第128話 間に合った回数
【豊臣家滅亡まで 残り4,103日】
大坂を、天下の蔵にする。
言うのは、簡単だった。
荷は、ひとりでには動かない。人が運ぶ。船が運ぶ。馬が運ぶ。牛が運ぶ。そして、道が壊れる。
最初に困ったのは、薬だった。
大坂の南の村で、熱の病が出た。大坂の蔵には、薬がある。村までは、三日の道のり。
だが、雨で道が崩れて、五日かかった。
届いたときには、病人の半分は、もう治りかけていた。残りのうちの何人かは、もう、死んでいた。
薬が効いたかどうかを確かめる前に、薬が届かない。医者の困りごとに見えて、運ぶ道の困りごとだった。
報告を持ってきた玄朔の弟子は、唇を噛んでいた。
「……師は、もう少し早ければ、と、一晩、黙っておられました」
玄朔は、去年、倒れた。今は、城の奥の部屋で、弟子たちに、手の洗い方と薬の帳面の付け方を、寝床から教えている。
道の係を、集めた。
「道を、直してください」
簡単に言った。全員が、黙った。
一人が、慎重に聞いた。
「……どの道を、でございましょう」
当然だった。道は、数え切れないほどある。全部直す金はない。全部直す人もいない。
前の世を、思い出した。何かを変えようとするとき、「全部大事です」と言う人がいた。全部大事なら、何も決めていないのと、同じだった。
「人と物が、多く通る道から」
「多く通る道は、もう、傷んでおりまする」
「だから、直すんです」
「直しておる間、通れませぬ」
困りごとが、移った。家康の鯉の話だった。何をしても、別の困りごとが起きる。
「回り道は」
「狭うて、橋がございませぬ」
「じゃあ、橋を」
「橋を架ける材木を運ぶ道が……」
道の係が、申し訳なさそうに、口ごもった。
道を直すための道が、ない。
前の世でも、あった。仕組みを入れるための知らせがない。知らせを集めるための仕組みがない。何百年経っても、人は、同じところで困る。
まず、道を測らせた。
距離。幅。橋。坂。雨の日の様子。通る人の数。宿。井戸。危ないところ。
ただし、国じゅうではない。大坂から、京へ。堺へ。伏見へ。主な蔵。港。寺。病人を受け入れる場所。大事な道だけ。
勘定見習いの与市が、言った。寺の小僧だった少年だ。十六になっていた。
「……全部測らねば、比べられませぬ」
「全部測ってるうちに、次の雨が降ります」
「足りない書き留めに、なりまする」
「足りなくても、昨日よりは、いい決め方ができます」
与市は、不満そうだった。だが、前の三成より、早く、飲み込んだ。
「……では、足りぬ、と、明記いたしまする」
「お願いします」
与市は、帳面の表紙に、《足りぬ書き留め》と書いた。長盛の字に、少し似ていた。
道だけではない。宿場も、見直した。人が休む。馬を替える。荷を置く。知らせを渡す。病人を分ける。
道は、線。宿場は、点。線と点がつながると、物が速くなる。
ただし、速くなるのは、薬だけではない。兵も。病も。噂も。逃げる者も。
肥後の清正に、道の絵図を送って、意見を求めた。ひと月して、返事が来た。四行。
《道をよくすれば、徳川の兵も早う来る》
《されど直せ》
《大坂に近い三か所、大軍が一度に通れず、荷は通れる幅にせよ》
《図に朱を入れた》
絵図の三か所に、清正の朱が入っていた。
軍と荷。同じ道でも、作り方が変わる。清正の現場の目が、役に立った。
宿場の酒代を気にしたのは、治長だった。
「人足が、酒を飲みすぎれば、翌朝、動けませぬ」
「……それは、正則殿に、聞かせたいですね」
治長が、少し笑った。
道の普請は、三つの段に分けた。
一、ぬかるみと崩れを、減らす。
二、橋と渡しを、書き留める。
三、宿場で、荷と知らせを、引き継ぐ。
普請の費えは、通る商人と、道沿いの村と、豊臣家と、寺と、皆で負う。
当然、揉めた。
商人は、言った。「道は、殿様のものでございます」
村は、言った。「一番使うのは、商人じゃ」
寺は、言った。「参詣の者のためなら払うが、軍の道には払わぬ」
武士は、言った。「民が使う道に、なぜ武家が払う」
全員、道を使う。全員、自分以外が払うべきだと思っている。
負担を、三つで分けた。どれだけ使うか。どれだけ得をするか。どれだけ守る責めがあるか。
全部公平にはならない。納得できる不公平を作る。それが、本物の決まりだった。
道の普請の最中、一度、現場を見に行った。
雨上がりの道で、人足たちが、泥をかき出していた。村の者も、商人の手代も、若い侍も、同じ泥の中にいた。
一人の老人が、腰を伸ばして、俺に気づいた。
「……若様。この道は、昔、太閤様が、名護屋へ下られるときに、通られた道でございます」
「……そうなの」
「あのときは、一晩で、道を広げよと、仰せになりました。村の者が、総出で。……三日、寝ずに」
老人は、泥だらけの手を見ていた。
「今度は、三月かけて、直すと聞きました。……寝られまする」
老人は、少しだけ笑って、また腰をかがめた。
半年後、また、南の村に薬を送った。
前は、五日。今度は、三日と半日。
目を見張るほどではない。だが、一日半、早かった。
熱の病の村で、子供が一人、助かった。薬が効いたのか、ひとりでに治ったのか、分からない。
ただ、母親が、使いの者の袖をつかんで、泣いたという。
「……早う、届いた」
道の手柄は、石の数ではない。橋の長さでもない。間に合った回数だった。
新しい物差しを、作った。
《急ぎの品が届くまでの日数》
五日 → 三日半
【物を運ぶ力 上がりました】
【兵を動かす力 同時に上がりました】
やはり、困りごとは、移った。
笑えなかった。便利な道は、泰平も運ぶ。戦も運ぶ。だからこそ、誰が使うかを決める、政が要る。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.4% → 95.3%
同じ頃、清正から、もう一通、書状が届いた。四行。
《朱を入れた三か所》
《一か所、村の者に、蔵が近すぎると苦情》
《蔵を少し退けよ》
《土は見たか》
四行目を読んで、少し笑った。清正の「土を見よ」は、書状の決まり文句になりつつあった。
与市を、その村に行かせた。与市は、三日して戻ってきた。泥だらけで、手に、土を一握り、持っていた。
「……土、見て参りました」
「どうだった」
「……分かりませぬ」
与市は、正直に言った。
「されど、村の年寄りが、この辺りは、三十年前に一度、川が溢れたと申しておりました。……それは、書き留めて参りました」
土は分からなくても、人に聞くことはできた。清正への返書に、そう書いた。
普請が終わった日、道沿いの村から、小さな包みが届いた。中には、干した芋と、稚拙な字の書き付けが入っていた。
《道 なおしてくれて ありがとう 三月かけて くれて ありがとう》
三月かけて、の方に、礼を言われた。急がなかったことに。
干した芋は、その晩、台所で、焼き味噌の太郎が、焼いてくれた。甘かった。
与市にも、一つ分けた。与市は、「礼を言われるのは、初めてでございます」と、芋を持ったまま、しばらく食べなかった。
芋を食べ終えた与市は、村の書き付けを、《足りぬ書き留め》の帳面の、一番後ろに、丁寧に貼りつけた。
貼った紙の端が、少しだけ、めくれていた。与市は、何度も、指で押さえていた。
その夜、玄朔の部屋を訪ねた。老医師は、寝床の中で、目を開けていた。
「……三日と、半日でございましたか」
「ええ」
「一日半」
玄朔は、天井を見ていた。
「太閤殿下の最後の夏、薬を、伏見から大坂へ運ぶのに、二日かかり申した。……あれが一日で届いておれば、と、何度、思うたことか」
玄朔は、それ以上、言わなかった。
俺は、玄朔の枕元に、《急ぎの品が届くまでの日数》の紙を、置いていった。




