第13話 救う相手
【豊臣家滅亡まで 残り6,094日】
診察から三日後、利家の枕元に医師たちが集まった。
呼び名は《利家様御養生相談》。柔らかい名前である。会議という言葉には責任が伴う。相談という言葉には逃げ道がある。この国の組織は、四百年前から変わらないらしい。
医師が八人。そして、なぜか石田三成。
「いしゃでは、ない」
「記録をまとめる者が要りまする」
当然のように答えた。三成がいると、会議は長くなる。
利家は脇息にもたれて座っていた。顔色は、わずかによい。咳は残り、足の腫れも引いていない。だが、食事は少し増え、眠れる時間も延びた。
そして、視界の隅の数字は、変わっていなかった。
【前田利家 残存寿命】
約一年
数字は冷たい。一日ぶんの努力を評価しない。
最初の議題は薬だった。利家が飲んでいた薬は十一種。玄朔は三種まで減らす案を出した。前田家の侍医が反対し、鍼医が薬の多さを責め、薬方の医師が鍼の無力を言い返した。開始早々、学派の対立である。
「どちらが正しいのです」
三成が言った。最悪の質問だった。八人が一斉に話し始めた。経験、師の教え、古典、過去の患者。誰もが正しく、誰もが自分の言葉でしか説明しない。
利家は目を閉じていた。眠ったのかと思った。
「聞いておる。話が長いだけじゃ」
「とめて」
俺は言った。全員が黙る。五歳児の声は小さいが、身分は大きい。
「びょうきの、りゆうは、いま、きめない。なにを、した。どうなった。それだけ」
原因の理屈ではなく、やったことと結果を並べる。正解を一つに決めるのではなく、害のある重なりを減らす。
「昨日、御薬を五つ止めました」
「勝手に止められた」
「御食は、朝と昼に粥を半椀ずつ。白身の魚を少々」
「夜は二刻ほど、続けて御眠りに」
「胸の苦しみは一度。前日より短うございました」
「足の腫れは、変わりませぬ」
三成が整理する。
「改善は食と眠り。変化なしは腫れ。悪化はなし」
医師たちが静かになった。理屈では対立する。だが、見たことは共有できる。
「きょうは、ひとつだけ、かえる」
一度に全部を変えれば、何が効いたのか分からない。
次に、何をしてはならないかを出させた。何をすべきかでは学派が争う。何をしてはならないかでは、意外なほど揃う。
互いに知らせずに薬を足さぬこと。病人の申す「少々」を量として扱わぬこと。弱った日に強い鍼を打たぬこと。傷をつけた器具を、そのまま他の者に使わぬこと。祈祷を理由に休みを妨げぬこと。高価であることを効く証とせぬこと。食べられぬ量を、力がつくからと無理に勧めぬこと。
「七禁といたしましょう」
名前をつけるのが早い。
「八つ目を」
玄朔が言った。俺を見て、それから利家を見た。
「御病人へ、治ると約束せぬこと」
部屋が静まった。
「ずいぶん弱気な禁じゃ」
利家が言った。玄朔は穏やかに首を振った。
「約束できぬことを約束すれば、御病人は、治らぬ時に御自分を責めまする。養生が足りなかった。心が弱かった。祈りが足りなかったと」
胸が痛んだ。病は努力不足で起きるのではない。治らないことは、病人の負けではない。
「いれる」
三成が書いた。八禁。この城で初めての、医療の安全の決まりだった。
次の話は、小萩のことだった。熱は二日で下がった。咳もない。看病人を一人に決め、同じ部屋で働いていた者の体調も毎朝確かめている。今のところ、うつった者はいない。
「病を申し出た者の扶持を、療養の間も止めぬ。それを前田家の定めとしたく」
三成が言うと、利家が目を開けた。
「前田家の勘定になるぞ。幾らかかる」
三成は、もう計算していた。
「一人を数日休ませる費えは小さく。病が広がり、十人が働けぬようになる費えより、はるかに安うございます」
「ならば、やれ」
速い。利家は、理念より費用と結果で決める。現場の経営者だった。
「小萩は、今朝、粥をおかわりしたそうにございます」
玄朔が付け加えた。
「郷の母へ、文を書いておりました。休んでも扶持が出たと。字が書けぬと申すので、台所の者が代わりに書いてやったとか」
利家が、ふっと笑った。
「よいことじゃ」
評議は半日で終わった。医師たちは疲れ、三成は満足そうだった。利家は途中で一度眠り、眠っている間も話は続いた。
終わりに、利家が人払いをした。残ったのは淀殿と玄朔と、俺だけだった。
「拾様。医師どもは、よう話すようになりました。わしの薬も減った。飯も少し食える。眠れる」
「うん」
「されど、わしは、治ってはおらぬな」
嘘はつかないと決めていた。
「……うん」
淀殿が俺を見た。玄朔は何も言わなかった。利家は頷いた。
「正直でよい」
「でも、ながく、いきる」
「そのために、皆を集めてくださった」
利家は、枕元に積まれた紙を見た。薬の記録。食事の記録。手洗いの手順。熱を申し出た者の扶持。医師が互いに知らせずに薬を足さない決まり。
「拾様。救う相手を、間違えておられまする」
淀殿が、わずかに身じろぎした。
意味が分からなかった。
「としいえ、すくう」
「わし一人を救うために、これだけの仕組みを作られた。ならば、わしが死んでも、これは残りまする。小萩のような娘が、熱を隠さずに済む。次の病人が、薬を重ねられずに済む」
「しなない」
強く言った。利家は否定しなかった。
「わしを救うことと、わしが死んでも次の者が助かること。どちらが大事でございましょう」
選べなかった。
「……りょうほう」
「欲張りでございますな」
「だめ?」
「太閤殿下に、よう似ておられる」
嫌な評価だった。利家は、少し寂しそうに笑った。
「されど、殿下と同じ道を歩かぬためには、救えぬ者がおることを、知っておかねばなりませぬ」
利家は、淀殿の方へ向き直った。
「御方様。一つだけ、老いぼれの差し出口をお許しくだされ」
「何でしょう」
「拾様を、あまり急がせなさいますな。この御方は、放っておくと、藤吉郎と同じように、一人で全部を抱えようとなさる」
淀殿は、俺を見た。それから、利家を見た。
「……存じております。この子は、夜中に私の寝息を確かめておりますから」
気づかれていた。
「母を休ませようとして、自分が眠らぬのです。誰に似たのやら」
利家が笑った。淀殿も、少しだけ笑った。
胸の奥が冷えた。俺は、救えないと認めたくないから仕組みを作っているのか。仕組みを作るために、目の前の人を数字として見ているのか。答えは出なかった。
玄朔が、静かに口を開いた。
「拾様。病を治すことと、苦しみを減らすことは、同じ時もあれば、違う時もございます。わたくしは、利家様を必ず治すとは申せませぬ。されど、食べられるようにする。眠れるようにする。息苦しさを減らす。話せる時間を残す。それもまた、医の務めにございます」
救う。俺はその言葉を、死なせないこととほとんど同じ意味で使っていた。だが、治らない人にも、できることは残っている。劉禅として多くの人を見送って、知っていたはずだった。また忘れていた。
利家が、苦い薬を顔をしかめて飲み干した。
「にげない」
「逃げてはおりませぬ」
「さけは?」
「薬の後に、少々」
「だめ」
「量を記します」
襖の外から、三成の声がした。まだいたのか。利家が天井を仰いだ。
「拾様。長生きとは、窮屈なものにございますな」
俺は笑った。笑ったあとで、視界の隅を見た。
約一年。数字は消えない。
それでも明日も、薬を記録する。手を洗う。食べた量を書く。利家の話を聞く。未来を知る者にできるのは、未来に命令することではない。今日の失敗を、明日に残さないことだけだ。
その夜、自分の数字が、また勝手に開いた。
【人物評価:豊臣秀頼(拾) 更新】
人望 70 → 74 | 制度理解 73 → 76
新規スキル:手洗い指導(五歳)
特殊スキル:五歳児特権(号泣)[使用回数 0]
封印スキル:???[解放条件:託された者が、――を――こと]
手洗い指導(五歳)。取得した技能の名前に、年齢まで入れる必要はあったのだろうか。
封印スキルの条件は、また少しだけ伸びていた。空欄のままの二か所が、こちらをじっと見ている気がした。
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.4% → 97.0%
屋敷を出ると、秋の風が冷たかった。
撤退の命令を載せた使者が、博多から海を渡ったという報せが届いていた。冬が来るころには、朝鮮の諸将が戻ってくる。その中には、加藤清正がいる。
三成と清正。同じ台所で飯を食い、同じ人に拾われ、今は互いを最も許せない二人。
医師八人の評議など、これから始まるものに比べれば、驚くほど平和だったのだ。




