第118話 銀の血
【豊臣家滅亡まで 残り5,130日】
銀は、歩かない。
だが、人より速く、国を渡る。
石見。但馬の生野。各地の山から、銀が出る。大坂に来る。堺へ行く。長崎へ行く。海を渡る。絹になる。薬になる。硝石になる。鉄砲になる。
そして、戦になる。
俺は、広間の床いっぱいに、絵図を広げさせた。城と軍勢の印は、小さく描いた。代わりに、山。港。市。蔵。両替商。街道。川。関所。
そこに、銀の流れを、朱で引いていった。
線は、あちこちで枝分かれし、太くなり、細くなり、また集まった。
「……血の道のようでございますな」
呼んでおいた薬種の商人が、言った。堺の三人の一人だった。
銀は、血だった。止まれば、町が死ぬ。一つのところに集まりすぎても、別のところが死ぬ。
「この、ぎんは、どこに、きえるの」
長崎から、海の外へ伸びる線を、指でたどった。
「消えませぬ。形を変えまする」
「うみの、そとに、でた、ぎんは、もどる?」
「品になって」
絹。焼き物。薬。砂糖。硝石。
治長が、腕を組んだ。
「銀を出さねば、国の中に残りましょうに」
「品が、入りませぬ。銀を守って、国が貧しゅうなることも、ございまする」
武士にとって、蔵の銀は、多いほど強い。商人にとって、動かない銀は、働かない人と同じだった。
「この、うみの、せんが、きれたら」
「絹の値が、上がりまする」
「薬種も」
「硝石も」
「……火薬も」
最後の一言で、武士たちの顔色が変わった。
「こうえきは、ぜいたくひんを、かう、だけじゃない。たたかう、ちからも、びょうきを、なおす、ちからも。うみの、むこうから、くる」
天下とは、城を押さえることではなかった。流れを、分かることだった。
家康は、それを知っている。街道。港。金山。銀山。銭。だから、戦場に出なくても、国じゅうに手が届く。
両替商の男が、手を挙げた。この頃、皆が、手を挙げるようになっていた。
「……一つ、困っておることが、ございまする。銀の重さが、取引ごとに、違うのでございます」
また、物差しの話だった。天を仰ぎたかった。
丁銀。豆板銀。秤。刻印。混じり物の割合。削られたもの。偽物。
商人は、そのたびに量り、疑い、割り引く。その手間が、全部、値に乗る。
「……とよとみけが、おなじだって、うけあったら」
「誰が、確かめまする」
請け負うとは、言葉ではない。量る。印を押す。書き留める。破ったら罰する。それを続ける人がいる。全部が要る。
「とよとみけが、ぎんの、しつを、うけあう。かわりに、あらためる、ひようを、とる」
「高ければ、誰も使いませぬ」
「やすく、する」
「途中で、上げれば」
「うえの、かぎりを、さきに、きめる」
「偽物が、出れば」
「つぐなう」
且元と治長が、同時に、俺を見た。
「……なぜ、豊臣家が、偽物の損を、負うのでございます」
「うけあいが、なかったら、だれも、とよとみの、しるしを、しんようしない」
印を押す。それは、責めを引き受けることだった。威光だけを使って、損は相手に押し付ける。それでは、印は、ただの飾りになる。
「……印の名は、何と」
「おおさか、あらため」
「豊臣改め、では、ございませぬのか」
「おれが、しんでも、つかえるように」
部屋が、静まった。
七つの子供が、自分が死んだあとの話をする。縁起でもない、と思ったのだろう。治長が、何か言いかけて、やめた。
だが、俺には、当たり前のことだった。決まりは、作った者の名がなくても、動かなければならない。
両替商の男が、帰る前に、秤を一つ、置いていった。
「若様。これが、堺で一番、狂いの少ない秤にございます」
「くれるの?」
「お貸しいたします。……大坂改めの秤は、これに合わせてくださいませ。合わせる元が一つなければ、秤が百あっても、百通りの重さになりまする」
物差しの元を、一つにする。前の世なら、度量衡の統一と呼んだ。この世では、一つの秤から始まる。
俺は、秤を両手で持った。重かった。銀より、重く感じた。
評議が終わったあと、淀殿が、広間の絵図を見に来た。
淀殿は、朱の線を、しばらく目でたどっていた。長崎から、海の外へ。
「……この線の先に、何があるのです」
「しらない、くに」
「そこから、何が来るのです」
「きぬと、くすりと、さとう」
淀殿は、少しだけ、目を細めた。
「……殿下が、昔、南蛮の砂糖菓子を、わたくしに下さったことがございます。小さな、白い、星のような形の」
「こんぺいとう」
「そう。金平糖」
淀殿は、絵図の上の、海の線を、指でそっとなぞった。
「あれは、この線を通って、来たのですね」
「うん」
「……では、この線は、切らずにおきなさい」
淀殿は、それだけ言って、出ていった。
治長が、ぽつりと言った。
「……御方様が、政のことで、ああ仰せになるのは、珍しゅうございますな」
政のことではなかった。たぶん、金平糖のことだった。だが、どちらでも、よかった。
夕方、秤を、城の勘定所に運ばせた。
勘定所には、秤が、十一あった。一つずつ、堺の秤と比べさせた。
十一の秤が、十一通りの重さを示した。一番軽い秤と、一番重い秤で、同じ銀一枚が、一割近く違った。
「……ずっと、これで、はかってたの」
勘定所の役人たちは、青い顔をしていた。
「どの秤で量るかは、その日の係の、好みで……」
「このみ」
「重い秤で受け取り、軽い秤で払えば、城は得をいたしまする。……逆をすれば、損を」
誰かが、どこかで、得をしていたのかもしれない。誰も、数えていなかったから、分からない。
「……ぜんぶ、さかいの、はかりに、あわせて。あわせた、ひを、かいて」
「……過ぎた分は」
「ふめい、って、かく」
また、一つ、不明が増えた。
その夜、長盛が、試しの帳面を持ってきた。
「拾様。……大坂改めを始めて、三日。持ち込まれた銀のうち、七つに一つが、混じり物でございました」
「……ななつに、ひとつ」
「多うございます。されど、これまでは、誰も数えておりませなんだ。数えたゆえ、多いと、分かったのでございます」
長盛は、帳面を閉じた。
「治部殿が、よう申しておられました。数えた日が、始まりの日だ、と」
長盛は、そう言ってから、少しだけ、笑った。
【大坂の銀の信用の仕組み】
試し始め
取引の手間 推定6%減
偽の銀の危うさ 高
豊臣家が請け負う負担 不明
最後が、怖かった。
だが、銀は、蔵に積むだけでは、力にならない。流れて、量られて、信じられて、初めて、町を動かす。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.5% → 95.4%
その夜、長盛は、十一の秤を合わせる作業を、夜中まで続けていた。
のぞきに行くと、長盛は、堺の秤の前で、銀の粒を一つずつ載せては、書き留めていた。
「……ながもり。やすんで」
「あと、三つでございます」
「きのうの、かきやく、みたいに、なる」
長盛は、手を止めた。それから、苦笑した。
「……己で作った決まりに、己が捕まるのは、拾様だけかと思うておりました」
長盛は、筆を置いた。
翌朝、長盛の机の上に、きちんと揃えられた十一の秤が並んでいた。一つ一つに、合わせた日付の札が付いていた。長盛は、ちゃんと、眠ったらしかった。目の下の隈が、少し薄かった。
秤の札の最後の一枚には、長盛の字で、《合わせ終わり 子の刻の前》と書いてあった。
その夜、弥七が、どこからか、金平糖を三粒、手に入れてきた。
「堺の商人殿が、帰りがけに、置いていかれました。若様に、と」
一粒、食べた。甘かった。
一粒は、淀殿の部屋に届けさせた。
一粒は、弥七に渡した。弥七は、しばらく眺めてから、食べずに、懐にしまった。




