第119話 南蛮人
【豊臣家滅亡まで 残り5,120日】
南蛮人は、大きかった。
少なくとも、七つの俺から見れば、三人とも、壁だった。
濃い髭。深い目。見慣れない着物。香料と、革と、汗の匂い。そして、嗅いだことのない、強い匂い。
通詞が、一人ずつ紹介した。商人。船の差配。そして、黒い衣の宣教師。
三人は、それぞれ違う作法で、頭を下げた。一人は片膝をつき、一人は帽子を胸に当て、宣教師は胸の前で十字を切った。
俺も、頭を下げた。
治長の眉が、動いた。天下人の子が、異国の者に頭を下げる。気に入らないらしかった。
だが、挨拶は、ただでできる外交だった。
「おおさかで、なにを、うりたいの」
通詞が訳した。商人が、指を折って答えた。
絹。薬。砂糖。硝石。鉛。ガラス。時計。書物。
「なにを、かいたいの」
銀。刀。漆の器。銅。
そして、人。
最後の言葉で、部屋の空気が変わった。通詞が、訳す前に、口を止めた。
「……つづけて」
人。奉公人。奴隷。海の向こうへ売られる者。
前の世の知識として、知ってはいた。だが、知識と、目の前の商談は、違った。
「とよとみの、りょうない、の、ひとを、うることを、きんじる」
通詞が訳した。商人が、肩をすくめて答えた。
「……我らは、正しく買うた者のみ、と申しておりまする」
正しく。誰にとって。
「ほんにんが、うみの、むこうに、いくことを、しってる?」
借金。戦で家をなくした者。家族が売る。主人が譲る。本人が約束をする。理由は、いくらでもあった。だが、本人の心は、最後の最後にしか、出てこない。
「ほんにんが、よめない、やくそくは、ほんにんが、しょうちした、とは、みとめない」
治長が、俺を見た。この国の者の多くも、字が読めない。異国の者だけの話ではなかった。
宣教師が、静かに言った。
「……教会が、本人の心を、確かめましょう」
善意か。布教の機会か。たぶん、両方だった。
「きょうかい、だけ、じゃ、なくて。まちやくにんと、おてらと、しょうにん。みっつで、たしかめる」
善い人でも、権を一人占めさせてはいけない。
次に、薬を見た。
見慣れない粉。香りの強い油。刀傷に使う膏薬。熱に使う木の皮。
効くものも、効かないものも、危ないものも、混じっているのだろう。玄朔を呼んでおいてよかった。老医師は、一つずつ、匂いを嗅ぎ、指先で粉を擦り、舌の先に少しだけ載せた。
「……高うございますな」
「効くからでござる」
商人が、通詞を通して、答えた。
「海を渡るからでござる」
船の差配が、同時に答えた。
理由が、二つ混じっていた。高いことと、効くことは、同じではない。
「くすりごとに。だれに、どのやまいで、どれだけ、つかって、どうなったか。かきのこす」
宣教師が、眉を寄せた。
「……神の恵みを、疑われまするか」
「めぐみを、かきのこす」
通詞が、訳すのに、困った顔をした。俺も、言い方を間違えたと思った。だが、宣教師は、しばらく考えてから、少しだけ笑った。
「……恵みの帳面、でございますな」
次に、鉄砲。硝石。鉛。
戦の話になると、武士たちの目が、光った。
「いくらでも、お求めいただけまする」
嘘だった。量には、限りがある。他の大名も買う。値は上がる。船は沈む。
「まいとし、おなじ、りょうを、おなじ、ねで、うれる?」
商人は、笑った。答えなかった。
それが、答えだった。
海の外に頼りすぎれば、海の向こうの都合で、薬も火薬も、止まる。
最後は、食事だった。
南蛮の、パン。
硬かった。酸っぱかった。思っていたものと、全然違った。
「……お口に、合いませぬか」
通詞が、心配そうに聞いた。
「あう」
嘘をついた。外交だった。
治長も、食べた。顔が、固まった。
「……美味で」
苦しそうに言った。
豊臣家の外交は、二人の嘘で、守られた。
次に出てきた砂糖菓子は、本当に、うまかった。三つ食べた。四つ目に手を伸ばしたところで、侍女に、袖を引かれた。
会談の終わりに、取引の決まりを示した。
一、人の売り買いを、禁ずる。
一、本人が承知しない海の外への渡りを、禁ずる。
一、薬は、使った書き留めを残す。
一、火薬のもとは、蔵の数を知らせる。
一、通詞を、一人に頼らない。
一、約束の書き物は、二つの言葉で作る。
「……通詞を、二人置くのでございますか」
通詞が、少し傷ついた顔で聞いた。
「やくの、まちがいで、いくさに、なったら。もっと、たかく、つく」
通詞は、しばらく考えてから、頷いた。
「……拙者も、一人で訳すのは、怖うございました」
通詞は、会談のあと、廊下の隅で、長いこと座り込んでいた。
弥七が、白湯を持っていった。通詞は、それを両手で包んで、ぽつりと言ったという。
「人の売り買いの話を、訳すのは、初めてではございませぬ。……されど、止めよ、と訳すのは、初めてでございました」
通詞は、長崎の生まれだった。港で、海の向こうへ売られていく者たちの列を、子供の頃から見てきたのだという。
「訳しながら、声が、震えておりました。若様に、気づかれましたろうか」
弥七は、首を横に振って、白湯を注ぎ足した。
俺は、その話を、あとで弥七から聞いた。気づいていなかった。
会談のあと、宣教師が、一人だけ、残った。
通詞を通して、宣教師は、言った。
「……若様。人を売ることを禁ずる、と仰せになったこと。神は、見ておられまする」
「……かみさまは、しらない。でも、ちょうめんに、かく」
宣教師は、少し困った顔をした。それから、胸元から、小さな十字の飾りを取り出しかけて、やめた。
「……いつか、若様が、帳面ではなく、神に誓うてくださる日を、祈りまする」
「……それは、やくそく、できない」
宣教師は、今度は、本当に笑った。
「正直な方でございますな。それも、神は、見ておられまする」
三人が帰ったあと、城の高い窓から、川を見た。船が、海へ向かっていた。
海の向こうには、この国より大きな世界がある。豊臣家が天下人であっても、世界の真ん中ではない。
その事実は、俺を、少しだけ楽にした。
父の天下は、全部ではない。天下を失っても、豊臣家は、別の値打ちを持てるかもしれない。
【豊臣家の、新しい値打ち】
一、大坂の町を回す
二、国の中の商いの信用
三、海の外との取引の窓口
豊臣家は、天下を治めなくても、必要とされるかもしれない。初めて、その先が、数字になった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.4% → 95.3%
廊下の向こうから、侍女の声がした。
「拾様。お菓子は、二つまでと、申し上げました」
俺は、砂糖菓子を一つ、袖に隠していた。
国を動かすより難しい相手が、すぐ近くにいた。
玄朔は、会談のあと、南蛮の薬を一つずつ、紙に包んで、名札をつけていた。
《熱に効く木の皮 試しの数 零》
《刀傷の膏薬 試しの数 零》
「……れい」
「まだ、誰にも使うておりませぬゆえ。……使うたら、一つずつ、数を増やしまする」
零から始まる帳面。何も分からない、ということが、はっきり書いてあった。
玄朔は、名札をつけ終えると、南蛮の薬を、自分の薬箱とは別の、新しい箱にしまった。蓋に、「試し」と書いた。
「……いつか、ぜんぶ、うまるといいね」
「埋まるほど、人が病まぬ方が、ようございますが」
治長が、廊下で、俺に追いついてきた。
「……拾様。あのぱん、御方様には、お出しになりませぬよう」
「どうして」
「御方様の歯が、欠けまする」
治長は、真顔だった。自分の歯を、少し気にするように、頬に手を当てていた。
その夜、袖の砂糖菓子は、半分に割って、弥七と食べた。弥七は、懐から、この前の金平糖を一粒出して、俺に寄越した。
「交換でございます」
金平糖は、まだ、懐の温かさが残っていた。




