にございます」


 その十日で、手洗いを止められた医者、十二人。そのうち、怒った者、九人。そして、従った者、十二人。


 決まりは、人を善い人にはしない。怒ったままでも、正しいことをさせる。それで、いい。


 小屋の子供たちの間では、佐助の決まりが、歌になっていた。


 佐助が、手を洗わせるたびに、船頭の櫓漕ぎの調子で、三つの決まりを唱えるのだ。触る前に、ひとつ。汚れたあとに、ふたつ。隣へ移る前に、みっつ。よいしょ、よいしょ。


 子供たちは、熱が引きかけると、真っ先に、その歌を覚えた。


「若様。子らが、看る者に、洗うておらぬと、言いつけまする」


 小屋から出てきた看る女が、困ったように笑った。


「わたくしの方が、叱られております」


 決まりは、上から言うより、横から言われる方が、よく効く。前の世の職場でも、そうだった。十の子供の秀頼が命じるより、七つの子供が「ふたつ!」と叫ぶ方が、ずっと、手は洗われた。


 夕方、淀殿が、秀頼の手を取った。


 指の間まで、裏返して、爪の先まで、じっと見た。


「洗いましたか」


「洗いました」


「いつ」


「知らせを受ける前と、あとに」


「まことに」


「清め役に、止められました」


 母は、少しだけ、ほっとした顔をした。


「誰に」


「佐助という、元の船頭に」


「褒美を」


「もう、断られました」


「ならば、妻に、渡しなさい」


 やはり、母の方が、一枚、上手だった。


 佐助の家には、その晩のうちに、淀殿の名で、米一俵と、新しい手拭いが十本、届いた。佐助の妻は、泣いて、城の方に、何度も頭を下げたという。


 佐助は、次の朝、その手拭いを一本、首に巻いて、病人小屋の前に立っていた。


「……拾様。お袋様の手拭いは、よう、水を吸いまする」


「使うの、早いね」


「清め役が、使わねば、誰が使いまする」


 手拭いの端に、小さく、淀殿の家紋ではない、別の刺繍があった。木馬の形だった。


 あとで聞くと、千姫が、部屋の中で、退屈しのぎに、縫ったものだという。十本とも、形の違う木馬だった。


【本日の豊臣家滅亡確率】

95.7% → 95.6%


 木馬の手拭いを巻いた元船頭は、その日も、医者を三人、止めた。


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