第123話 大坂信用座
【豊臣家滅亡まで 残り5,060日】
「ぎんこうを、つくる」
俺が言うと、全員が、黙った。
長盛が、聞いた。
「……ぎんこう、とは、何でございまするか」
しまった、と思った。
「かねを、あずかって。かして。とおくに、おくる、しくみ」
且元が、首をかしげた。
「両替商では」
「そう」
「蔵元では」
「そう」
「為替では」
「それも」
もう、あった。俺が「銀行」と呼んでいる働きは、ばらばらに、この世に、もう存在していた。
前の世の人間は、名前をつけると、自分が発明した気になる。危ないところだった。
「では、何を、新しゅうなさるので」
長盛の問いは、容赦がなかった。三成に似てきた、と思った。本人には、言わなかった。
俺は、紙を広げた。
困っているのは、金がないことではない。金が、どこにあるか分からないこと。誰が貸せるのか分からないこと。誰が返して、誰が返さなかったのか、皆で分かち合われていないこと。遠くに金を送るのに、盗まれる危うさと、時がかかること。
「しんようの、かきとめを、つくる」
借りた者。返した者。遅れた者。わけ。形。請け人。それを、一つの帳面にまとめる。
長盛の顔が、明るくなった。書き留め。好物だった。
商人たちの顔が、暗くなった。秘め事。財だった。
宗薫が、言った。
「……すべてを明かすのは、いたしかねまする。取引の相手を知られれば、商いを奪われまする」
「ぜんぶの、がくを、ださなくて、いい」
「では、何を」
「かえしたか、どうか」
「遅れたわけは」
「ほんにんの、いいぶんも、かく」
長盛が、言った。
「言い分を書けば、皆、病や不作を申しまするぞ」
「たしかめる、やくを、おく」
「誰が、確かめまする」
また、始まった。
決まりは、最初の案より、確かめる者を決める方が、ずっと難しい。
豊臣家が確かめれば、豊臣に都合よくなる。商人だけなら、仲間をかばう。寺だけなら、商いの細かいところが分からない。
だから、三つで確かめる。豊臣家の勘定役。商人の代表。寺か、町の役。判断が割れたら、わけを並べて書く。一つの正しい答えに、無理にまとめない。
「……帳面が、厚うなりまするな」
長盛が、言った。
「……ながもりが、それ、いう?」
長盛の机の上には、三成の七つの箱から出した帳面が、腰の高さまで積まれていた。
次に、為替。
大坂で金を預けて、堺や博多で受け取る。金そのものを、運ばない。今ある商人の網を使う。豊臣家は、交換の条件と証文の書き方を、揃えるだけ。
偽物を防ぐ印。いくつもの割り印。番号。出した書き留め。
前の世の銀行ほど、安全ではない。だが、金の箱を抱えて街道を歩くよりは、ましだった。
城の護衛の頭が、困った顔で言った。
「……金を運ぶ護衛の仕事が、減りまするな」
「いいこと」
「いや、拙者の組の者が、困りまする」
決まりを変えると、必ず、仕事を失う者が出る。そこを放っておけば、邪魔をされる。
護衛の役を、証文を運ぶ役、蔵の見張り、不正の調べ、街道の治安に、移すことにした。
「……斬らぬ仕事ばかりでございますな」
「へいわ、だから」
「慣れるまで、時が、かかりまする」
護衛の頭は、笑っていた。だが、本音だった。戦しか知らない者に、泰平の仕事を渡す。この国じゅうに、同じ者がいた。
名を、《大坂信用座》とした。
銀行では、なかった。預けた金を守る決まりもない。国の金の元締めでもない。潰れれば、預けた金は戻らないかもしれない。
だから、豊臣家は、全部を預からない。いくつもの蔵に分ける。一人の商人に、権を集めない。帳面も、三か所に置く。
一人に集めれば、速い。そして、その一人が倒れれば、全部が止まる。利家のときに、学んだことだった。
決まりを示すと、淀殿が、聞いた。
「……豊臣の金を、町人に、見せるのですか」
「ぜんぶじゃ、ない」
「金蔵の場を知られれば」
「ばしょは、わける」
「盗まれれば」
「ひとつ、ぬすまれても、ぜんぶは、なくならない」
母は、しばらく、黙っていた。
秀吉は、金を見せた。黄金の茶室。大判。きらびやかな城。富は、威光だった。
俺は、金を隠し、分け、帳面に変えようとしている。豊臣らしくない。
「……殿下、なら」
言いかけて、母は、止めた。
「……あなたなら、どうするのです」
「拾が、しんでも、かねが、きえないように、する」
「死ぬ話を、するでない」
「きまりの、はなし」
「母には、同じです」
その一言で、黙った。
家にとって、跡継ぎは、決まりの話だ。母にとっては、息子の死の話だった。同じ言葉でも、意味が違った。
その夜、長盛が、一人、俺の部屋に来た。
「拾様。……先ほどの、御方様とのお話」
「うん」
「拙者も、同じことを、思うておりました。……死ぬ話は、なさいますな」
長盛は、少し言いにくそうに、続けた。
「治部殿は、仕事が残るようにと、七つの箱を残して、逝かれました。……拙者は、あの箱を開けるたびに、治部殿の字を、見まする」
「……うん」
「仕事は、残りまする。されど、字を見るのは、辛うございます」
長盛は、深く頭を下げて、出ていった。
大坂信用座は、小さく始めた。加わる商人は、七軒。預かる金は、限る。為替は、大坂と堺の間だけ。
ひと月後、最初のしくじりが起きた。
証文の番号が、二つ重なった。偽物ではなかった。書き役が、前の日の番号を、もう一度使ったのだ。
長盛が、罰を求めた。
俺は、わけを聞いた。
書き役は、夜遅くまで働いていた。灯油を節約するために、暗い部屋で書いていた。数字を、見間違えた。
「罰は、要りまする」
長盛が、言った。
「うん」
「されど」
「しくみも、なおす」
番号の帳面を、一冊にする。二人で読み合わせる。灯油の代を、仕事の費えにする。夜の仕事に、上の限りを決める。
長盛が、少し嫌そうな顔をした。
「……休みの決まりまで、入れるのでございまするか」
「つかれた、ひとは、かずを、まちがえる」
「拙者は、間違えませぬ」
「そう、いう、ひとが、いちばん、あぶない」
三成も、そうだった。利家も、そうだった。できる人ほど、自分の疲れを、例外にする。
ひと月の間に、預けられた金は、思ったより少なかった。
商人たちは、様子を見ていた。豊臣家が、本当に約束を守るのか。帳面を三か所に置く、というのは本当か。
宗薫だけが、最初の月から、決まった額を、毎日、少しずつ預けに来た。
「……むこうの、ようすも、みてるの」
「徳川様の方も、手前は、預けておりまする」
宗薫は、平然と言った。
その話を聞いて、俺は、宗薫の帳面の欄に、一行、足した。《どっちにも あずける。だから どっちにも うそを つけない》。
【大坂信用座】
動いている度合い 71%
信用 48
不正を見つける力 C
働きすぎの危うさ B
銀行を作ろうとして、先に、働き方の決まりが要った。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.0% → 94.9%
書き役の男は、翌朝、長盛の前で、額を床につけた。
「……灯油の代を、お城から、でございますか」
「うん」
「拙者の、しくじりでございますのに」
「しくじりは、しくみの、しくじり」
書き役は、顔を上げて、ぽかんとしていた。
長盛が、横から言った。
「……拾様の言い回しは、時々、訳が要りまするな。お前のせいではない、ということじゃ」
書き役は、また、額を床につけた。今度は、しばらく、顔を上げなかった。
その夜、書き役の男の名を、奉公人の帳面で引いた。
《灯油代を惜しんだ書き役》
妻と、子が三人。
灯油代は、城から出すことにした。その晩から、書き役の部屋の灯りは、明るくなった。
明るくなった部屋の灯りを、本丸の窓から、しばらく見ていた。
俺の部屋の灯りも、まだ、ついていた。




