第117話 空の箱
【豊臣家滅亡まで 残り5,140日】
「もうけ」という言葉を、武将に説明すると、だいたい、顔をしかめられる。
金儲け。欲。卑しい。そういう言葉が、先に浮かぶらしい。
「利を求める者は、主を替えまする」
治長が、言った。
「ちゅうぎを、もとめる、ひとも。あるじが、まけたら、かえることが、ある」
「……同じでは、ございませぬ」
「ちがう。だから、ちがいを、しらないと、いけない」
その日の評議には、いつもと違う顔ぶれを呼んだ。
武士。商人。町役人。寺の算用を扱う僧。船頭。米問屋。焼き味噌の太郎は、台所の代表として、隅に座らされていた。なぜ自分がここにいるのか、まったく分からない顔をしていた。
全員が、居心地悪そうだった。武士は商人と並んで座るのを嫌がり、商人は武士の刀の柄をちらちら見ていた。僧は数珠を握り、船頭は膝の上で、日に焼けた手を開いたり閉じたりしていた。
俺は、机の上に、箱を三つ置いた。
一つ目の箱には、米。二つ目の箱には、銀。三つ目の箱は、空だった。
「こめを、かう。ふねが、はこぶ。みせが、うる。ぎんが、はいる」
米の箱から、一掴み、米を出した。船頭の前の皿に置いた。船頭が、それを、米問屋の前に動かした。米問屋が、それを、町役人の前に動かした。町役人が、銀を一粒、米問屋に渡した。
「のこった、ぎんが、もうけ」
治長が、腕を組んだ。
「それは、分かりまする」
俺は、残った銀を、空の箱に入れた。
「これを、ぜんぶ、うたげに、つかう」
「……翌月は、どうなりまする」
米問屋が、すぐに答えた。
「次の米が、買えませぬ」
船頭が言った。
「船の繕いも、できませぬ」
「つまり、もうけは、ぜいたくの、ためだけに、のこす、かねじゃない。つぎの、あきないを、つづける、ための、よりょく」
武士たちには、別の言葉に訳した。
「ひょうろうと、おなじ。きょう、ぜんぶ、たべたら、あした、たたかえない」
武士たちの顔が、変わった。
訳が、通じた。
「では、商人が儲けを多く取るほど、国は強うなると」
「かぎらない。とりすぎたら、かうひとが、いなくなる。すくなすぎたら、しょうにんが、いなくなる」
「どれほどが、よいのでございますか」
「いちりつには、きめられない」
治長が、露骨に嫌な顔をした。俺も、同じ顔をしたかった。
商いの答えは、いつも、一律ではない。米は腐る。船は沈む。道は止まる。戦が起きれば、値が跳ねる。豊作なら、下がる。
「ならば、商人に、任せるしか」
「それも、ちがう」
商人は、全体のために動かない。自分の店。家族。仲間。取引の相手。そこを守る。それは、悪ではない。だが、飢饉のとき、米を高く売る方が、商人には得になる。町には、危ない。
「もうけを、ひていしない。でも、もうけ、だけにも、まかせない」
俺は、紙に書いた。
《平らかなとき》好きに売り買いしてよい。
《足りないとき》蔵の米の数を知らせる。買い占めを見張る。城の蓄えを出す。
《災いのとき》運ぶ費えを、城が助ける。
「値を、初めから、決めぬのでございますか」
米問屋が、聞いた。
「ひくく、きめすぎたら、だれも、はこばなく、なる」
遠くから米を運ぶ。危ない。費えがかかる。儲けがなければ、船は来ない。善意だけでは、町は食べていけない。
「……食えぬ者は、どうなりまする」
僧が、静かに聞いた。
「あきないの、ねを、こわさずに。べつに、こめを、ほどこす」
「誰が」
「とよとみけが」
治長が、また嫌な顔をした。
「金が、かかりまする」
「うん」
「どこから」
「あきないを、つづけるための、みんなの、ふたんから」
年貢の上乗せ。名前を変えても、取るものは取る。商人は、すぐに見抜いた。
「……取るのでございますな」
「とる。でも、なにに、つかったか、いちねんに、いちど、しめす」
武士たちが、ざわめいた。民に、金の使い道を示す。威光を傷つける、と感じるらしい。
だが、説明できない金ほど、威光を壊すものはない。
そのとき、隅に座っていた太郎が、恐る恐る手を挙げた。
「……あの。一つ、よろしゅうございますか」
皆が、太郎を見た。太郎は、顔を真っ赤にした。
「い、いって」
「台所でも、同じでございます。毎日、少しずつ、味噌を残しておきまする。全部使えば、明日の汁ができませぬ。……それを、台所では、儲け、とは申しませぬが」
「……なんて、いうの」
「残り味噌、と」
部屋が、一瞬、静まった。
それから、米問屋が、噴き出した。船頭が、膝を叩いた。僧が、数珠を握ったまま、肩を震わせた。武士たちも、つられて笑った。
「……のこりみそ」
治長だけが、真顔で、紙に書き留めていた。
《儲け=残り味噌》
評議のあと、僧が、残った。
「若様。……施しの米のことでございますが」
「うん」
「寺では、施しを受ける者の名を、書き留めておりませぬ。書けば、恥になると」
「……うん」
「されど、名を書かねば、同じ者が二度受け、受けられぬ者が出まする」
僧は、数珠を指で繰った。
「恥をかかせずに、名を書く方法は、ございませぬか」
俺は、少し考えた。
「……なまえじゃ、なくて。まちと、いえの、かずを、かく。だれ、かは、おてらだけが、しってる」
僧は、しばらく黙ってから、深く頭を下げた。
「……名は、仏だけが知る、と。そう、いたしましょう」
米問屋は、帰り際に、太郎の肩を叩いていった。
「台所の兄さん。残り味噌の話、うちの店でも使わせてもらうぞ」
太郎は、真っ赤になって、頭を下げた。台所から出たことのない男が、町の米問屋に、肩を叩かれた。
評議の終わりに、三つの箱を、もう一度見た。米。銀。空。
空の箱は、無駄ではない。何も入っていないから、次に入れられる。余り。備え。逃げ道。
【豊臣家の財】
持っている物 S
続けて入る物 C
出ていく物が読める度合い D
【儲けという考えが通じた割合】
武士 11%
商人 94%
台所 100%
「……いまの、はなし、わかった?」
治長に聞いた。
治長は、少し考えてから、答えた。
「……兵糧と、残り味噌の話としてなら」
十分だった。
儲けとは、奪う金ではない。明日も続けるために、今日、残しておくものだった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.6% → 95.5%
評議のあと、治長が、紙の束を持って、俺の部屋に来た。
「拾様。《儲け=残り味噌》の件、御方様にお伝えいたしましたところ」
「……なんて」
「大層、お笑いになりました。……それから、奥の女房衆にも、残り味噌の考えを、試すと仰せで」
「……おくで?」
「奥の、衣の費えにございます。毎年、全部使い切っておりましたゆえ」
治長は、困った顔をしていた。
「来年の分から、一割、残すと。……女房衆は、大騒ぎでございます」
淀殿が、自分の手元から、始めたのだ。
俺は、少しだけ、笑った。治長は、笑っていなかった。女房衆に囲まれて、文句を言われるのは、治長の役目だった。
「……はるなが、ありがとう」
「礼には、及びませぬ。……及びませぬが、女房衆の文句の数を、帳面に書いてもよろしゅうございますか」
「いい」
「すでに、四十三件でございます」
その夜、帳面の「儲け」の欄の横に、太郎の言葉を、そのまま書き写した。のこりみそ。前の世のどの教科書より、分かりやすかった。
治長は、その横に、小さく書き足した。《兵糧も同じ》。
その夜、少し遅れて、台所から、汁が届いた。太郎が作ったのだという。
味噌が、いつもより、少しだけ薄かった。
添え書きが、一枚ついていた。台所の誰かが、太郎の言葉を書き取ったものだった。
《本日、残り味噌を、多めにいたしました》




