第124話 一つの銭で三つ
【豊臣家滅亡まで 残り5,030日】
金で兵は買えない。
そう言う武将は多い。忠義で集まる。恩で働く。名誉のために戦う。確かに、最後に人を動かすのは、金だけではない。
だが、米がなければ、兵は歩けない。馬がなければ、荷は動かない。火薬がなければ、鉄砲は、ただの棒になる。褒美がなければ、家来の家族は、暮らせない。
忠義は、腹を満たさない。
俺は、豊臣家の軍の帳面と、大坂信用座の帳面を、並べさせた。
兵の数。槍。鉄砲。馬。蔵の米。船。そして、払う予定の金。
「……兵の話に、商人の帳面が、要りまするか」
治長が、聞いた。
「いる」
「戦は、人がするものでございまする」
「ひとを、いくさばまで、はこぶのは、かね」
長盛が、数字を示した。
豊臣家が、自分だけで三万の兵を一年養う費え。城の繕い。武具。米。馬。船。人足。傷を負った者。遺族。
額は、誰も口に出したくないほど、大きかった。
且元が、帳面を閉じた。
「……見なかったことには、できませぬか」
「できない」
「数は、苦手でございまする」
「かずも、かつもとが、にがてだと、おもう」
長盛が、真顔で言った。
一瞬、空気が止まった。それから、且元が、笑った。長盛の冗談は、三成のそれに、少しだけ似ていた。
家康の数字も、推し量った。領地。街道。港。金山。家臣団。兵糧の置き場。
家康の強さは、兵の数だけではない。要るときに、要るところへ、食べ物と命を送れること。金を借りられること。返すと信じられていること。
家康の財政運営は、俺の視界では百を示していた。その数字を口にしかけ、飲み込んだ。
「……いえやすどのは、おかねの、つかいかたが、うまい」
「では、拙者に、足りぬところは、どこでございましょう」
長盛が、聞いた。
数値の物差しは、この男には見えない。だが、何ができて、何に迷うかは、仕事のうちに表れる。
【人物評価:増田長盛】
算用 88
蔵の管理 85
先を見た使い方 61
決める度胸 40
「……かんじょうは、じょうず。あとは、きめる、ゆうき」
「最後に、少し、間がございましたな」
鋭かった。
俺は、新しい軍の方針を示した。
《豊臣家の、じかの兵》
大軍を、常に抱えない。少ない数の、鍛えた組。城と町の警固。災いのときの救い。川の普請。流行り病のときの物の運び。要るときだけ広げられる、帳面と約束を作っておく。
「……軍ではなく、人足ではございませぬか」
護衛の頭が、言った。
「へいわな、ときは、にんそく」
「武士の、面目は」
「まちが、やけたとき、ひとを、たすけるほうが、めんぼくが、ある」
「敵の首は、取らぬのでございますか」
「とらない」
護衛の頭は、真剣に、悩んでいた。
武士の仕事を、戦から切り離す。簡単ではなかった。扶持だけ変えても、誇りは変わらない。
だから、手柄の書き方を、変えた。首の数だけでなく。救った人の数。無事に運んだ荷。仕上げた堤。火が広がるのを止めたこと。流行り病のときに町の秩序を守ったこと。それを、奉公として、書き残す。
「……人を斬らずとも、加増されるのでございまするか」
若い侍が、聞いた。
「される」
「戦が、なくとも」
「なくても」
若い侍の顔が、少し、明るくなった。
戦を望む者の中には、戦いたいのではなく、働いて認められたい者もいる。褒美の道が戦しかなければ、戦を待つ。別の道を作れば、待たなくていい。
大坂信用座から、最初の貸し付けを出した。
淀川沿いの、蔵と船着き場の繕い。
返す元手は、蔵の使い代。得られるものは、米の傷みが減ること。戦のときには、兵糧の運びが安定する。平らかなときには、大水のときに逃げる場所と、配る米の置き場になる。
一つの普請が、商いと、軍と、災いの備えを、兼ねる。
前の世なら、相乗効果と呼んだ。この世では、こう言った。
「ひとつの、ぜにで、みっつ、はたらかせる」
且元が、深く頷いた。横文字より、よく伝わった。
普請の前の晩、清正の土の話を、長盛に伝えた。
長盛は、帳面の、杭の数の欄を、書き直した。今の倍。費えが、三割増えた。
「……三割」
「うん」
「蔵が三年で傾くのと、三割の費え。……比べるまでも、ございませぬな」
長盛は、帳面の余白に、小さく書いた。
《加藤主計頭 土を見る》
普請の日、淀川の岸に、武士と、町人と、船頭が並んだ。
初めは、互いに嫌そうだった。武士は、土を運ぶのを恥じた。町人は、武士が仕事を奪いに来たと警戒した。
役目を、分けた。武士は、見張りと、重い物。船頭は、水の流れと船着き場。町人は、材と、段取り。長盛は、帳面。
昼過ぎ、治長が、突然、大声を出した。
「休め!」
全員が、驚いた。
治長は、手に持った紙を振っていた。交代の刻限を書いた紙だった。
「刻限じゃ! 休め! 休まぬ者は、明日、使わぬ!」
淀殿の乳兄弟で、奥向きの取り次ぎしかしてこなかった男が、川岸で、声を枯らしていた。
【人物評価:大野治長】
休ませる命を守らせる力 92
数字は、人の全部を表さない。だが、変わったことを見つけることは、できる。
夕方、新しい船着き場に、最初の米俵が積まれた。
戦のためではない。町に売る米。大水のときに配る米。要るなら、兵に送る米。
同じ米だった。
金は、兵を作る。だが、金の使い方を変えれば、兵を、人を守る者に変えることもできる。
【豊臣家の評価 更新】
財 S
軍 C
町の回し方 B
商いの信用 C
家の落ち着き D
【豊臣家が残る見込み】
37%
変わらなかった。これだけ働いて、一も、上がらなかった。
その下に、小さな表示が出た。
【新しい評価の項目を見つけました】
戦をしなくても、そこにあっていい理由
判定中
初めて見る項目だった。豊臣家が、天下を取るためではなく、大坂を生かすために、要るとされる。そのかすかな先が、ようやく、数字になり始めていた。
【本日の豊臣家滅亡確率】
94.9% → 94.9%
普請が終わった日の夕方、船着き場の端に、一人の若い侍が、座り込んでいた。首を取らぬのか、と聞いた、あの若い侍だった。
泥だらけだった。手の皮が、剥けていた。
「……拾様。本日、拙者は、何人、救いましたろうか」
「……まだ、だれも」
侍は、がっかりした顔をした。
「でも、つぎの、おおみずの、とき。ここに、にげてくる、ひとが、いる。そのひとたちの、かずは、あとで、かく」
侍は、しばらく、船着き場を見ていた。それから、剥けた手のひらを、じっと見た。
「……首を取った手柄より、先の長い手柄でございますな」
その夜、船着き場の帳面に、最初の一行が書かれた。
《慶長六年 船着き場 仕上がり 救うた者 零 これから》
零の横に、「これから」と書いたのは、あの若い侍だった。字は、下手だった。
その「これから」の三文字を、しばらく、指でなぞっていた。
若い侍は、それから、毎朝、船着き場の帳面をのぞきに来るようになった。まだ、零のままだった。
「これから」は、翌朝も、そのままだった。
同じ頃、江戸から、一通の知らせが届いた。
徳川家の、財の決まり。街道の整え。城下町の普請。家臣の置き方。
読んだ長盛が、珍しく、黙っていた。
「……どうしたの」
「拾様」
「うん」
「徳川殿も、同じことを、始めておられまする」
長盛は、紙を、俺の前に置いた。
江戸の町割り。海を埋めて、町を広げる普請。国じゅうの街道を、江戸から始める、という絵図。
家康は、待っていなかった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
94.9% → 95.2%
豊臣家だけが、先のことを考えているのではなかった。
その夜、治長が、声を枯らしたまま、俺の部屋に来た。
「拾様。……本日の刻限で、拙者も、休めと申されるべきかと」
「……はるなが、が、いうの」
「御方様に、声が出ておらぬ、と叱られまして」
治長は、かすれた声で笑った。
「休め、と怒鳴って、自分の声がなくなりました」




