第134話 敵は優秀だった
【豊臣家滅亡まで 残り3,848日】
秋の終わり、天守から、町を見下ろしていた。
川には、船。橋には、人。蔵には、米と銀。道には、荷車。寺には、病人。市には、声。
大坂は、江戸とは、違った。江戸は、徳川が作る町だった。大坂は、人が勝手に集まってきて、豊臣があとから支える町だった。
どちらがすぐれているか、簡単には決められなかった。
江戸は、命が届く。大坂は、工夫が生まれる。江戸は、土地を広げる。大坂は、流れを集める。江戸は、家康の領地から育つ。大坂は、国じゅうと、海の外とが結び合う場所として、育つ。
二つの町の絵図を、机に並べた。
そして、豊臣家の立て直しの計画に、五つ、直しを加えた。
一、帳面の形を揃える。ただし、大坂に要る項目を使う。
二、街道と川の運びを、一つの流れとして扱う。
三、しくじりを、罰だけで終わらせず、決まりを改める。
四、跡継ぎに、仕事を、少しずつ渡す。
五、敵の決まりでも、役に立つなら、使う。
最後の一行を、治長が、じっと見ていた。
「……敵の決まり、と、お書きになるのでございますか」
「消した方が、いいですか」
「家中が、騒ぎまする。……この前の、十一件のように」
「……じゃあ」
筆を取った。
《よその家の工夫》
治長が、頷いた。
政では、同じ中身でも、言葉が大事だった。三成の稽古が、ここでも生きていた。
評議には、淀殿も、出た。
母は、直した計画を読み終えると、言った。
「……徳川を、認めるのですね」
責める声ではなかった。確かめる声だった。
「はい」
秀頼は、答えた。
「将軍様は、すぐれています」
部屋の家来たちが、息を止めた。豊臣の当主が、徳川を褒める。危うい言葉だった。
だが、続けた。
「だから、豊臣は、将軍様のしくじりを、待っていてはいけません」
「……しくじらぬと」
「しくじります」
人だから。必ず、間違える。
「でも、将軍様は、間違いから、学びます」
帳面を、指した。
「こっちが、将軍様のしくじりだけを待っている間に、向こうは、次の仕組みを作ります」
淀殿は、黙った。
「……ならば、どうするのです」
「豊臣も、学びます」
「徳川より、早く」
「徳川とは、違う方へ」
母の目が、窓の外に向いた。大坂の町に。
「……殿下は」
淀殿が、言った。
「敵のよいところを、よう、盗まれました」
「父上が」
「信長公からも。毛利からも。商人からも。寺からも」
母は、少しだけ、笑った。
「御自分で考えたように、お話しになることも、ございましたが」
手柄を独り占めしたい心。秀吉も、高そうだった。
「……じゃあ、秀頼も、父上に、似てますね」
淀殿は、首を横に振った。
「似ておりませぬ」
即答だった。少し、傷ついた。
「殿下は、盗んだことを、お認めになりませなんだ。あなたは、認める」
「……それは」
「そこが、違います」
褒められているのか、分からなかった。
評議の終わりに、新しい命を出した。
《よその家の決まりを比べる会》
毎月、一つ。大名の領地か、商人の組か、寺か、港か、村か。その仕組みを、調べる。目当ては、責めることでも、真似ることでもない。自分たちの、見えていないところを知ること。
一回目、徳川家。二回目、毛利家の水軍と港。三回目、加藤清正の川の普請と城づくり。四回目、島津家の家中の束ね方。五回目、堺の商人の信用の決まり。
誰でも、自分の得意なことでは、師になれる。敵も。味方も。死んだ者も。しくじった者も。
評議のあと、与市が、一人残って、比べる会の予定表を書き直していた。
「……拾様。三回目の、加藤清正様の治水の回。肥後まで、人を出しまするか」
「出して」
「誰を」
「与市が、決めて」
与市は、筆を止めた。
「……拙者が、でございますか」
「勘定所の、見習いでしょう。見習いの仕事の、一つ」
与市は、しばらく迷ってから、名を三つ書いた。一つは、船着き場の、あの若い侍の名だった。
「救うた者の数を、数えておる者なら、川の普請の話も、身に入りましょう」
その夜、数字が開いた。
【江戸を学ぶ 一区切り】
得たもの
揃った帳面の形/運びをひとまとめに見ること/しくじりから学ぶこと/跡継ぎを育てること/張り合う相手を見る目
【徳川家への見方】
奪った者 → 決まりで治める国になりかけている家
なりかけている。まだ、出来上がってはいない。家康が死ねば、崩れるかもしれない。
豊臣も、同じだった。秀頼が死ねば、今の立て直しが止まるなら、秀吉と変わらない。
数字が、切り替わった。
【主人公依存度】
54 → 62
上がっていた。
「……どうして」
思わず、声が出た。立て直しは、進んでいる。人も増えた。帳面もある。なのに、秀頼に頼る度合いが、増えている。
【新しい決まりの、最後の判断が、すべて秀頼に集まっています】
胸が、冷えた。
家康から学んで、徳川の強さを分かって、秀頼は、同じ罠に、入りかけていた。
できる一人が、全部を決める家。父の罠。家康の罠。そして、秀頼の罠。
封印スキルの空欄が、また、瞬いた。
誰を、休ませればいいのか。
そのとき、廊下の向こうで、咳が聞こえた。
一度。二度。続けて。
子供の泣き声。侍女が、走る足音。
「拾様!」
弥七だった。顔が、青かった。
「何があった」
「城下より……熱と、疱の出る病が、広がっておると、知らせが」
立ち上がった。
走りながら、頭の中で、帳面をめくっていた。
疱瘡。一度罹れば、二度は罹らない。前の世なら、種痘という手があった。だが、この世には、まだない。二百年近く先の話だった。
できることは、限られていた。病人を分ける。水と布を清める。熱の者に、水を飲ませる。顔を掻かせない。死んだ者の着物を焼く。
玄朔が倒れる前に、弟子たちに教えていたことだった。手を洗うこと。布を煮ること。帳面をつけること。
千姫は、まだ、罹っていない。秀頼も、罹っていない。淀殿は、子供の頃に、一度罹ったと聞いていた。
城の北の、病人を分ける小屋のことを、思い出した。玄朔が、二年前に、寺の小僧と一緒に作った小屋だった。一度も使われずに、雨漏りを直すだけの年が続いていた。
「……こやを、あけて」
弥七が、振り返った。
「北の、でございますか」
「うん。使わない年が続いても、残しておいて、よかった」
弥七は、走っていった。
使われない備えは、無駄に見える。だが、無駄に見えている間が、一番、平和なのだった。
淀殿の部屋の前を、走って通り過ぎた。障子が開いて、母が、顔を出した。
「秀頼」
「病が、城下に」
「……聞きました。行きなさい。千姫は、わたくしが見ておりまする」
母の声は、落ち着いていた。子供の頃に一度、疱瘡をくぐり抜けた人の声だった。
母の背中の向こうで、千姫が、二頭の木馬を抱えて、不安そうにこちらを見ていた。
千姫の手の中で、秀忠の木馬の鞍の彫り物が、灯りを受けて、小さく光っていた。
秀頼は、母に頷いて、また走り出した。
廊下の先で、弥七が、玄朔の弟子たちの名を、大声で呼んでいた。
【新たな危うさ】
疱瘡の流行
罹った者の推し量り 142人
七日後の見込み 580人
手を打ち始めるまでに勧める時 六刻以内
帳面を、閉じた。
「玄朔の弟子たちを、集めて」
江戸から学ぶ時は、終わった。次の敵は、徳川ではなかった。病だった。
「千姫は」
「お部屋に。まだ、何とも」
「部屋から、出さないで。侍女も、出入りを減らして」
弥七が、走っていった。
敵は、優れていた。だが、病は、話し合ってはくれない。
【本日の豊臣家滅亡確率】
94.6% → 95.3%
窓の外で、夕日が、沈みかけていた。大坂の町の屋根が、赤く光っていた。
あの屋根の下のどこかで、今、子供が、熱に浮かされている。




