第131話 二頭目の木馬
【豊臣家滅亡まで 残り3,950日】
徳川秀忠。
その名を聞いて、前の世の俺が一番に思い出すのは、関ヶ原への遅れだった。信濃の上田で真田に足止めされて、決戦に間に合わなかった跡継ぎ。父ほどの武勇も、父ほどの知恵もない。後の世では、そう語られがちな男。
だが、忠勝の話を聞いた翌日、江戸から届いた書状を読んで、考えを、改め始めた。
差出人は、徳川秀忠。
中身は、千姫の暮らしの費え。大坂城の中の警固。侍女の数。病のときの知らせの道筋。祝い事の費えの分け方。
細かかった。驚くほど、細かかった。そして、全部、地に足がついていた。
【人物評価:徳川秀忠】
統率 82
武勇 71
知恵 76
政務 91
父と比べられることに耐える力 27
最後が、低かった。
人のことは、言えなかった。
【豊臣秀頼(拾)】
父と比べられることに耐える力 31
俺の数字まで、出た。聞いていなかった。
数日後、秀忠の使いが来た。若い近習だった。口上を、読み上げた。
「千姫様の御身に関わることは、大小を問わず、江戸へ知らせられたし」
「承知しました」
「ただし」
使いは、続けた。
「日々の御暮らしについては、大坂の御判断を、妨げるものではない、と」
顔を上げた。
家康なら、もっと曖昧に書く。権を渡したように見せて、要るときには、あとから口を出せる文にする。
秀忠は、違った。境目を、先に決めようとしていた。
「……秀忠殿が、書かれたんですか」
使いは、一瞬、迷った。
「……御自ら、文言をお改めに」
やはり、と思った。
返書を、書いた。
《千姫の体と暮らしについては、大坂が、日々の責めを負う。大事は、すぐ江戸へ知らせる》
《費えは、使い道ごとに書き留め、季節ごとに、双方で確かめる》
前の世なら、役目の分担表。上へ上げる決まり。二つの家での帳面の確かめ合い。政略の縁組みの書状とは、思えなかった。
だが、千姫は、人質ではない。一人の子供だ。曖昧な方が、危なかった。
その夜、千姫が、俺の部屋に来た。
「父上から、文が、参りました」
嬉しそうだった。手には、小さな包みを抱えていた。
包みの中身は、木彫りの馬だった。
派手ではなかった。高価でもなかった。だが、よく磨かれていた。背中に、鞍の形まで、小さく彫ってあった。
「……父上が、自らお選びになったそうでございます」
千姫は、それを、俺の文机の上の、古い木馬の隣に並べた。
古い木馬。家康が、五つの俺に贈った木馬。俺が、大坂に来た千姫に渡した木馬。
新しい木馬。秀忠が、七つの千姫に贈った木馬。
二頭が、並んだ。
「……わたくしが、父上への文に、書いたのでございます。殿から、おじいさまの馬をいただいた、と」
千姫は、二頭の馬の頭を、交互に撫でた。
「そうしたら、父上が、もう一頭、お送りくださいました。……おじいさまの馬が、一頭では寂しかろう、と」
俺は、しばらく、二頭の馬を見ていた。
秀忠は、帳面だけの男ではなかった。娘が何を喜ぶかを、知ろうとしていた。
「……殿」
「はい」
「父上は、怖いお方でございますか」
難しい問いだった。敵の跡継ぎ。この先の将軍。そして、目の前の少女の父親。
「……まだ、よく、知りません」
本当のことを言った。
「でも。千姫を大事にしていることは、分かります」
千姫は、新しい木馬を、両手で抱いた。
「父上は、いつも、お忙しゅうございます」
「そうでしょうね」
「おじいさまが、何でも、お決めになってしまわれますから」
咳き込んだ。
千姫。祖父の悪口を、何気なく、大事な知らせとして漏らさないでほしい。
「父上は」
千姫は、続けた。
「おじいさまに、褒められたことが、あまりないそうでございます」
俺は、木馬を見た。
大きすぎる父。褒められない息子。しくじりだけが語られる跡継ぎ。
秀忠のことを、俺は、自分より下に見ていた。後の世の評判を知っていたからだ。だが、後の世の評判は、いつも、勝った父親を物差しにする。その息子が、何を引き受けたかは、見えにくい。
その夜、千姫が寝たあと、侍女が、そっと知らせに来た。
「千姫様が、お眠りになる前に、二頭の木馬を、枕元に並べて、お話しかけておられました」
「……なんて」
「おじいさまの馬と、父上の馬。仲良うしなされ、と」
侍女は、少し困ったように笑った。
「それから、……殿の馬も、要る、と」
「……おれの」
「はい。三頭で、仲良う、と」
翌日、秀忠から、もう一通、書状が届いた。
《街道の宿場で、病人をどう扱うか》
大坂が始めた、旅人の病の書き留めのことだった。徳川の領地でも試したい、という申し出だった。
笑った。
家康なら、自分の案として、命じるかもしれない。秀忠は、豊臣の案を、豊臣の案として認めたうえで、使おうとしていた。
派手さはない。英雄らしくもない。だが、決まりを引き継ぐ者として、それは、強みだった。
返書に、書いた。
《書き留めの形を送る》
《ただし、病人を、罪人のように扱わぬこと》
数日後、秀忠から、返事が来た。
《承知》
短かった。
家康なら、一言に五つの意味を持たせる。秀忠は、一言を、一つの意味で使う。
初めて、思った。この男は、家康ではない。だから、徳川家に、要るのかもしれない。
【人物評価:徳川秀忠】
跡を継ぐ力 78
父から権を渡された割合 32%
低い。だが、零ではなかった。
自分の数字も、開いてみた。
【豊臣秀頼(拾)】
父の影から離れた度合い 36%
似たようなものだった。
「……人の評価を、してる場合じゃないな」
呟くと、千姫が、新しい木馬を、文机の上で、ことことと走らせながら言った。
「殿も、父上も、もっと、褒めてもらえばよいのです」
七つの少女に、二代目の悩みを、一言で片付けられた。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.0% → 94.9%
侍女が下がったあと、文机の上の二頭の木馬を、しばらく見ていた。
おじいさまの馬と、父上の馬。
豊臣には、父の馬は、なかった。秀吉は、俺に、木馬を贈らなかった。贈る暇がなかったのかもしれない。贈るという考えが、なかったのかもしれない。
代わりに、秀吉は、天下を遺した。大きすぎて、抱えきれないものを。
千姫が、三頭で仲良く、と言ったという。
次の日、城下の木地師に、小さな木馬を一頭、頼んだ。背中に、何も彫らないでくれ、と言った。
「……鞍は、要りませぬので」
「いりません。どこへでも、行けるように」
木地師は、首をかしげながら、頷いた。
翌朝、秀忠の使いの近習が、江戸へ発つ前に、俺の前に来た。
「若殿。……一つ、お伝えし忘れておりました。秀忠様が、御返書を書かれるとき、三度、書き直されました」
「……三度」
「一度目は、長すぎると。二度目は、冷たすぎると。三度目で、承知、の二文字に」
近習は、少しだけ笑った。
「秀忠様は、短い文が、一番難しいと、申されておりました」
「……承知の二文字に、三度」
「はい。家康様なら、一度で、五つの意味を込められましょう。秀忠様は、三度かけて、一つの意味だけを、残されまする」
近習は、深く頭を下げて、江戸へ帰っていった。
三度書き直す男。その話を聞いて、秀忠のことが、少しだけ、好きになった。
千姫の父親は、承知、の二文字に、三度、悩む人だった。
その夜、秀忠への礼状を、小野に頼んだ。小野は、しばらく考えてから、言った。
「……若殿。この文は、若殿の御自筆の方が、よろしゅうございましょう」
「どうして」
「千姫様の父上に、でございますから」
自分の字で、書いた。
《木馬を ありがとうございました。二頭 仲良く ならんでおります》
十の子供の字は、まだ、少しだけ、右に傾いていた。




