第121話 帳面が残る限り
【豊臣家滅亡まで 残り5,105日】
商人は、裏切る。武将も、裏切る。僧も。親類も。人は、裏切る。
だから、堺の納屋衆の男が、「商人は、裏切りませぬ」と言ったとき、俺は、眉を上げた。
男の名は、今井宗薫といった。茶人で、商人で、天下人たちとの掛け合いの役を務めてきた家の者だった。太閤にも、家康にも近い。
一番、信用してはいけない種類の人に見えた。
【人物評価:今井宗薫】
掛け合い 94
茶の湯 90
どちらの側にも顔が利く 98
本心の見えにくさ 96
「……うらぎらないの」
「儲けがある限りは」
即答だった。潔かった。
「もうけが、なくなったら」
「去りまする」
「それを、うらぎりって、いうんじゃ、ないの」
「初めから、そう申しておりまする」
宗薫は、笑った。
武士は、永遠の忠義を誓う。そして、事情が変わると、裏切る。商人は、条件を先に示す。条件が消えれば、去る。どちらが信用できるのか。難しかった。
「若様は、商人がお嫌いで」
「ううん」
「では、信用しておられまするか」
「まだ、わからない」
宗薫は、満足そうに、頷いた。
「それが、ようございます」
その日、大坂と堺の商人たちを、広間に集めた。議題は、豊臣家への、続けての貸し付け。
言葉だけなら、頭を下げて金を頼む評議に見える。だが、目当ては、別にあった。
彼らが、何を恐れているのか。それを、聞く。
「……戦にございます」
一人目が、言った。
「……徳川にございます」
二人目。
「……豊臣にございます」
三人目。
広間が、静まり返った。豊臣家の御前で、豊臣が怖い、と言った。度胸か。計算か。
「つづけて」
商人は、額を畳につけた。
「御普請。御用金。兵糧の買い上げ。命じられれば、断れませぬ」
豊臣の威光は、商人にとって、商いの場でもある。同時に、無理に取り立てられる危うさでもあった。
「とくがわが、こわい、わけは」
「関所を、押さえられること」
「街道を、止められること」
「諸大名に、取引を止めよと、命じられること」
家康は、商人をじかに脅さなくてもいい。道を押さえれば、商いは止まる。
「いくさが、こわい、わけは」
宗薫が、答えた。
「勝った方が、戦の費えを、取り戻そうとなさるからにございます」
戦は、負けた方だけを貧しくするのではない。勝った方も、借りを抱える。兵に褒美を出す。城を直す。道を直す。その費えは、年貢と御用金になる。
商人は、勝ち負けではなく、戦のあとの勘定書を、恐れていた。
俺は、新しい証文の案を出した。
一、豊臣家が借りる額と、返す日を、書く。
二、返せぬときに、勝手に上乗せして取り立てない。
三、御用金と、借りる金を、分ける。
四、役人が勝手に出した命は、無効とする。
五、揉めたら、商人と豊臣の両方が立ち会って、帳面を確かめる。
商人たちは、すぐには、喜ばなかった。
「……守られまするか」
当然の問いだった。証文は、力を持つ者が破れば、ただの紙になる。
「おれが、まもる」
言った途端に、自分で、引っかかった。
それでは、秀吉と同じだ。秀頼が守る。秀頼が死ねば、終わる。
「……いいなおす。おれが、まもらなくても、やぶれない、かたちに、する」
増田長盛を見た。長盛が、説明した。
証文は、三通作る。豊臣家。商人。寺の、証人の役。それぞれが持つ。払いは、蔵の書き留めと合わせる。役人が替わっても、借りは消えない。
商人たちの目が、変わった。
「……寺を、入れるのでございますか」
「とよとみけ、だけで、もってたら。つごうの、わるい、かみを、なくせる」
且元が、青くなった。
「拾様」
「なくさないよ」
「そういう話では、ございませぬ」
力を持つ者が、自分を疑う仕組みを作る。この世では、奇妙なことだった。だが、信用とは、善い人である証ではない。悪くなっても、簡単には破れない仕組みのことだ。
宗薫が、証文を読んでいた。そして、顔を上げた。
「……一つ、加えていただきたい」
「なに」
「豊臣家と、徳川家が、争う場合の扱いを」
広間の空気が、凍った。
この先を、全員が、考えていた。
「……とりひきを、やめる?」
「いいえ」
宗薫は、答えた。
「両方に、食べ物を、売りまする」
治長が、腰を浮かせた。武士たちが、ざわめいた。俺は、手を上げた。
「わけを」
「片方にしか売らねば、もう片方に、奪われまする」
筋が通っていた。
「ぶきは」
「売りませぬ」
「ひょうろうは、ぶきと、おなじ」
「飢えた兵は、町を襲いまする」
これも、正しかった。
商人は、泰平を愛しているのではない。騒ぎで、品物と家族を失いたくないのだ。だから、戦を、短くしたい。
条件を、加えた。戦のときでも、寺と、町と、逃げてきた者への食べ物を、先にする。軍に売った量は、書き留める。値が跳ねるのを、見張る。破った者は、豊臣家だけでなく、商人仲間からも、取引を止められる。
評議の終わりに、宗薫が言った。
「若様」
「うん」
「商人は、裏切りませぬ」
「もうけが、ある、かぎり」
「いいえ」
宗薫は、笑った。
「帳面が、残る限り、でございます」
人の心は、変わる。だが、書き留めがあれば、変わったことが、分かる。
三成と、同じことを言った。
帰り際、一人目の商人、戦が怖いと言った男が、俺の前で膝をついた。
「若様。……先ほどの三人目の者の言葉、お咎めなきよう」
「……とよとみが、こわい、って、いったひと?」
「はい。あの者の父は、太閤殿下の御用金で、店を潰しました。朝鮮の役の、兵糧の買い上げで」
俺は、黙った。
「……なまえ、おしえて」
商人は、名を言った。且元が、書き留めた。
「つぶれた、みせの、かきのこし、ある?」
「……ございます。あの者が、捨てずに持っております」
「みせて、って、いって」
戦後簿に、一頁、足すことになった。関ヶ原ではない。朝鮮の役の、あと始末。
焦げた証文は、七つの箱の隣に、新しい箱を一つ作って、しまうことにした。
箱の蓋には、「朝鮮の役の借り」と書いた。
【大坂の商いの信用】
42
矢印が、少しだけ、上を向いた。その下に、もう一つ。
【豊臣秀頼(拾)への信用】
63
六十三。思っていたより、低かった。
商人には、豊臣家を信用してほしい。そう願っているのに、俺自身が、まだ十分には信用されていないらしい。
俺は、そばにいた長盛に尋ねた。
「……ながもり。拾のいうこと、みんな、しんじてる?」
長盛は、少し考えてから答えた。
「信じたいとは思うております。されど、安心して従えるかは、また別でございます」
「どうして」
「先日の、南蛮ぱんのことでございます。初めは美味いぱんを作りたいと仰せになり、次は兵糧に、しまいには子供の菓子にと、目当てが変わりました」
「……だめ?」
「だめとは申しませぬ。ですが、目当てが変わるたび、台所の者は作り方を考え直さねばなりませぬ。次は何を作ればよいのか、迷いまする」
俺は、試し帳を抱えて右往左往していた料理人たちの顔を思い出した。
長盛には、俺の目の前に浮かぶ数字は見えない。それでも、俺の言葉に振り回された者たちの姿は、見えている。
俺にとっては、思いつきを試しただけだった。だが、命じられる側にとっては、そのたびに仕事が変わる。
信用を失うのは、大きな約束を破ったときだけではない。小さな気まぐれでも、少しずつ減っていくのだ。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.3% → 95.1%
評議のあと、三人目の商人が、父の店の古い帳面を持って、そっと城に来た。
帳面は、焦げていた。端が、ぼろぼろだった。朝鮮の役の兵糧買い上げで、太閤の奉行に米を差し出し、代わりに渡された証文。額だけが書いてあって、払う日が、書いてなかった。
「……一文も、戻りませなんだ」
商人は、静かに言った。
「父は、奉行所に、七度、通いました。七度目に、帰ってきて、店を閉めました」
俺は、焦げた証文を、両手で受け取った。
「……いま、かえせる、かどうかは、わからない」
「はい」
「でも、かきのこす。とよとみけの、かりとして」
商人は、しばらく黙っていた。それから、額を畳につけた。
帰り際、宗薫が、廊下で俺を呼び止めた。
「若様。一つだけ、お伝えしておきましょう。……徳川様も、手前に、同じことを、お尋ねになりました」
「……なにを」
「商人は、何を恐れておるか、と」
宗薫は、にこりと笑って、帰っていった。
家康も、聞いていた。そして、宗薫は、それを俺に教えた。どちらにも、顔が利く。どちらにも、帳面を残す。
その夜、宗薫の人物評価に、一行だけ、自分で書き足した。
《どっちにも いう。だから どっちにも うそを つかない かも》




