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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第三章 江戸という鏡

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130/169

第130話 負けた戦の帳面


【豊臣家滅亡まで 残り3,981日】


 江戸から届いた帳面を、三日、読み続けた。


 米。街道。金山。宿場。人足。船。帳面の中では、誰も、槍を振るっていなかった。それでも、国は、動いていた。


 四つ目の箱を開けようとしたとき、廊下から、重い足音がした。


 鎧ではない。それでも、武人の足音だった。


「本多平八郎忠勝殿、お見えにございます」


 思わず、背筋が伸びた。


 本多忠勝。生涯に五十を超える戦に出て、一度も大きな傷を負わなかったと言われる男。昔、大坂城の書院で、家康と将棋を指したとき、家康の後ろで、「止めまする」と言った男。


 襖が開いた。


 入ってきた男は、あのときより、老いていた。肩は広い。背筋も伸びている。だが、歩くとき、右の膝を、少しかばっていた。


【人物評価:本多忠勝】

武勇 100

統率 92

忠誠 100

誠実 100

膝の具合 58


 最後だけ、急に医者のようだった。数字から、目を逸らした。


「お目にかかれて、光栄です」


 俺が言うと、忠勝は、深く頭を下げた。


「若殿に、そのように申されては、平八郎が困りまする」


「どうしてです」


「武辺は、主と兵があって、初めて成るもの。拙者一人の手柄では、ございませぬ」


 自分一人の手柄にしない。忠誠百。面倒なほど、まっすぐだった。


 忠勝の目が、机の上の帳面に落ちた。


「……上様の帳面を、お読みになっておられるとか」


「はい」


「面白うございましたか」


「怖かったです」


 忠勝の眉が、わずかに上がった。


「怖い、と」


「槍より、こっちの方が」


 帳面を、指で叩いた。


「国を、長く、治められます」


 忠勝は、しばらく、俺を見ていた。やがて、小さく笑った。


「……上様も、同じことを、申されました」


「将軍様が」


「若い頃ではございませぬ」


 忠勝は、座り直した。膝を、そっと伸ばした。


「三方ヶ原で、負けたあとにございます」


 三方ヶ原。武田信玄に大敗した戦。家康が、命からがら浜松の城に逃げ帰った。昔、伏見城で、鳥居元忠からも聞いた話だった。


「上様は、負けたわけを、将の弱さには、求められませなんだ」


 忠勝は、指を一本ずつ、折っていった。


「道が狭かった。知らせが遅れた。兵が腹を空かせておった。味方の数を見誤った。敵の速さを見誤った」


 五本の指が、折れた。


「そして、申されました」


 忠勝は、家康の口調を真似るように、少し低い声を出した。


「槍働きで埋められぬ穴は、槍働きの前に、埋めよ」


 黙った。


 前の世の言葉なら、しくじりの分析。繰り返さないための手立て。家康は、四百年前に、それをやっていた。


「……忠勝殿は、将軍様の何が、一番すぐれていると思いますか」


 忠勝は、答える前に、長い息を吐いた。


「負けを、忘れぬことにございます」


 意外だった。忍耐でも、用心でも、人を見る目でもなかった。


「勝った戦は、家来が覚えておりまする。負けた戦は、皆が、忘れとうございます」


「将軍様は、忘れない」


「はい。忘れぬばかりか、決まりに、変えられまする」


 兵糧の蓄え。知らせを二筋にすること。退き道を確かめること。将の役目。退くときの合図。


 負けた覚えを、決まりに変える。


「……じゃあ、徳川家は、将軍様がいなくなっても、強いんですか」


 忠勝の笑みが、消えた。


 部屋が、静かになった。外で、紙を運ぶ音がした。


「……それを」


 忠勝は、低く言った。


「上様も、恐れておられまする」


「将軍様、自身が」


「はい」


 天下の将軍になった男が、一番恐れているもの。自分が死んだあと。


「上様は、御自分がおらずとも徳川が残るよう、秀忠様へ、仕事を渡しておられまする」


「うまく、いってますか」


 忠勝は、初めて、困った顔をした。


「……親子ゆえ」


 それだけで、全部が分かった。親子だから、任せにくい。親子だから、口を出す。親子だから、比べられる。


「……耳が、痛いです」


「なぜ、若殿が」


「私も、父上の跡継ぎですから」


 忠勝は、秀吉の位牌のある方を、ちらりと見た。


「……太閤殿下は、あまりに、大きゅうございました」


「将軍様も、です」


「左様」


 二人で、同時に、溜め息をついた。


 戦国一と言われる武将と、十の子供が、大きすぎる父親に困る跡継ぎの話で、すっかり気が合ってしまった。


「忠勝殿。一つ、お願いがあります」


「槍働きで、ございましょうか」


「違います」


 帳面を一冊、差し出した。白紙の帳面だった。


「将軍様が、負けから作った決まりを、教えてください」


 忠勝は、帳面を、受け取らなかった。


「……徳川の内を、すべて明かすことは、できませぬ」


「当然です」


「それでも、よろしいか」


「負けから学ぶやり方だけで、いいんです」


 忠勝は、俺を見た。


 やがて、帳面を、受け取った。


「ならば。徳川が、一番多く負けておった頃から、始めましょう」


 それから、半日、忠勝は話し続けた。三河の一向一揆。桶狭間のあとの岡崎。武田との長い戦。負けて、逃げて、また負けて。そのたびに、家康が、何を変えたか。


 俺は、ひたすら、書いた。手が痛くなった。忠勝の声は、少しも疲れなかった。


 勝った者から、勝ち方を学ぶのではない。負け方を、学ぶ。それは、豊臣家が生き残るために、一番要る学びだった。


 帰り際、忠勝は、廊下で、足を止めた。


「若殿。……一つだけ、拙者の負けも、お伝えしておきましょう」


「忠勝殿の、負け」


「伏見の城に、鳥居彦右衛門を、残して参りました」


 忠勝の声が、少し、かすれた。


「彦右衛門とは、上様の人質の頃からの、長いつきあいでございました。……上様と彦右衛門が、最後の晩に酒を飲んでおる間、拙者は、廊下に立っておりました。入れませなんだ」


 忠勝は、右の膝を、そっとさすった。


「それを今でも悔やんでおりまする…」


 忠勝は、深く頭を下げて、帰っていった。


 忠勝の話を書いた帳面は、四十枚を超えた。表紙に、題を書いた。


 《負けた戦の帳面》


 徳川の負けを、豊臣の帳面に書く。治長が見たら、また文句が出るだろう。だが、題は、変えなかった。


 帳面の最後の頁には、忠勝の口癖も、一つ、書き留めておいた。


 《負けは、覚えておる者の数だけ、役に立つ》


 忠勝が、話の合間に、何度も言った言葉だった。


 その言葉の横に、小さく、自分の字で書き足した。《覚えておく者を、ふやす》。


 忠勝に、それを見せる日が、来るといい、と思った。


 次に来るときには、膝の具合も、聞こう。


 その夜、忠勝の話を、帳面に清書していると、淀殿が、部屋をのぞいた。


「……本多殿が、来ておられたそうですね」


「ええ」


「何の話を」


「負けた戦の話です」


 淀殿は、少し驚いた顔をした。


「勝った話ではなく」


「将軍様は、負けた戦から、決まりを作ったそうです」


 淀殿は、しばらく、黙っていた。


「……わたくしは、負けた戦しか、知りませぬ」


 小谷。北ノ庄。母の、二つの負け。


「その負けから、何か、決まりを作りましたか」


 問われたのではなかった。母が、自分に聞いていた。


「……わからない」


 俺は、答えた。


「でも、ははうえは、負けたあとも、生きてる。それが、一つ目の決まりかも、しれません」


 淀殿は、何も言わなかった。しばらくして、部屋の灯りの方に目を向けたまま、ぽつりと言った。


「……生きて、負けを、覚えておる。それだけでございます」


「将軍様も、そうです」


 淀殿は、扇で口元を隠した。


【本日の豊臣家滅亡確率】

95.1% → 95.0%


 その夜、忠勝の話を書き留めた帳面の、最後の頁に、一行、足した。


 《伏見の晩 廊下に立っていた 本多忠勝の負け》


 それから、鳥居元忠の名を書いた、三成の箱の一番上の紙を、出してきて、並べた。


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