第136話 医師の鑑定
【豊臣家滅亡まで 残り3,844日】
医者を集めた部屋は、玄朔の寝間の、隣だった。
玄朔は、去年から、床を離れられない。それでも、襖一枚向こうで、話を聞いていたいと言った。弟子たちが止めても、聞かなかった。
「わしの弟子どもが、何を言うか、耳で見張らねばなりませぬ」
寝床の中から、しわがれた声で、そう言った。
集まった医者は、二十八人だった。玄朔の弟子。町の医者。寺で病人を看る僧。南蛮の外科を学んだという男。そして、産婆が三人。
部屋に入る前から、揉めていた。
「疱瘡に鍼は、慎むべきじゃ」
「熱を散らさねば、内にこもる」
「まず、邪気を払わねば」
「水を多く飲ませてはならぬ」
「いや、渇きこそ、命取りじゃ」
頭を抱えた。
違うのは、今度は、揉めている間にも、人が死ぬことだった。
「一人ずつ、病人を、診てください」
医者たちを、五組に分けた。同じ病人を、五組が、別々に診る。同じ問いに、別々に答える。熱。脈。疱の場所。口の中。目。息。小便。便。食。眠り。熱が出てからの日数。そして、どう手当てするか。
答えを、一枚ずつ、集めた。
【人物評価:道悦(玄朔の弟子)】
見る力 93
見立ての揃い方 81
同じ手当てを繰り返せる力 48
書き留める癖 7
惜しい。ひどく、惜しい。
襖の向こうで、咳払いが、一つ聞こえた。玄朔にも、この数字が見えているかのようだった。
【人物評価:円海(寺の僧医)】
見る力 78
看る力 91
病人を安心させる力 96
病のもとを分かっている度合い 測れず
そこは、全員、測れなかった。秀頼も含めて。
【人物評価:お滝(産婆)】
肌を見る力 88
渇きを見つける力 94
幼い子の扱い 97
医者たちからの評価 21
最後の数字を、二度、見た。
「どうして、低いんですか」
近くにいた町の医者が、当たり前のように言った。
「女にござりますゆえ」
「理由に、なっていません」
「されど」
「理由に、なっていません」
二度、言った。
見る力と、身分の評価が、合っていない。豊臣家だけの病ではなかった。医者の世界も、同じ病を抱えていた。
二十八人の書いたものを、並べてみた。驚いたことに、見えていることの多くは、揃っていた。
疱は、顔と手足に多い。熱が出て、数日で出る。口の中にも出る。重い者は、水を飲めなくなる。目を痛がる。息が苦しくなる。
この時代の医者は、見えていないのでは、なかった。見えている。ただ、見えたものを、皆で比べる仕組みが、なかった。
「どの薬が、効きますか」
聞いた途端、全員が、いっせいに話し始めた。
「黄連を」
「石膏を」
「人参を」
「紫草を」
「鍼を」
「血を抜くのが、よろしい」
最後の一つに、顔を上げた。南蛮の外科を学んだ男だった。
「熱を持った悪しき血を、抜くのでござる」
「重い人ほど、抜きますか」
「左様」
水が足りなくなって、弱っている病人から、さらに血を抜く。危ない。前の世の秀頼なら、すぐに止めた。
だが、すぐ、止めよとは、言わなかった。わけを示せなければ、隠れて、続く。
「結果を、書いてください。抜いた人の数。抜かなかった人の数。三日あとと、七日あとに、生きていた人の数」
男の顔が、曇った。
「……治らなかった者も、書くのでござるか」
「はい」
「医者の名も」
「はい」
部屋が、冷えた。しくじりの書き留めは、医者の名に、傷をつける。病人の家族を、怒らせる。だから、隠される。
「罰するためじゃ、ありません。次の病人に、同じ害を与えないためです」
道悦が、静かに聞いた。
「拾様は、医者を、お信じにならぬのでございますか」
「信じています」
「ならば」
「だから、書くんです」
道悦の目を、見た。
「信じることと、確かめないことは、違います」
黙り込んだ部屋で、最初に口を開いたのは、お滝だった。
「……わたくしは、字が書けませぬ」
「書く人を、つけます」
「女子にも、でございますか」
「病人を見られる人に、男も女も、ありません」
何人かの医者が、不満な顔をした。
見届帳の紙の形は、干し柿の太郎に、作らせた。試し帳の係になってから、太郎は、紙の欄を引くのが、城で一番うまくなっていた。
「欄は、いくつにいたしまする」
「十二」
「多うございます」
「多い?」
「医者の方々は、七つより多いと、書かずに飛ばされまする。……試し帳のときも、そうでございました」
干し柿の太郎は、前に作った試し帳を、何冊も見てきた。誰がどこで書くのをやめるかを、よく知っていた。
「じゃあ、どうする」
「表に七つ。裏に五つ。裏は、七日後に、別の者が書く」
感心した。前の世の、書式を作る係の人間よりも、うまかった。
「……太郎。それ、誰に習ったの」
「書くのをやめた医者に、でございます」
干し柿の太郎は、真顔で言った。
その日の夕方、書く役を、小野に頼んだ。淀殿付きの、あの手紙の上手な女房だった。小野は、少し驚いてから、頷いた。
「疱瘡の家の子の様子を、産婆殿の口から、書き写すのでございますね」
「怖い?」
「……わたくしは、幼い頃に、罹っておりまする」
小野は、袖をまくって、腕の小さな跡を見せた。
「罹った者にしか、できぬ仕事でございましょう」
それから、病人一人一人に、一枚の紙がつくことになった。熱が出た日。熱。飲んだ水。食べたもの。疱。目。息。心の確かさ。薬。手当て。七日あと。十四日あと。生きているか。
《疱瘡見届帳》
前の世なら、症例の書き留め。この世では、ただの紙一枚。だが、その一枚が、一人の医者の見たものを、別の医者に手渡す。
【医者たちの知っていることを分け合う度合い】
9% → 26%
【亡くなる者の見込み わずかに下がりました】
わずか。それだけ。それでも、何もないのとは、違った。
医者たちが帰ったあと、襖が、少しだけ開いた。玄朔が、寝床から、首だけこちらに向けていた。
「……道悦め」
「聞こえてましたか」
「あれは、見たことの、百のうち、七つほどしか、書き留めませぬ。……わしの弟子の頃から、変わりませぬ。見ることばかり、うまくなりおって」
思わず、玄朔の顔を見た。数字が、見えているはずはなかった。四十年、弟子を見てきた目が、同じ数に、辿り着いていた。
玄朔は、苦く笑った。それから、細い声で、言った。
「拾様。血を抜く者を、叱られませなんだな」
「叱っても、隠れて、やるだけです」
「……左様」
玄朔は、天井を見た。
「わしも、若い頃、師に叱られて、隠れてやった手当てが、ござる。……数を書いておれば、もっと早う、やめられたやもしれぬ」
それきり、玄朔は、目を閉じた。
帰り際、道悦が、廊下で、秀頼に頭を下げた。
「拾様。……病を治す御方では、ございませぬな」
失礼な言い方だった。だが、正しかった。
「うん。治す人が、少し、治しやすくなるようにする者です」
道悦は、深く、頭を下げた。
三日後、最初のまとめが届いた。字は、小野の字と、道悦の字と、南蛮外科の男の、癖の強い字が、混ざっていた。
血を抜いた病人、五人。亡くなった者、四人。
抜かなかった、同じくらい重い病人、六人。亡くなった者、二人。
まだ、数は少ない。これで、決めることはできない。
だが、次の朝、その紙を、医者たち全員に、見せた。
南蛮外科の男は、長い間、紙を見ていた。それから、黙って、自分の道具箱から、血を抜く小刀を一本、取り出して、箱の一番底に、しまい直した。
捨てはしなかった。それで、いいと思った。
お滝が、小野の書いた紙を、指でなぞっていた。自分の見たことが、字になっている。それを、初めて見る目だった。
「……わたくしの、言うたことでございますか」
「うん。お滝さんの目で、見たことです」
「医者の方々が、これを、読むのでございますか」
「読みます」
お滝は、しばらく黙って、それから、小さく言った。
「では、もっと、よう見ねば」
その日の昼過ぎ、お滝の評価の最後の数字が、一つだけ、動いた。
【医者たちからの評価 21 → 29】
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.6% → 95.7%
見つかった病人は、その日、五十九人になっていた。




